俺のイメージはこんな感じ、幸村です。
「ナデプロ!!」は樋口マネージャーと石田マネージャー。
この二人は、犬猿の仲。
こんな設定だと、面白い話が幾つも作れそうだなーって。
歯に衣着せぬ物言いで、互いに言い合う二人がアリアリと目に浮かぶ(笑)。
何か、因縁でもあるのかなあ。
御互い面と向っているときはどっちも猫を被っていて、
もう電気をつけなくてもスタジオ内が眩しいくらいの笑顔なんだけど、
腹の中じゃ悪態を吐いている感じ(笑)。
又は、
あからさまに貶(けな)しあう。
・・・どちらもおいしいシチュエーションですが(笑)。
それは時々で変わるのかな。
「おや~?これはこれは、ライト声優事務所の石田さんじゃないですかー。
この前お会いした時より、革靴の分だけ背が高くなられましたねえ」
(←「ハムレット」の台詞の一つをもじってみた。)
「ああ!ナデシコプロダクションの樋口さんー!どうも、いつも御世話になってまーす☆
そちらこそ、相変わらずの悪魔っぽい雰囲気で☆魔道書を扱う上で参考にさせて戴きたいですー☆」
とか何とかいいながら、
「あっはっはっはっはっは!!」
って、同時に満面の笑みで反り返って大笑い。
次の瞬間、互いに真顔。
周囲のスタッフは固唾を呑んでハラハラ。
イッシーの本性は、こばとちゃんしか知らないみたいですが、
きっと、樋口さんと八十科さんは知っているはず。
そして、樋口さんの本性をイッシーも知っている。
神様に会ったとか不老不死とか知らんかもしれんが、
樋口さんの性質的な本質は見抜いてそうだ。
二人の不仲を、隣でニコニコしながら見ているのが八十科さん。
樋口さんが楽しそうにイッシーと貶し合っているのが嬉しい(笑)。
基本的に、八十科さんは、樋口さんが幼稚であることを楽しんでるのではないかと。
多分、後で樋口さんに色々と突っ込むんでしょうね。
「今日は一段と楽しそうでしたねえ、龍」
「んー?」
とか、会話が始まりそうだ・・・。
樋口さんとイッシーのやり取りを見ていて感心するのが、石橋くん(笑)。
「いやあ。樋口さんと石田さんは、ほんっとうに仲が宜しいですね」
この人には、きっと二人が手を取り合って楽しそうにしているように見える筈(笑)。
「ナデプロ!!」のドラマCDがまだまだ続くのかは分かりませんが、
(でも、何となく続くんだろうという予想は出来る・・・)
この先いつか、樋口さんと石田さんの不仲が描かれていると嬉しいかな。
すっごいドタバタになるだろうね(笑)。
スタジオの一つや二つは吹っ飛ばされそうだなあ。
何かの賭けとか勝負で、樋口さんがイッシーに引けをとる。
本性のイッシーが、樋口さんに嫌味を言ったりするけど、
言い返せなくてものすっごい悔しい思いをする樋口さん。
でも、ある秘策を思いつく。
するといつものように周囲をドンドン巻き込んでしまい・・・。
こんな御話、書けたらイイナ。
黒いイッシーが、樋口さんを言い負かすところ、書きたいですね。
正確には、言い負かされる樋口さんを書きたい。
あの人を言い包めるのって、相当だろうな。
で、ナデプロ事務所で苛々してる(内心凹んでる)樋口さんに、
八十科さんが辛口なコメントをして、益々凹んだりする樋口さん。
または・・・
「だらしないですねえ、龍。あんな子供に負けるなんて」
「子供じゃないだろ」
「おや?あなた、いつも彼のことを子供子供と言ってましたよ?」
「・・・・・・」
「ハア・・・。やはり、所詮受は受なんですかねえ」
「俺は受じゃないだろ!?」
「あなたを受と言わずに、誰を受と言うんです。大体、毎日毎日人見さんをからかってますけど、
自分だって比肩の受じゃ―――」
「悠っっ!!お前、俺のことをそんな風に見てたのか!?」
「おや、今頃気づいたんですか?おかしいですねえ。ちゃんと役割分担してるのに」
「・・・・・・」(←嫌な予感)
「仕方ありません。それじゃ、一ついきますか」
「!!ちょっと待て。俺は了承してな―――」
「はーいはいはいはい。もう分かりましたよ。
つべこべ言ってないで、大人しくしてください?
自分のポジションを分かってない人には、体で教えないとvv んふっ」
「!!!おい、おまっ」
と、どさくさに紛れて(?)、八十科さんは美味しくいただいたりする。
樋口さんは、八十科さんには逆らえないだろうなあ・・・。
それでなくても八十科さん、色んなお薬に詳しいみたいだし(笑)。
樋口さん、きっと自分が受だってこと、認識してないよね・・・。
イッシーは、そんな二人の仲をそこはかとなく勘付いていそうだなあ。
ナデプロの御話も、兄様みたいにネタが浮かぶといいのになあ・・・。
拍手、ありがとうございます☆
消えたから、簡単に書き直します、幸村です。
誕生日を迎えられることが、どれだけ幸せなことであるかについて、
真剣に書き綴ってまいりましたが、Windowsのエラーで全て消えました。
だから端的に、端的に。
ざけんな、このヤロー(PCに向って一応怒ってみる。キレる力ももう残ってない・・・)
誰にいつ何が起こるのか、分からない。
命を落とす可能性を一日の中で上げてみると、
自分が生きていることがどれだけ確率の低いことなのかに、ビックリする。
夜、寝てる間に病気で。
階段から落ちて。
移動時に事故で。
時間を問わず、天災で。
命が儚くなる切欠なんて、言い出せば限が無い。
そんな数多くの命を落とす確率を掻い潜って、
あなたが今も生きているとしたら、それは幸運以外の何物でもないと思う。
電車通学をしていると、毎日毎日思う。
「人間にとって、死ねる場所なんて幾らでもある」
ホームで電車を待つ自分がいる。
定刻でも遅刻でも、電車が入って来る。
電車の頭が自分の前を横切る時、意識してホームに足を止(とど)めてる。
それは、
ここで踏み出せば、命を絶つことが出来るという意識が、
厭にリアルに感じられるから。
だから、ホームに電車が入る瞬間は、何となく恐い。
そして、簡単に命を落とせることを痛感してしまう。
誕生日は、歳をとることを祝うんじゃない。
一年間、命を落とすことなく無事にいられたことを祝うんだと思う。
だから、別に誕生日に祝いをしなくても良いんじゃないかな。
365日の中で、「この日!」って決めちゃってその日を迎えられたら御祝いをする。
こんなのも、いいと思う。
ただ、こうして生きていることに感謝出来るのは、
自分の命の終わりがいつ来るか分からないからだよね。
後何ヶ月とか明日も分からないなんて立場にあったら、
自分が生きていることを怨んでいるかもしれない。
存命というものを、心底残酷に思うかもしれない。
ひょっとすると、もうそんな気力も無いかもしれない。
だから、
自分が生きてることに感謝出来ることさえ、
アタシはすごく恵まれていると思う。
また、来年もこうして無事を感謝出来る日が来ることを祈ってる。
今日を無事に過ごせた、すべての人に、おめでとうを言おう。
ちょっと早いけど自分の為に買ったの、幸村です。
買った時は、そんな気持ちは無かったのね(笑)。
ただ、すごく気になってしまったから、手に取っただけ。
ずっと気に掛かってたし、丁度良かったのかもしれないなあ。
で、後から「おお、自分へのプレゼントにすればいいじゃねーか」と、こじ付けた(苦笑)。
まだまだこれから先は長いのに、もう余裕がないからね・・・。
財布の中が(爆)。
詳しいことは、全部終わってから書くつもり。
まだ半分くらいは残ってるからね。
結末が分からないから、今からドキドキするなあ。
今日は久々に、知人とランチ、幸村です。
おいしかったな~。
こうして時折遠出して外食するのも良いよね。
食後によったカフェのカフェ・モカは、Mサイズにも拘らず、
すごい量だった。・・・次からはSでいこう。
毎回、そのお店に行くと、カフェ・モカを頼むんだけどナ・・・。
食後すぐってのが、御腹にきたね・・・(苦笑)。
でもおいしかった☆ごちそうさまvv
そうそう、兄様とやちるちゃんの小説が進まないながらも(・・・)、
白緋小説はサクサク進んでいたりします。
連載を先に仕上げたいのに・・・、イメージが固まらないからこうなってしまっているー。
幸村は、どうしてギャグっぽい御話を書けないのだろう・・・。
いつもいつも、考えるんだけどなあ・・・。
でも、アタシがギャグを書くと、只の馬鹿話でしかなくなってしまうのです。
哲学も何もなくて・・・。
自分が常に何かを求めているだけに、
自分が仕上げた作品には、読んだ後、何かを感じ取ってもらえるものを籠めておきたい。
読んでもらった人たちに、「こいつは、こういうことを考えてるんだな」とか、
何かを感じてもらえるように、それをきっかけにその人の中で何かが始まるように、って思うの。
後に、何も残らないなら、「幸村」が書く意味がないと思う。
残らないなら、誰が書いたって同じじゃないか。
中学、高校の頃は、自分の中の気持ちを詞にしてたのね。
その頃はまだ、二次創作の世界を知らなかったし、
純粋に、等身大の自分を投影することが出来る方法は、それしかなかったから。
身近な友人に読んでもらって、感想を聞いたりしてた。
書く時は夜通し考えて、推敲したりもしたよ。
その時から今まで、詞が小説になった今でも、取り組む際の信条は何一つ変わってない。
何度もここで言ってるけど、口下手なのね、アタシ。
友人と御話をする時だって思うよ。自分は話をするのが下手だなあって。
だって、言いたいことの一点を、ストレートに伝えられないんだもの。
あれだこれだって言ってる間に、自分が何を話しているのか分からなくなってくる。
一人で「あれ?」ってこんがらがっちゃって、結局一番言いたいことが言えない。
全~部伝えたいって思うから、一から十まで話していくうちに、自分で訳が分からなくなる。
自分の中で、簡潔にまとめられていないんだと思う。
だから、不必要なことまで喋って、まとまらなくなるの。
それに、話方や聞かせ方が上手い訳でもないから、
相手を退屈させないようにって事とかも考えちゃったりする。
そしたら、余計に混乱してくるのね・・・。
置鮎の兄貴や甲斐田姐さんもそうだけど、彼等はおしゃべりがとっても上手。
聞き手をちゃんと楽しませてくれる。
そういう気の利いた喋り方、アタシには出来ないからさ。すごく不安なの。
だから、こういう風に文章にして発信する。
小説や詞、blog、文通、色々あるけど、そうして文字にするものは、
こちらからあなたへ届ける時間があまり関係なかったりする。
アタシが幾ら時間を掛けても、あなたが目にする時にはあなたのペースで読んでもらえる。
それに、アタシは何度でも書き直してから、披露出来る。
瞬間瞬間で言葉を紡ぐことが苦手だから、こうして幕下で時間を掛けてから、一気に見てもらう。
上手く纏められる時とそうでない時があるけど、
面と向って喋るよりは、言いたい事を言いたいように表現出来ていると思う。
そうやって書いたものには、自分の気持ちをちゃんと詰めたい。
だから、詞であれ小説であれblogの記事であれ、「幸村」が書いたという意義が欲しい。
我侭なんですよ、幸村は(笑)。
Only One だとか何とか、「Only」に拘りはないし興味はないけど、でもやっぱり、
「自分であればこそ」ってのは、すごく拘るし、ずっと探してる。
「そこにどんな価値があるんだ」って訊かれたところで、答えなんか用意してないけどね。
これは、アタシがアタシに対して追求してることだから、
傍から見た人に価値を知って欲しいとか、気づいて欲しいとは思ってない。
そもそも、それに価値があるのかどうかなんて、考えたこともないし・・・。
どこまでいけば満たされるのかも分からない。
いつまで考えていくのかも分からない。
ただ、中学、高校の頃からずーっと自分の中にある。
自分の中にあって、どうしても消せないものだから、ずーっと探してるの。
だから、何かをupするまでには、沢山悩んだり沢山考えたりする。
その作業が、すごく好き。
時間が掛かるしすっごく疲れるけど、一所懸命になれるから、すごく好き。
これから先、色んな事が起きるだろうけど、
文字を選んで言葉を選んで、こうして文章を作っていける限りは、
自分の想いは発信していきたいなあって思ってる。
小説も、思いつく限りは形にしていきたいなあ。
もっともっと、自分が成長していけるように。
その過程で、色んなことを吸収していけるといい。
まだまだこれからだと思うし、そう思いたいから、
どんどん貪欲になって、自分を高めていきたいなあって。
自分を表現することが出来るって、とっても素敵。
文章でも音楽でも何でもいい。
方法はきっと、個人個人で違ってくる。
自分が一番やり易いように、自分の気持ちを表現出来るといいなって、
いつも思ってる。
心が見えないなら、相手に伝える為に「かたち」にしないといけない。
誕生日にプレゼントを渡すのも、御祝いの気持ちを取り出して見せることが出来ないから、
「おめでとうのかたち」をプレゼントに変えて渡すんだし。
プレゼントとか、改まったものじゃなくて、
自分の普段の気持ちを何気なく「かたち」に出来れば、とっても素敵だなあって。
その「かたち」を作っていく間、自分が成長するかもしれないっていう、
根拠のない思いがあったりして、アタシはそれに拘ってるんだと思う。
自分が大事にしたいって思うなら、
それはきっと、自分にとって大事なものだと思うの。
だから、他人と比べることも、比べた後自分を卑下することも、無意味だと思う。
自分は大事だと思うなら、大事にすればいい。
全ての基準は、自分で決めてるんだし、
どれをどうはかったって、自分が優劣をつけるんだもの。
詰まる所、人間は自分の中のものさしでしか、ものをはかれないと思う。
だったら、自分が思うことに素直にならなきゃ、苦しいだけだ。
周りの価値観に目線を合わせても、合わせることに精一杯になって、
自分が何をどう見ているのかが分からなくなる。
背伸びなり中腰なり、視点を変えていると足やら腰やら、いつかは痛くなるだろうし。
だって、それは自分の自然体じゃないからさ。
いつかは限界がくるのかなーって。
限界が来たら、一度は崩れるだろう。
崩れちゃったら、それまで中身のないことをし続けてきた自分には、何も残らないよね。
自分は壊れちゃった。壊れたけど、何も残らなかった。
そうなった時一番悲しいのは、自分だと思う。
だったら最初から、自分の目線で自分の世界を見ていくほうが、
苦労が多くても、確実に「もの」になる事が多いと思う。
その自分の目線を、一番の自然体の目線を見つけられるように、
アタシは今日もこうして文章を書いてるんだ。
今のところ、自分を表現する方法は、書くことでしかないかなーって。
そう思ってさ。
アンケート出してきました、幸村です。
「ナデプロ!!」の公式サイトでは、ドラマCD各巻のアンケートが常時実施されております。
第一巻から購入している根っからのナデプロファンでありながら、
今一歩が踏み出せずに今までアンケートには参加しておりませんでしたが・・・。
昨日、アンケート出してきましたよ!
常日頃の感謝を述べてきました><
「ナデプロ!!」を世に送り出して下さってありがとうございますとかその他諸々。
そして壁紙頂きました~☆
樋口さん、可愛いっっvv
一巻が発売された当初、アニメイトさんの店頭であのジャケットを目にした瞬間から、
ものすっごい気になっていた「ナデプロ!!」。
ジャケットの色もそうだけど、スタジオのマイクを軽く振り回している赤眼のお兄さんが、
すごく印象的だった(笑)。
それに、赤眼のお兄さんは置鮎の兄貴みたいだし、イラストは氷堂涼二さんだし、
甲斐田姐さんも出てらして、非常に気に掛かっていた。
・・・から、買ってみた。(でもその時はもう、第一巻の初回限定は完売だった・・・/号泣)
で、今に至る!
・・・もう、幸村の人生年表を色で塗り分けたなら、
ここ数年間は「ナデプロ!!」半分「BLEACH」半分だろうなあ。
出だしから終わりまで、台詞がギャグ一辺倒で構成されているところに圧倒されたのを覚えています。
六月のSPCDは特に、幸村の中では一番の当りでしたなあ。
樋口さんの弾けっぷりが、もう痛快と言ってしまえるんじゃないかと(笑)。
段々幼稚になってきた樋口さんが、とっても微笑ましい。
そうだ!
「ナデプロ!!キャラソン?!」の樋口&八十科編で収録されている カラオケBOX ver.
これ、曲の合間合間の台詞は全て、アドリブだそうです。
アドリブー?!って、肝抜かれた(笑)。
もう、置鮎さんも泰さんも凄すぎ!(笑)。
そして思った。
「『グリーングリーン』の時と同じだったのは、やっぱり自然に出たからか?!」
それでも「・・・難しいな・・・」の言葉は樋口さんが言ったようにしか聞こえないところが凄いです。
ああー・・・。
あれはアドリブだったのかー・・・。すげー・・・。
もう脱帽としか言い様が無いというか・・・。
毎日聴いてるけど、これでまた違った楽しみが生まれそうです(笑)。
兄様小説に萌えている・・・もとい、燃えている~!幸村です。
偏(ひとえ)に、ラッシュと言えるところが悲しくもあるけれど(苦笑)。
書ける時と書けない時って、どうしてこうも違うのだろうか・・・。
自分には、常時閃きを得るというセンスが備わっていません。
瞬間的に、爆発するようにやってきます(もうちょい小分けにやって来てくれると嬉しい)。
だから、その機を逃すともう御終いなのでございます・・・。
今のように、家に居る間に降り注ぎ湧き出づる閃きは性質も良く、時間を取れるからPCで形に出来るのだけれど・・・。
電車の中で蓋を押し上げて湧いて出てきた閃きは、中々書き留める事も難しく、御陀仏になったりする。
だから、作家さんも漫画家さんも、他の芸術家さんとか、
創作に「閃き」と呼ばれるものを少しでも必要とするお仕事をなさっている方、
その仕事で長い間、身を立ててらっしゃる方々は、本当にすごいなあって思うの。
作家さんとか、物書きを生業になさっている方は特に。
イメージや構想を、常に文章にしないといけないってのは、幸村には出来ないもの・・・。
駄文であれば、誰だって幾らでも書けるけど、
起転結を以って文章も高尚に、尚且つ定められた期間に一定枚数以上の原稿を仕上げるなんて、
本当にすごいことなさっているなあ・・・って、
自分が小説を書く度に、作家の凄さを思う。
漫画家も同じように思うなあ。
生まれ持ったセンスって、こういうところで発揮されているのかなあ。
生まれながらの天才はいない。
ただ、生まれながらその道に関してセンスが良い人は、幾らもいる。
そのセンスをどれだけ磨いていけるか。
結局、天才と呼ばれる人達は、本来持つ力を養い、研鑽を積み続けた結果、そう呼ばれていると思う。
「もともと上手かった」っていうのは、「生まれつき天才」だからじゃなくて、
「センス」が良かったから。「勘」が良いとも言えると思う。
その「センスの良さ」を「天才」と言わしめるまでに持って行ったのは、本人の努力。
どの世界であれ、活躍なさっている「天才」と呼ばれる方々を拝見していると、思うの。
皆さん、すんごく練習しているんだろうなあって。
影の努力では、それこそ血が滲んでいるじゃないかと思うもの。
楽して手に入れられるものなんて、知れているんじゃないかな。
「本物」って、易々と手には入らないと思う。
短い人の一生でそこまで辿り着ける人は、一生を懸けて一つの事に専念した人だったり、
やっぱり人並みならぬ努力を重ねてきた人だったりするんだろうなあ・・・。
そういう人には、どうしようどうしようって迷いが無いよね。
「これだ!」って思ったら、トコトン追求していく。
衣食住に事欠いても、絶対に止めない。
それが、成功の何よりの秘訣なのかもしれないなあって、沢山の人の御話を聞いていると思う。
諦めたら、止めたら、もう何も続かないもの。
縁を拾うのも運が巡ってくるのも、兎に角続けないと拾えないし、巡ってこない。
「兎に角続けることですかね。縁を拾う為には、拾える場所にいないとね」
って、尊敬する人が仰ってたけれど、本当にその通りだと思う。
出来るなら、自分もそういう人間に近づきたい。
もしもなれたら、すっごく素敵だ!
だから、毎日毎日もがいてるけど・・・、今のところは空回りかな・・・。
でも、「絶対になってやる!」って思ってて。
・・・色々、野望がね(笑)。それに、約束もあるし。
何より、自分がそれを望んでるから。
「続けること」が全てに繋がるなら、続けるしかないと思うし。
「その瞬間その瞬間で『出来ること』しか出来ないじゃない。
だから、自分に『出来ること』をやろうって思って」
身の丈にあった物事しか巡っては来ないことは分かってるけど、
もっともっとって思ってしまう自分がいたりする・・・。
で、毎回毎回、一杯一杯になって、パンクしそうになるんだよね(苦笑)。
でも、今の言葉「その瞬間に自分が『出来ること』をやろう」っていう彼の言葉で、
一気に物の捉えかたが変わったの。
これは置鮎の兄貴の言葉だけど・・・。
彼、もうプロとして声優活動し始めて17、8年になると思います。
それでも、やっぱり本番とかで恐くなる時はあるんだって。
「置鮎さんは緊張とかしないでしょ?」って言われて、
「ううん。俺、今でもマイク前でたまに震える」
って言ってた。すんごくサラッと。
そのサラリとした言い方が、本当に現実味を帯びてて・・・。
びっくりしたよ!「まさか!」って、固まったもんね・・・。
特にデビュー当時とか、後ろに座ってらっしゃる先輩方の「気」に緊張したらしいけど・・・。
その時に、さっきの言葉を思ってたんだって。
「今自分にやれることをやろう」
無理しても何しても、自分の持っている中でしか表現出来ない。
なら、今の自分に出来ることをやろう、って。
すごいなあと思った。
その言葉を聞いて以来、アタシはすごく楽に局面に向き合えるようになったかなあ。
この考え方なら、何も恐いものが無い。
結果も何もかも、自分の実力次第だもんね。
誰の所為でもないから、言い訳出来ないけど、はっきりしてていい。
変なプレッシャーも感じなくて済む。
だから、アタシ自身が目指すレベルの人間になる為には、
まだまだ越えないといけなものがあったりする。
でも、置鮎の兄貴や甲斐田姐さんみたいに、
生きるヒントをくれる人に出会えてるから、
アタシはやっぱり、幸せものなんだなあと思う。
「こんな人になりたい!」って思える理想を持てることは、すごく幸せなことだと思うから。
そんな目標に近づく為にも、やっぱり続けないとね。
自分の信じることは、人生を賭けても構わないって思うものは、大事にしたいから。
思い出した、幸村です。
二日程前、何を書くつもりだったのか忘れたあの日、これを書くつもりだったのだ。
USEN(有線)のPRキャンペーン抽選で、二等を引き当てた。
これ・・・。
結局は御断りしてしまったのだけれど、当った時は固まった(笑)。
幸村はこれまで、近所のビンゴゲームやら学校の抽選会やらで、当った例がありません。
・・・けしごむとかなら俄かに(笑)。
だから余計にビビッたのだ。
その日、ワタクシは母の買い物に付き合っていたので御座います。
モールで目当てのものを物色後、ウロウロする親子(怪しい意味じゃなくて・・・)。
その時、USENキャンペーン会場を通過。
「ああ・・・。有線良いなあ・・・。家で聞けたら最高だよなあ・・・」
甲斐田姐さんの、英語講座が聞きたいんだっっ!!
あと、
甲斐田姐さんと竹内姐さんの有線ラジオ番組が聞きたいんだっっ!!
動機が不純なのはわかってるさ・・・。
でも、語学のチャンネルも沢山あるじゃんか・・・。
だから欲しいなあって。24時間だし。
でもスルーしてしまった(厳密には、母が先へ行ってしまった。)。
その後、どうしても捨てがたいサンダルに遭遇。
買うか否かを散々迷った挙句、買っても痛くて長時間は履けないだろう(買っても意味が無いとも言う)
ということで、涙を呑んでさようなら。
ああ・・・、あんなにラインが綺麗に設計されたサンダルが、あの値段で売りに出されていたのに・・・。
ワタシの嫁には来られなかった・・・。
後ろ髪を全部引っ掴まれてグイグイ引かれつつ、靴屋を去る。
そろそろ帰ろう、と言う母がアイスクリームを買っている間、
気に掛かっていたUSENの会場へ。
まだお兄ちゃん達がキャンペーン中。
フラ~っと通ってポスターとかを見ようとしたら、声を掛けられた。
「20歳超えてますか?」←USENのお兄ちゃん
え?と思いつつ答えると、抽選箱を差し出される。
ビール券が当ったらどうこうって言っていた。
へえーとか思いつつ、手を入れてボールを一つ取り上げた。
ピンク。
「あ、ピンク・・・。ビール券?」とか思ってたら、
「二等ですよ・・・?ピンク」
ええーーーーっ?!
どうやら、未発売のUSENチューナーとアンテナ、リモコンの三点セットが当ったらしい。
私はこの時思った。
これは、さっきの靴を買わんかった分のツキやな・・・!
くどい様ですが・・・籤引で何かを当てたことがありません。
ガラポンとかでも、参加賞以外出た例しがないもの。
まさか、通りすがりに引いた籤で10万相当が当るとは予期する筈も無く・・・。
一応、説明を受ける幸村。
向こうのベンチで、アイスを食する母。←アイスに一所懸命母。
それによると、何と有線は、
日本国内のラジオは勿論、世界中のラジオが聞けるとか。
有線全400数十局も聞けるとか。
何か、色々聞けるらしい。
「すごいぞ!欲しいぞ!」
と思ったものの、やはり現実は甘い話だけで済む筈が無かった。
・・・これだから、アタイはぬるい奴なんだと自分にツッコンだとも(苦笑)。
有線聴取可能装備(最新で未発売)をセットでプレゼント
&
入会金はロハ ←無料。
=
だいたい10万くらい浮く?
+
本来ならば二年契約が必要だが、キャンペーンで当った人は一ヶ月でも解約可能。
→
おいしいね!
でも、月々の料金6000円は必要。
これだ・・・。
これだった。
幸村が砕かれたのは。
そうだよな・・・。
著作権物の専門放送だもんな・・・。
そして冷静になる幸村。←金銭が絡むとシビア。
実際、一月6000円も払う程、聞くだろうか?
いや、聞かない。(即答)
だって、甲斐田姐さんの番組くらいしか聴かないだろう?
うん、そうだろう。(即答)
今の自分に、それだけ支払う余裕はあるのk―――
いや、ない。(質問より答えの方が早かった)
そんなチンケな理由で、折角の二等を断念したワタシ・・・。
でも、欲しいなあと思っていたものがタイミング悪く逃げてしまう時、
いつも思います。
「きっと、今の私には必要ないものなんだろうなあ」
USEN然り、あの超素敵サンダル然り。
自分に差し迫って必要ならば、かならずその「もの」は手元に落ちるようになっていると思うの。
何かしら理由があって、欲しくても手に入れられないものは、
まだその時期じゃないんだろうなって。
だから、余裕が出来たとか、本当に必要になった場合に買えば良いかなーって。
まあ、残念だったけどね。
幸村以外の御人に、大事にしてもらってくださいませ~。
届きましたよ!幸村です。
「ふしぎ工房症候群シリーズ 『鬱の行方』」
ああ、暗い!!(笑)。
本当に暗い・・・!(苦笑)。
全体的に何ともこう・・・兎に角、暗い・・・(笑)。
折角、調子の波が上がる周期なのに、また堕ちそうだ・・・(マジで)。
最後は希望的観測なのか、販売物故なのかは判じかねるけど、そうなって良かった><
あそこで逆にきてたら、あたしはもうこのCD、二度と聴けなくなってたヨ。
だってそれじゃあ怖いじゃん((ブルブル・・・))
でもね、アタシの経験を置鮎の兄貴が代わりに読んでくれてるみたいで、嬉しいかも。
設定や場面は違うけど、症状も気分も、同じだもん。
聴いてて、本当に自然と涙が出たよ。
感動したとか、そういう情緒的なものに心を動かされたんじゃなくて、
ただただ首肯するばかりでさ。
僕の場合は、鬱ではない別のものだけど、語られる心理経験は同じだから。
死にたいっていうのは、違うけどね。
ただ、鬱や自律神経の病気を患ったことの無い人がこの話を聞くと、
心療内科について誤解しかねない。
少なくとも、僕の知る方々は、こんな感じじゃない。
心療内科のドクターと患者は、生理的な一致不一致がとっても大事だと思うから、
自分と合わないドクターだと、通うのは大変だと思う。
その場合は、無理して通うより、病院を変えたほうが治療には良い。
あと、やっぱりこの作品は小説なのだなと思う。
現実のくだりは、そう簡単にはいかない。
そう言えば、本当かどうか分からないけど、鬱病は二週間で治るんだって。
「二週間、ただひたすら他人を喜ばせることだけを考え続け、行動し続ければ、治る」らしい。
人を喜ばせることで、自分の殻の中、自分の泥沼の奥へ堕ちていくことから回避するらしい。
確かに、「誰かの為に」と考えていれば、自分のことばかりでいっぱいいっぱいにならずに済む。
そうだろうなあ。人のことを考えてれば、自分にかまけてる暇なんてないもの。
でもそれは、他人に気遣う余裕があるなら、の話だよね。
もう、自分にいっぱいいっぱいになってるんだもん。
周りを見回す余裕があれば、一人で堕ちるところまで堕ちたりしないんじゃないかな。
「鬱病とかは、自分のことばかり考えてしまうからそんなふうにダメになるんだ」って、
心無い人に言われたことがある。
それは事実だとしても、本人には言うものじゃない。
あんたの心にしまっとくべき文句だ。
「だったらどうしろって?じゃあさ、もう何も考えずに苦しまなくて済む方法があるなら教えてよ。
俺だって、好き好んでこんな頭を抱えてるわけじゃない」
僕には、そんな気持ちしか出てこなかった。
逆効果以外の何物でもない。
そもそも、自分が何に悩んで苦しんで、不眠の夜にのた打ち回って、割れるような頭痛の所為で一日中うずくまって動けなかったり、昇った日が沈むことをただ待ち続けたり、覚えたくも無い絶望の感覚を覚えたり、碌に物も食えずにいるくせにたまに物を口にすれば決まって吐き気に襲われたり、生きてて何があるのか、自分はこのまま生きていけるのかさえ・・・
もうわかってないんだ。
その辺のテレビで見かじった文言を、知った風な口で
「あんたは自分のことだけを考えてるからそうなるんだ」なんて吐いたところで、
反感しか買わないよ?
あ・・・勢い余ってつい・・・。
言葉遣いが・・・;
でも、今がどんなに辛くても、鬱や自立神経系の病気は、
どんな道程を通るとしても、治る可能性の方が高いと思う。
その長い治療期間、大切なのは周囲の協力、姿勢、そして理解。
何か良くない状況にあって、それを乗り越えようと必死に心が叫び続けてることに、
自分が気づいてあげて、向き合うことが出来るか。
その人の心が、何かのきっかけでひきつけを起こしていることを、周囲が認めてあげられるか。
何とかしよう何とかしたいと懸命になっていることを、周りが察してあげられるか。
息継ぎ出来ずに一杯一杯になった人の心と付き合い、
その傷ついてる心が癒える、又は回復するまで、
どれだけ掛かるか分からない時間の中で、ずっとずっと支えてあげられるか。
そんなことが沢山起こる。
本当の意味で、周囲の人間の器がみえたりする。
鬱だとか自律神経の病気とかは、かからないと、わかれない。
どんなに理解しようとしても、人の心は分かち合えないもの。
それは、鬱や病気だけに限らないけれど。
イタミは、自分が感じた分しか分からない。
ちょっとやそっとの知識と感覚で物を言うのは、相手を一番傷つける。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
昨日、車内で噴出しました、幸村です。
それは、駅のホームに張られていたポスター。
「間の悪いツッコミと、電車内での騒ぎは困りもの。」
御尤もで!!(笑)。
一瞬目にしただけなので、少し表記が違うかもしれませんが。
非常に分かり易い標語でした。
この地域の人間のハートには、グッと来るね!(笑)。
遂に・・・遂に・・・!幸村です。
「ナデプロ!!キャラソン!?シリーズ Vol.1 樋口&八十科編」
著作権 : 元氣プロジェクト、氷堂涼二
発売 : 2007.08.24
発売元 : マリン・エンタテイメント
MMCC-4126
定価 : 1995 円
あちゃちゃちゃちゃー・・・(Not ブルー・スリー)。
遂に樋口さんと八十科さんは・・・皆の前で曝け出してしまった・・・。
素を。
素を。
素 を !
「んんっ(←咳払い)。あい(←低い)、ん、ん、あーーーーーーっ(←高い)、あ、あい(←低い)」
※カラオケで、上手く声が出ないらしい。
「・・・難しいな・・・」
※音の取り方が難しいらしい。
↑知っている人は知っている「ラジプリ」でかつて「グリーングリーン」を歌った兄貴が零した、
「・・・低いな・・・」とまんまだった(笑)。
こんな感じで、間奏になる度に樋口さんの呟きが入る。
・・・これが何よりのツボ(笑)。
そんな樋口っつあんを傍目に、「はあ、気持ちいいvv」と満足そうな八十科さん。
樋口っつあん、物凄く一所懸命なんだよな(笑)。
歌詞がどうとかデュエットのあれがどうとか以上に驚き(笑い泣き)。
・・・多分、彼等はこれが公開されるなんて知らなかったんだろうな(笑)。
だって!何さ、これ?!レコーディングと全然違うじゃん!!(爆笑)
でも、俺はこの、極端に油断し切っている二人が好きだ!
何か、彼等も 一応 人間なんだなと思えた(笑)。
そして、八十科タンバリン最高(爆笑)。
そしてそして、タンバリンを鳴らしているであろう貴方のビジュアル系の歌い方と素の歌い方の差が素敵(笑)。
っていうか、この二人は、二人きりで普通にカラオケに行くのだな。
やっぱ・・・これもM費で落ちるのか?
Motivation費の方なのか?
・・・これは収穫だろう?!
小説を書く日の為のメモに入れておかねば・・・! ←そこ?
こんなボーナストラック、俺が買ってきた今までのCDには無かったぞ。
しょっぱいね(笑)。すんごくしょっぱいよ(笑)。
多分、樋口さんと八十科さんにしてみればこれまでの何よりしょっぱい筈だ(笑)。
ツボは素だったことだけど、一番驚いたのは・・・八十科さんは、ビジュアル系、という事実(仰天)。
樋口さんの遠慮ないS度調の歌詞より驚きだ(笑)。
一瞬間、「これ誰?!」って思ったもの。
幸村のイメージでは ムード歌謡 なのだな、八十科さんは。
すんごく上手そうだけどなあ・・・、ムード歌謡。
以下は、端的に述べておこうかな(笑)。多分、長くなりすぎるから・・・。
・ このCDは第一弾なのに、REMIXというところがナデプロらしい!かも!(笑)。
・ 意外だった!八十科さんがこんな感じで歌うとは!
・ 樋口さんを茶柱でスルーする八十科さん。
・ 上手いこと樋口さんをよいしょして乗せている八十科さん。
結論。
やっぱりどうみても 八十樋 。 (あれ、話ズレてません・・・?)
曲の質は・・・あまり高いとは言えないかと・・・。
キャラソンとして把握するならこのくらいが平均的なのかもしれませんが。
うん、でも正直なところ、少し期待外れだったかなあ。
いやいや、楽しませてもらえるのですよ!それは確かなのだけれども・・・。
んー・・・。やっぱり、「キャラソン」ってこういう感じなんだなーと・・・。
質の高いキャラソンを持つ作品もあることはあるけど、やっぱりそういうのって極僅かですよね。
歌が本筋じゃないから、仕方ないのだろうけど・・・。
それでも、このCDは、樋口さんや八十科さんを愛しているなら聴く価値はありますよ!
結構ネタが多いし、芸が細かいし(笑)。特にCDの帯とか(笑)。あと歌詞とか(笑)。
そういうところに力を入れはったんかなあとか思ったり。
うわーーーーーーーーーーーーーーー!!!!ゆ、ゆきむらで・・・す(ぐはっ・・・)
あ・・・あの・・・!!これ!!!試聴できちゃったりして!!!!!!!!!!
そんでもってもう俺聴いてたりして!!!って言うか今もヘッドフォンで聴いてるんやけど!!!
すんごい歌なんやけど!!!え?あ、そう!歌詞が!!!
「樋口龍 濃縮還元100%」・・・みたいな(笑)。
歌ってるけど樋口節全開で(最早樋口さんが喋ってる時と変わらんのが恐ろしい)、しかもあの台詞しっかり入ってるし、「何様だよ!」って言われた時に叫んだ「何様だと?きまってるだろう、樋口サマだ!!」の
あの傍若無人(常にそうやけど)っぷりがしっかり歌詞に反映されてる!!!
ありがとう、氷堂先生!!流石です、氷堂先生!!万歳、氷堂先生!!(樋口さんの曲は氷堂先生が作詞)。
置鮎の兄貴の話によると、
「『ドSの歌詞だけど爽やかな歌』と言われたものの、S度を強調して歌ってみた」らしい。
早く全貌をこの耳に!!あと二日だ!!
しかしまあ・・・。
この収録曲目、すんごい豪華やね・・・。っていうか!!態々カラオケBOXで録音したわけですかい?!
・・・なに?っつーことは、樋口さんの歌、カラオケに入ってるんや?!
・・・うへへへへ(不審人物一名!)
でも、ここまで役者のことを思ってくれてるマネージャーさんってすごいと思うなあ。
何だかんだ言っても、樋口さんって優しいよね。やり方に問題があるだけで・・・(笑)。
この歌聴いてうるっときたとか、自分でも信じられへんわ(笑)。←何にどう感動したんか自分も分からん。
この俺様的ソング、早くほしい!!
そして歌いこなしたい(笑)。部分部分、音の飛び方が難しそうやけど。
・・・何も言うな。俺はもう何も言わん。
兎に角、いってらっしゃい。
http://www.marine-e.co.jp/marine.html
マリン・テンタテイメントHP内 ナデプロ!!ページ。
(24日発売の「樋口龍&八十科悠編」のキャラソンの一部が試聴可。
あと、キャストの置鮎さんと泰さんのインタビュー記事もありました。)
ヘッドフォンを使うと、歌詞もきっちり聞き取れるヨ!!
「ナデプロ!!」CD情報の詳細は、プラグイン内の
リンク or 目下応援中! にある「ナデプロ!!」関連から。
ああーっ、早く聴きたいいーっ!!幸村です。
はあ・・・。
まだかまだかと首を長くしていましたが・・・。
焼けるようなアスファルトに這わせるほどに伸びたこの首ですが・・・。
その我慢もあと七日かあ!
早く24日にならないかなあ。
しかし、近々幸村の町からレコード店が消えてしまいます。
フッ・・・(失笑)。
CD一つを買うために、車が無ければ行けません。
・・・一体何処まで足を伸ばせと言うのだろう(苦笑)。
でも、樋口さんと八十科さんのCDは、
お医者さんの帰りに買って帰ります。
ええ、いつもの店で(笑)。
・・・幸村母が同伴することになるかもしれないのが、
ちょっとヒヤヒヤするんだけどな・・・。
あの店内を見て彼女が何をどう思うのか・・・。
あの感じが心地よい私には想像がつきませんけど(苦笑)。
まあ、然して問題はないかと・・・。
「こんな御店があるんやなあ!」と、彼女が心底感心する・・・と、俺はよむ(笑)。
「めちゃくちゃ熱いから買っとけ!must buy !」とファンに言わせた二人のCD。
「年甲斐も無くあんな歌を歌ってしまいましたが」と八十科さんが言ったCD。
・・・樋口さんがどんな歌詞でくるのか、兎にも角にも何よりそれが気になるゼ☆
CDを買ったら、絶対に聴き続けちゃうだろうな(笑)。
樋口さんのようにマイクを握る小指をピシッと立てて、カラオケで歌えるようになろう(笑)。
でも、カラオケに入るのかな・・・。
出だしは暗いけど希望を語ってるんで徐々に上向きになる内容です、幸村です。
例えば、失敗を許されないとしたら。
きっと、あの瞬間までの僕なら、
「じゃあ、ある程度先を見越すことが可能なこっちでいいや。安全だし」
と、誰にも見抜かれない自信を以って塗り固められた作り笑いを浮かべてた。
「本心」よりも「体裁」が大事。
他所様の眼、世間の風当たりに拘る周囲を想像しながら、
弁解と言う名の弁明を都合良く並び立てる。
小さい頃から無意識の行為になってて、
それで周りを納得させる事に何ら問題は無かった。
でも、自室で一人の時、軽蔑を籠めて薄く笑う。
勿論、自分自身に。
だけど、そんなことにももう慣れた。
自分に愛想を尽かせれば、何も悩むこともなかった。
諦めと絶望を身につければ、結構楽に生きられる。
例えば、彼等は反対するだろう事が、火を見るより明らかだったとしたら。
きっと、あの瞬間までの僕なら、
「彼等がそう望むなら、それでいい」
と、「良い子」を演じているつもりでいた。
だって、何言ったって仕方ないもの。
こっちの話、真剣に聴いてくれたことなんてなかったし。
だから、いつの間にか、彼等に自分の夢は語らなくなった。
いつだって聞き分けの良い「優等生」でいるだけで、
向こうはとっても満足そうだった。
「自慢だ」って。
だから僕も満足そうに笑ってみる。
「良かったね」って。
限りなく他人事として捉えられるようになれば、
自分に嘘を吐くことくらい、何も感じなくなる。
でも気づく。
いや、やっと受けとめたんだ。
自分で自分の 「心」 を、抱きしめただけ。
それまでだって、
自分の 「本心」 なんて眼を瞑ってたって抉り出せる程、
痛いくらい分かってた。
臓物が口から出そうな程。
気持ち悪いくらいに。
ずっとずっと、もう一人の自分を監禁する気持ちで押し込めてた。
気づいたんじゃなくて、その扉を、抑えきれなくなっただけ。
多分、自分が進歩したとか正直になったとか、そんなんじゃない。
もう、限界だった。
それだけ。
口癖になってた。
「あの頃は、夢は夢でしかなくて、現実じゃなかったのに」
「夢は理想であって、苦しむ為のものじゃなかったのに」
限界にくるずっと昔は、こうなりたいっていう夢を思うと、
楽しい気持ちになって、ワクワクして、ドキドキしたり、すっごく楽しかったんだ。
理想の自分を頭に描くだけで、「心」が温かくなった。
でも、限界に近づけば近づく程、
夢はドス黒くて、「心」を押し潰す為の重い重い鉛でしかなくなった。
僕は、それに耐え切れなかっただけなんだ。
「心」を、得体の知れないものへ変わっていく夢に食い破られていた。
食われる痛みに、耐え切れなかっただけ。
必死になって重い鉛を押し返してたけど、ダメだった。
ある時、音も無く潰れちゃった。
何かの拍子で、とか誰かの一言で、とかじゃなくて、
不意に潰れた。
そしたら、それまでシカトし続けた所為で溜まりに溜まったドロドロしたものが流れ出しちゃった。
「心」が押し潰されると、表面の薄い膜が破れちゃう。
僕の「心」は、まあるい形だった。球体。
害毒に変わった夢に押し潰されて、破れて形を失った中から、
これまで偽ってきた御陰で膿んでしまったらしいものが出てきた。
でも、見ていられるから不思議。
おぞましい光景でも、汚い景色でもないんだ。
「心」はもともと浄化されているものだから、
何て言うか・・・気持ち悪いとは感じない。
今になって思うけど、
あの当時、夢が「心」を押し潰すことになったのは、
とても大事なことだった。
これ以上膿み切れないってところまで膿んでしまった「心」の中身を、
一斉に洗い出してくれた。
ほら、表面は常に浄化されてるから、中がどうなってるのかなんて、
自分じゃ分からないからさ。
夢が潰してくれてなかったら、今頃はもう、僕の「心」は内側から腐ってた。
腐敗したものの辿り着く先は、一つしかない。
膿なら出せば傷口だって再生するけど、
腐ってしまうと、手の付けようが無い。
新しくなったまあるい「心」は、
再生する時に、自分を救ってくれた夢を中に包み込んだ。
「あれ、そんなとこで何してんの?」って。
・・・暢気なもんだよなあ、僕の「心」も。
「キミ、随分黒ずんでるね」って。
「あー、一人なの?じゃあ、一緒にどう?」って。
・・・寝ぼけてる訳じゃないんだけど、
どうも生まれ変わった僕のまあるい「心」はのほほーんとしていて、
眼が覚めたときに隣にいた少し焦げ付いた夢を、
何とか助けてあげないと!って思ったらしい。
「ねえ、こっちおいでよ」
ずっと、夢はその言葉を待っていたんだと思う。
「心」に、声を掛けてもらいたかったんだと思う。
幸村の中で、自分の夢を叶えたいと思うことは、
何となくだけど、禁忌とされていた。
だから、夢はずっと、「心」の中に入れてもらうことが出来なかった。
だって、「心」と一つになると、幸村は夢を求めることになるもの。
ずっとずっと、何年も何年もひとりぼっちだった夢は、
生まれたてで寝起きの「心」に仲間になって良いよって言われて、
ぽよんぽよんって弾んで喜んだ。
夢は、喋れないの。
幸村が描く、理想や空想でしかないから、実態が無い。
だから、「心」のように口を持たない。
ただ、形は「心」と似た感じの、まあるいもの。
でも、影はないの。
優しく柔らかくなった「心」が夢を包み込んで、
もとあった場所に戻り始めたら、
そうしたら、どんどん自分から輝きだした。
それまでシカトされて黒ずんでた「心」が、
僕に眩しいくらいの光でその存在を訴えてくる。
それは僕に、紛れも無い「本心」を認識させた。
「僕は、これを実現させたいんだ」って。
「本当は、この夢を叶えたくてもうどうしようもなくなってる」って。
実際、その当時は本当に生きた屍で・・・。
やっと、自分の「心」を直視した。
その瞬間、覚悟が生まれた。
「毎日毎日言ってるじゃん、いつかは死ぬって。
だったら、一度っきりの人生、博打をするのもありだろう。
『夢は夢でしかなかった』なんて、逃げてるだけだよな」って。
「兎に角、出来るところまでやってみようよ。
他人がどうこうじゃなくて、純粋に、自分はどうしたいのか。
それを、きちんと見定めなきゃ。
挑戦してたらどうなってたのかな、なんて
しみったれた後悔を一生引き摺るなんて真っ平御免だもの」って。
覚悟を決めた途端、苦しんでいたものが一切取り払われた。
「あれ・・・。生きることって、こんなに体が軽いものだったっけ?」って。
あの瞬間って、一生の内で見る一番のターニングポイントだと思う。
幸村が「心」から「覚悟」と呼ぶものは、生半可なものじゃない。
人生を賭することが出来るもの、それを「覚悟」と呼ぶことにしてる。
ただ、
僕には後が無い。
それを選んで突き進むなら、
その道程で失敗は許されない。
生きていくためには、大成する以外道は無い。
きっと、以前の僕ならそれはプレッシャー以外の何物でもなくて、
後退りして直ぐにでも手放してた。
今はね、覚悟があるから、怖くないの。
そりゃあ、不安は沢山あるけど、
上手くいかなかったらどうしようなんて悩む余地なんてありはしない訳で・・・。
「大成させればいいだけの話だ」って、今は思う。
だったら、やるしかないじゃない!
それに人生を賭けたこの夢を叶える目的は、自分の為だけじゃない。
幼い頃から誓ってることも、これの中で実現させないといけない。
色々、背負うものが多い。
だからもう、進むしかない。
正直言って、自分にはそれしかないとも思ってる。
あとは、自分の努力次第。
人生を賭けたんだ、命を託したも同然なの。
失敗したら、命は無いと思ってる。
いや、実際生きていけないんだよな・・・。
だから、すごく強気になれてるんだと思う。
このモチベーションを保ち続けていられるかどうか。
それが、僕の人生を支えられるかどうかと直結するなあ。
「心」が夢に押し潰された日、
僕は本当に生まれ変わったと思う。
ッシャ!!幸村です。
密やかなガッツポーズ、御覧頂いたと思います。
(冒頭の「ッシャ!!」を言いたいらしい。)
声が、確実に低くなってます。
ああ・・・。
これが努力の賜物というやつですね・・・なんて、
一人で感動に浸っていられなかったので、友人にメールしてみたり(笑)。
正確に言うと、
「低い声が出るようになりました」
又は
「低音域が拡がりました」
ですが。
遥か以前、書店で拝見したヴォイストレーニングの本に
「高音域は拡げやすいが、低音域は拡げようとして拡げられるものじゃない」
というような記述を眼にしました。
確かに、カラオケとかで歌いこめば簡単に高音域の地声は広がります。
←実際、地声の高音域はカラオケで伸びた。
そして低音は、出るようにはならなかった。
だから、諦めていたのだけれど。
甲斐田姐さんの音域の変化を聴いて、思い込みに気づいたの。
「ああ、あの本が書いてたのは、短時間での低音域の拡大は難しいってことだよな」と。
実際、低い声を獲得する為に努力し始めて四年経って、
ここにきて、一気に伸びた・・・気がする。
テープ録りしても、断然低い。
数ヶ月前まで苦しかった声が、今はすんなりでるようになった。
もう、本当に嬉しいですよー。
これは本当に、これまで頑張ってきた甲斐がある・・・。
・・・地声はもともと低かったけどね。
生物学的な同性と比べれば。
でもまあ、全てはこれからですよ。
理想通り、斎賀みつきさん並の低音が出せるようになったとしても、
それを保っていられるように、ずっとずっと、
今の意識と我流の訓練は続けないといけない。
練習を怠ると、きっとまた出なくなってしまうから。
でも、低い声を出す為の苦汁なら、幾らでも嘗められる。
だって、これまでずっと願い続けてきたものを手に入れられるんだもの。
その為の試練なら、大した事ないよ。
自分の人生だって、夢だって、何だって同じ。
本当に望んでいるものの為なら、辛いとか苦しいとか感じないはず。
周囲から見れば痛々しい光景でも、
本人にすれば楽しくて仕方ない場合もあるんじゃないかな。
そりゃ、色々と苦労はしてるんだろうけど、
それが気にならない心境にあると思う。
アタシにとって、低い声を出せるようになりたいっていう「夢」は、
そんな感じ。
これからも、大切にしていきたいなあ。
御達しですか・・・、幸村です。
いや・・・もう何度もここで嘆いているけど、今日ももう一度・・・。
「ナデプロ!!」の二次創作サイトさん、何処ーっ?!
範囲が広すぎましたか。
訂正しましょう(って、訂正するもなにも、ナデプロの二次サイトさん自体見つけられてないけど)。
八十樋サイトさん、何処ーっ?!
・・・もう、これは・・・そうなのだろうよ・・・。
イベントに中々いけない私。
友人にぼやいたことがある。
幸村 「BLEACHの同人誌、兄様受けの本・・・中々売ってないんだよね・・・」
友人 「それはもう・・・ねっ☆」
幸村 「!!!」
友人は、「それはもう、自分で描くしかっ!」と、笑顔で言っていた・・・。
多分、ナデプロもそう・・・。
これほど求めて見つけられないなら・・・自分で描くしか・・・じゃなくて、書くしか・・・。
流石に、兄様の方も樋口さんも、幸村に漫画は難しい・・・。
小説か・・・。
八十樋小説か・・・。
この前、オフ友とチャットをしたときにもすんごい話で盛り上がったんだよな・・・。
八十樋・・・。
この辺で、真剣に八十樋ネタを考えてみようかしら・・・。
いや・・・でも・・・アタシは他の人が書いたものを読みたいんだよね・・・。
自分で書いても、問題解決にならないよね・・・(今頃気づいた)。
うん、でも、頑張ってみる!
またレッスンに行きたいなあ、幸村です。
自慢だが!
小一くらいから接骨院や鍼灸院に通っているんだ。
小児料金って、本当に安かったよ。
学生も、結構安かったよ。
大人料金になったら、急に上がったぜ・・・。腰以上に痛いかも(苦笑)。
接骨院の先生曰く、腰と接続する辺りの背骨が歪んでいるらしい。
・・・へ、へるにあ・・・?とか思ったら、そうでも無いらしい。
ええ、ええ!そりゃもう!!昔から色々と腰痛には悩んでるさ。
肩凝りとかもすごいです。・・・児童の頃から。
一時期大変だったこともあるんだよねー。
でも、僕の場合は腰痛と言っても、腰の筋肉じゃなくて、骨が痛いんですよ。
椎間板関係?・・・やっぱりヘルニアなのかな・・・。
最近は落ち着いていて、御無沙汰してますけど。
あー、でも、長時間の電車は流石にツラかったなあ。
何とか保ちましたけどね!
昨日書いた低い声の為に腹筋を意識して使うようになったから、腰にかかる負担が減ったのかも。
兎に角、腹筋が弱くてね;
それが腰を悪くする原因の一つにもなったんですよ。
んー・・・中学の頃が一番酷かったかな。
ヴァイオリンを構えることも出来なかったもの。
そう、この楽器、結構腰にくるのよね(笑)。アタシみたいに腹筋が無いと。
だから先生と相談して、御椅子を用意してもらったりしたなあ・・・。
ああ、懐かしい・・・。辛かったけど、いい思い出。
ヴァイオリンって、きちんと構えていれば、全身の筋肉が鍛えられますよ~。
御陰で、ヴァイオリンを必死にレッスンしていた頃は、体が締まってたもの。
レッスンの時間を減らした途端、太りました。
指が顕著だったな。あと、腕も。
毎日毎日必死になって弾いてた頃は、指も腕も引き締まってたもんねー。
あー・・・また習いに行きたい・・・。
自分で譜面を買って練習したりするけど、直してもらえないと進歩してんのかどうか分からなくて・・・。
カセットに録って聴いたりするけど、やっぱりレッスンしてもらうのとは違うんだよね。
それに、習ってた頃って、まだまだ音楽に対する感覚が鈍かった。
先生が「ここはもっと優しく弾くといいと思うよ」って仰っても、ピンと来なかった。
「優しく」って言われるから優しく弾いてた。
言われた通りに弾いてたけど、自分がそれを理解していたのかというと、
答えはNo。
「表現する」ということの本質を理解し始めたのは、つい最近なんだ。
昔から、感受性が高いねーなんて言われてきたけど、自分が音楽を奏でる時に「こうしよう」「ああしよう」っていう転換が無かったなあ。
音読に関しては小さい頃から表現方法には拘ってたけどなあ・・・。
・・・何で音楽にそれを反映させなかったのだろう・・・。
ここ数年、自分の中で「心」について色々と問題を処理する必要に迫られてる。
それまでの十年くらいで蓄積されてきたものが、行き場を無くして一気に壊れただけなんだけど。
その状況を以って、何だかんだで一つ二つと山を越えた辺りで、
初めて自分から「こう弾きたい」「もっとこうしたい」って思うようになった。
それは、ヴァイオリンを弾く時だけじゃなくて、何をしても思う。
うまく表現したい、とかじゃなくて、
本当に自然と「ここをこう弾きたい」って、心の核から湧いてくる。
何だろう?
それを、「心」が求めてるって言えばいいのかなあ・・・。
感じることと表現することが、一つになってきたのかな?
だから、今ならヴァイオリンのレッスンも、本当に楽しみながら出来ると思う。
表現方法を追求することを、自分の中でしっかり認識出きるようになったから。
昔は、先生に弾き方を直されたり、力強くとか泣くようにとか言われてもよく分からなくて、完全に受身のレッスンだったけどさ。
これからなら、もっと貪欲になれるんじゃなかなあ、って。
直されるのも楽しくなると思う。
腰痛も、大分ましだろうし(笑)。
まあ、それもこれも、現状を打破しない限り不可能なんだけどね~。
でも、夢って、沢山あっても良いと思うから、いつかまた習いに行けるといいなって思っておこう。
「出来ないからなー」って、そこで願望を捨てちゃったら、何も残らないしね。
叶う、叶わないが大事じゃない。
「これがいいな」「こうなったらいいな」っていう想いを、諦めずに持ち続けることが本当の価値を持つようになると思う。
価値って、後になって分かったりすることが多いからね。
時間をかけて高まるものもある。
勿論、その瞬間にしかない価値もあるけど、「その瞬間が一番値打ちが高かった」って分かるのは、ずっと後になってからだったりする。
やっぱり、何よりも「諦めない」ことが大切なんじゃなかな。
沢山沢山夢があるなら、ずっとずっとその想いを大切にすればいいと思う。
実現させたいなら、無論のこと、その夢に見合う努力と覚悟が必要だけどね。
それでも、覚悟が出来ないから、とか努力するの苦手なんだよね、とか言って捨てちゃうのは、一番いけない。
叶わないって諦めるのは、早いと思う。
人生が幕を下ろす瞬間までは、早い。
そりゃ、年齢とか性別とか、制約は沢山あるけど・・・僕の場合、声だけを男声にしたいなんて言っても難しいけど・・・。(調べれば方法はあるだろうけどね)
諦めちゃったら、そこで御終いだもの。
何も続いて行かないじゃん。
命と同じ。
だからね、幸村は、夢があるならずっとずっと大切にしていきたいなーって。
色々困難はあるだろうけど、今すぐには叶わないけど、
超える谷や山の数が多ければ多い程、行き着いた時の喜びは大きい筈だから。
夢見てきたものと叶えたものの理想と現実が違うことは、あるけどね。
「私が願ってきたのはこんなんじゃない」ってことは多々ある。
私の短い人生にも、そんなものは幾らでもあった。
でも、それでも、そこに行き着く過程で起こったことでその人にとって無駄になるものは何一つ無い。
んー・・・、言い方が適切じゃないな・・・。
「無駄にさせない」って意識が無いと、無駄になるものばかりだから。
それはもう、その人自身の自己を研磨する意識の違いだから仕方ないけど・・・。
意識が高い人にとっては、全てが、そこから先の自分の糧となる。
人生において、意味の無い事なんて本当は無いんだもん。
意味を持たないと思うなら、自分で意味を持たせればいい、生み出せばいい。
他人に意味を与えてもらう事を待つ人は、いつまで経っても変われない。
自分自身も自分の人生も、自分じゃないと変えていけない。
だから、夢があるなら、
今は無理でもこの先どうか分からないんだし、ずっとずっと持っておくといいと思ってる。
機会なんて、いつ巡ってくるか分からない。
チャンスが来た時、直ぐに出せるよう、いつも胸の奥で温めてるから、幸村の中には本当に沢山、夢があります。
そりゃもう、大きいものから小さいものまで(笑)。
自分にとってプラスになるものなら、抱えきれない程持って歩いたって、辛くないじゃん。
抱えきれない程の、すっごく素敵で大きな花束を両手に抱いて歩けば、すれ違う人達の反応も普段とは違うだろうし。
「あの子、何かやってるよ?」
って、興味を持ってくれたらシメタもんじゃない?
「そう!アタシ、今からスゴイことしちゃうから!!」
って、宣言しちゃえば、もう後戻り出来ないし、突き進むだけ。
そうすれば、どんどん自分を変えていけると思う。
本当の意味で開き直ったら、それまで気になって仕方の無かったことが何ともなくなる。
それくらいの覚悟を決めたなら、清水の舞台にも立てるだろうし。
そこまで行けば、何も怖いものないじゃない。
だからね(笑)。
沢山沢山夢を持って、色んな人たちに吹聴すればいいなって、ある時思った。
結構良い意味で、今自分を追い込んでるところ。
欲張りなんですよ、幸村はね(笑)。
選択を迫られています、幸村です。
いや・・・、自分は随分前から、覚悟は出来ています。
岐路に立っているけれど、迷いなんて一つもありません。
もういつでも、足を踏み出すことは出来る。
ただ、周囲の同意を得られるか否か、という問題が残るだけです。
いつも言ってます。
人生って、一度だけ。
現在の自分が生きる現世(うつしよ)での人生はね。
世の中には、転生や生まれ変わりという考えがあります。
幸村は、否定しません。あっても不思議ではないと思ってる。
自分の前世の一つは、平安時代の京人(みやこびと)だったと信じ込んでいるし(笑)。
そう考えないと処理出来ないことって、結構あるもん。
でもね、
例え幸村という人間が、来世で転生し、新しい人生を歩めるとしても、
それはもう、来世の人間の人生です。
今、あなたに言葉を届けている私じゃない。
だからやっぱり、ワタシの人生は、一度きりなの。
それは、あなたも同じ。
人生は、一度きり。
今まで生きてきた中で抱えることになった喜びも後悔も、死ねば消える。
それだけだよね。
「実像」として眼に見える形で残るものは、何も無い。
ビデオ映像や声は、録画、録音といった形では残るけど、
本人が抱えるもの・・・想いとか願いとかは残らない。
ただ、生前、後世の人々に影響を与えて、彼等の中に生き続けることは、出来るかもしれない。
その中で、自分の信念を受け継いでもらって、ずっとずっと引き継がれることはある。
実際、世を去った後も、人の心の中に息づいている人は沢山いる。
でも、
世に残った人達の中に残る様相は、その人たち個人の主観で見てきたものであって、
描かれている人自身じゃない。
幸村で言えば、「幸村を見てきた人が描く幸村」であって、「幸村本人」じゃない。
「私自身」は、何も残らない。
それが現実だと思う。
(分かり難くてすんませんです・・・。この説明が、今の私には精一杯・・・。)
それって、単純に考えれば、
自分の本当の味を味わうことが出来るのは、自分だけってこと。
当たり前ですけどね。
他人の人生の味見が出来るなんて聞いたことないし、出来っこない。
出来ても、美味しくないと思う。
美味しいと思えても、永遠に楽しみ続けるってことは出来ないと思う。
他人の人生なんて、あくまで他人のものだもの。
どんなに強請っても自分のものには出来ないんだから。
ずっとその味を舐め続けることは不可能だから、余計に疲れちゃいそうだし・・・。
死ねば全てが白紙になる。
どんなに嬉しかったことも哀しかったことも、痛かったことも苦しかったことも、
ひょっとすると今抱えている、その嫌なものも全てが、きれいに消える。
自分の中からね。
そして、自分という存在も消える。
でも、
それで終わりだよね。
私は、自分から命を絶とうと思ったことは無いし、
自身で命を投げ捨てるという考えを分かち合えない。
それは、「幸村」という人生を、ここで終わるのが許せないからに他ならない。
今の自分にも今までの自分にも、満足なんてしたことないし、
これからの自分を、どこまで褒めてあげられるのかは分からない。
自分を心から愛してあげているとは言えないし、
今の自分、これまでの自分を許してあげることも出来ないまま。
だから、まだ死ねない。
今の自分に負けたまま終わらせるなんて、冗談じゃない。
幸村には、まだ遣り残したことが山程ある。
ただ、それだけ。
それ以外に、私が死にたくない理由は無い。
未練が残ってるんだよね、自分の人生に。
だから死ねないんだけど(笑)。
でも、それで充分かなって思う。
この歳で人生に何の未練も無く、自分の生き方に一片の悔いも無くて、
万事満足してますなんて、これからの人生ツマンナイだろうなーって思うから。
私が生きている、生きていく為の原動力の一部になってるかなあ。
「死にたい」じゃなくて、「消えればいい」と思ったことはあるんだけどね。
心が。
泡みたいに。
水が気体になるように、蒸発出来ればどんなに良いだろうって。
半年前、高校時代の友人と話してて、同じ想いを語った彼女に驚いた。
「この感覚、分かる人がいるんだ」って。
きっと、心が無くなれば、何も感じなくて済む。
そう思って、長い間生きた屍になってたけど・・・。
それでも、死ぬことは考えなかったな。
寧ろ「ここで死にたいって思える人は、楽だろうな」って思って羨んだくらいだから。
死ぬことに解決を求める事が出来るなら、現状がどれ程苦しかろうと、
「心」に逃げ場があるじゃない。
それは、「心が生きている証」だから、もし死にたいって思ったとしても、行動に移しちゃいけない。
逃げようとするその「必死な心」を、誰かに知ってもらおうとすることが先決。
逃げることは、この場合、何も悪くないと思う。
もがいてるだけだもん。
現実逃避と呼ばれる逃げる姿勢とは、まったく違うものだから。
それは、心が泣き叫ぶ衝動だと思ってる。
手に負えない激情は、通念で把握出来やしない。
言葉も体も、頭だって、対処しきれないことがある。
人間は、自分が知ってる事象でしか感情を表現出来ない。
極限まできた感覚を解放する為の方法を頭の中で考えると、
どれも自分が望む程満たしてくれなくて、
最終的に、行き着いてしまう。
「そっか。自殺しちゃえばいいんだ」
行き詰った人が自ら命を絶つには、もっともっと、色んな道程があるだろうけど、
私が経験した感覚からすると、こんな感じ。
私の場合は、命を消すことより、心を消すことだったけど。
この流れだったかな。
ずっとずっと、出口も見つからない中で悩んできて、
どうしようもなくなった時、ふっと思いついた。
「そうだよ。心がなけりゃ、楽になれるんじゃないの?」
これが、私にとって全てと言える答えだった。
ぐにゃぐにゃした道を、息を切らして必死に何かから逃れようと走ってきた。
真っ暗で何も見えないし、足元だって見えてやしないけど、
兎に角怖くて、怖くて耐えられなくて走ってた。
行き着いた場所は、行き止まりだった。
そこで、自分の心や精神が崩壊しないようにって、
それはそれは一生懸命になって考えた。
どうしよう、どうしようって。
足は、まだ走ってた。
足踏みでもしてなきゃ、おかしくなりそうだった。
もうダメ、こんな場所に居るなんて限界だ、でも先へは進めない。
引き返すなんて出来ないよ、何が追いかけてきてるかわからないもん。
そうやって、足踏みすることも出来なくなってきて、しゃがみこんで頭を抱え震えてた。
一瞬だった。
それまでの不安も恐怖も、何も感じなくなった。
その時、思いつく。
「消えればいい」
それが分かれば、もう何も怖くなかった。
物を考える余裕なんてハナから無いから、一つ思いつくと、それ以外に案なんて浮かばない。
あとは、どうやってそれを実行するかってことにしか、頭は働かなくなる。
その考えが、この世界に残された最後の手段だって、思い込んでしまう。
あの時、友人(特にいつも傍にいてくれた二人)がいなかったら、
彼女達があの世界の外から呼びかけ続けてくれていなかったら、
私は今頃どうなっていたか分からない。
いつだって、幸村は、周りのみんなに助けてもらってる。
簡単な、私の心理的体験描写だけど、自殺したいって思う人も同じような感覚なんじゃないのかなあ。
私には、根気強く壁を叩いて外の世界の存在を知らせてくれる友人が二人もいたから、救われたけど・・・。
ただ、そんな状況でも、一つだけ信じて止まないことがあった。
信じてるって言えば聞こえは良いけど、
正直なところ、そうありたいと願って止まないだけ。
「自分には、未来がある」ってこと。
命なんて呆気無いものだから、自ら命を絶たずとも、
その蝋燭の火が消えてしまうことはあるだろうけど、それでも、
自分には、きっと未来があるんだって、願ってた。
あってほしい。
死にたくない。
それだけ。
自分の事を愛してあげられるようになるまでは、終われない。
率直な言葉で言うと、
妥協や諦念、挫折や失意のまま、幕を下ろしたくないだけ。
だから今回は、どうしても譲れない。
それを選択したことで、どんな現実を見る破目になるのかなんて分からない。
・・・楽は出来ないだろうことは、難なく想像がつくんだけど(笑)。
でも、それを恐れて安穏な道を選択すれば、
もう一方を選びたかったという気持ちを、一生引き摺り続けることは目に見えてる。
それは正しく、火を見るよりも明らかだと思う。
後悔は、抱えるものじゃなくて役立てるもの。
どうせ忘れられないんだ。
だったら、容量の少ない頭に居座ってる家賃分くらいは働いてもらわないと。
役に立たないなら、役に立つようこっちから仕掛ける。
これまでの人生、散々同じような砂を舐めてきたのは、
ここで反復を招かない為だと思う。
いい加減砂の味覚えろよ、みたいな(笑)。
何べん舐めたって旨くはないんだからさ、って。
遅かれ早かれ、抱えたものが零になる運命なら、
この辺で、今まで溜め込んできたマイナスに助言をもらって、
今をプラスに導けるよう、踏ん張ってみるのもいい。
その後の跳躍が、ほんの少しでも。
飛距離が少しだって、進む事にかわりは無いんだし。
自分が「よかったな」って、どれだけ微塵であっても感じられるなら、
その瞬間の踏ん張りは、無駄じゃない。
そこで踏ん張って命が永らえたなら、それこそ儲けものだと思う。
命があるうちしか、出来ることは出来ないんだもん。
あー・・・。
人生ってほんと、難しいよね。
だからこそ、楽しみ甲斐があるんだろうけど。
※今回は字数が多すぎて、一度にup出来ませんでした(吃驚)。
三面に亘って記事を投稿してあります。読みにくいですが、お許し下さい。
さあ、覚悟は良いですか?
今日は、トコトン書いていますよ?
今日の幸村に、「遠慮」と言う二文字はありませんよ?
結構言葉遣いも荒いですよ・・・(それを踏まえて下さい)。
持久力がないと、最後まで読みきれませんよ?
軽く、八千字は超えてますよ?(400字詰め原稿用紙にして、軽く20枚以上)
さあさあ、幸村の思いの丈、読みきれますかー?(笑)
毎日これくらいは書きたいんですけどね・・・。
これだけ書こうとすると、二週間程かかるので(←実際にかかった/苦笑)、毎日は無理です。
折角の一周年ですし、まあ、たまには・・・ね。
甲斐田姐さんじゃないけど、
「してはいけないことをやっていこう!」
の精神で参りたいと思います(笑)。
御付き合い下さい。
では―――
おはようございます!こんにちは!こんばんは!
一周年、ありがとうございます、幸村です。
これも偏(ひとえ)に、ここに訪れて下さる方々がいる御陰。
誠にありがとうございまする。
だってだって!
こんな一個人の、何てことない筆を読んだり見たりしてくれる人がいると思うからこそ、
blogなんてもんを続けていられる訳だもの。
だーれも見に来てくれないなら、早々に畳んでいたでしょう。
でもね、
やっぱり自分の言葉って大切で、どうしても発信したいなあって思うの。
それが、何かを変える力だとか、力じゃないとかは関係ない。
ひょっとすると、誰も来てくれなかったら、「いつかHPにしてやる・・・」って、密かに書き溜めていたかも(笑)。
でも、それでもblogを畳んでいたことには代わりないからね。
ほんと、感謝です。
自分から発信したいって言う想いは、小さい頃からあるんだよね。
んー・・・「女」だから・・・なのかなあ?
違うかな・・・(苦笑)。
その辺はわかんないけど、どちらかって言うと「聞いてほしい」より、「言いたい」「伝えたい」って気持ちが強いのね。
でもきっと、「言いたい」って気持ちは、「聞いてほしい」とイコールなの。
表現が違うだけかもしれない。
でも!でもですよ!
表現が違うと言うことは、用いた言葉に籠められている 「伝えたい気持ちの重心」 の位置が違うってことなのね。
特に、幸村が文字に起こしたもの、こうして文章にしたものは。
「言いたい」って言葉と「聞いてほしい」という 意味 は同じだけど、
二つの言葉に籠められている 気持ちの重心 は、全く違うの。
つまり、その部分に遣われる言葉は、それでなくてはいけないというか・・・。
同義語だけど、届けたい想いのニュアンスが違うというか・・・。
・・・わかって?(気弱に命令形)
そんなこんなで、中学の頃から、自分の中にある言葉って大切にしてきた。
中学の頃からっていう表現は的確じゃないな・・・。
小さい頃から、言葉は大事にしてきたつもり。
まあ、小学生の頃はひっどい言葉遣いしてたこともあったけど・・・それもすぐに遣わなくなったなあ。
学童の頃から、ホント、「言葉」と「声」には凄く興味があった。
だから、軽々しい科白は聞くだけで腹が立ったなあ。
冷めてたからね、昔から。
今も昔も、綺麗な言葉を並べて、聞こえの良い科白で「そうだよね」「成程ね」って思わせようとするものは嫌い。
車内広告とかに、最近多いよね、そういうの。
一見すると、すごく良いこと、魅力的なことを言ってるようだけど、
ちょっと考えれば、くだらないなとしか思えない文句を並べた広告。
そんな言葉に対しては、小学生の頃から「アホくさ」とか思ったりしてた。
・・・今考えると、怖い・・・(笑)。
餓鬼の頃からスゲー冷めてた・・・。冷めすぎてた・・・。
でも、それはホント、物事の瞬間瞬間であって、常に人々をそんな目で見ている訳ではないからね。
皆、そんなもんじゃないのかなあ・・・。
冷めた感覚が一切ない人って・・・いるのかな・・・。
でも、いるだろうね、きっと。地上の人間の数って凄く多いから。
最近は特に、言葉に対してシビアになりすぎてる部分があるから、余計に目に付くのかもしれない。
言葉の響きや単語の意味が良いばっかりで、中身も誇りも無い広告、多いです。
まあ、あくまでこれは幸村の感覚で見た意見だけど。
これは冷めていた例になるのかな・・・。
小学生当時、色んな事(例えば恋愛だとか健康だとか)を象徴するお人形が流行ってたのね。
その中に、「友情を象徴するお人形」みたいなのがあった。
で、ある日、クラスの女子生徒と喧嘩したの。
そしたら、帰り道にその子が泣きながら、人形を目の前に突き出して、
「じゃあ、これは何のために持ってんの?!友情やろ?!友情を大事にするためやろ?!」
って感じで怒鳴ってきて・・・。
私はその子と人形を見ながら思ってた。
「・・・いや、これ、ただの人形やろ」 (※言ってません。)
友情は、自身の心の在りようであって、人形に頼ったりするものじゃないと思ってた。
それを持っている友人同士なら友情は壊れないなんて、考えたこともなかった。
だって、御菓子についてる付録だもの。
でも、そんなことを目の前のこの子に言っても、きっとまた何やら怒鳴ってくるに違いないと思った私は・・・
「・・・ハア・・・」 (※語尾の「・・・」に、そんな事はないという思いを籠めていた気がする。)
と、溜息だけを漏らした。
その前後の遣り取りは、何一つ覚えてない。
でも、彼女の言葉と、自分が思ったことだけは、一生忘れない語録に入ってる。
・・・冷めてるのかな・・・?
冷めてるって言うより、物凄く現実的にものごとを捉えているっていう方がいいかもしれない。
心は生きているから、何物かによって安定をもたらされるのもじゃない。
今の出来事の学年から数年後に知ったことだけど、そんな友情云々言ってた彼女は、その出来事より数年前から同学年の女子生徒に
「玖月ちゃんって、物凄いイヤな子やで。わたし、あの子嫌いなんよ」と、言いふらしていたらしい。
幸村を知らない子に、幸村とは友達にならない方が良いと言い回っていたらしい。
・・・まあ、私自身、当時から自分は嫌われっ子だと認識していましたが(苦笑)。
あまりにも真面目過ぎて、物事に対する猶予というものが無かった幸村。固過ぎましたね、ホント。
子供からみれば、四角四面で先生当たりの良い優等生って感じで、イヤな子だったんでしょう。
本当に、今振り返っても、自分は何故にあれ程クソ真面目だったのかと思いますもの。
同級生からすれば、相当な邪魔者だっただろうなあ・・・。
それもまあ、過去の話ですよ。
小学生の頃のことって、もう殆ど覚えてないから(笑)。
こんな事あったよなあ・・・程度かな。
友情がどうとか、激情の上で軽々しく口にする彼女を、その瞬間、冷めた目で見ていたお話でした。
だから、そんな感じで、持ち出す言葉言葉にすごく敏感になっている自分がいるの。
自分が遣う言葉に対しても、厳しいと思う。
遣った後で反省するのは毎日のことだし。
でも、小学生の頃は、詞を書いたり日記を書いたりすることはなかったからね。
「伝えよう」と言う想いや、「気持ちを言葉にしよう」と考え始めたのは、中学の頃からだから。
自分の中に蟠(わだかま)ってるものを意識的に外部へ解放してやろうと思い始めたのは、中学の頃。
周りは相手にしてくれなかったけどね。
なーんか、僕が思い悩んでることと、友達の持つ興味は世界そのものが違ってた。
皆は、芸能人とか歌手とか、そんな事で話が持ちきりだった。特に、恋愛に関して騒いでたなあ。
僕は、全然興味なくて・・・。まあ、織田裕二さんは好きだったけど・・・。でも、それだけだったしね。
中学で織田さんが好きだなんて、そこもズレてたし・・・。
親類も、「子供やのに何でそんなこと悩んでんの」って感じで、真面目に取り合ってはくれなかったなあ。
・・・うん、今になって思うよ。
中坊なのに何でそんなことで頭抱えてたんだろう・・・って。
やっと、日本中で取沙汰されるようになってきた。
地球の未来とか、人類の未来とか。
皆、意識するの遅すぎるよ。
そんな事分かりきってたじゃない。こうなるだろう事も、この先どうなるのかも。
専門家が悪いんじゃないよね、これは。
日本全体の意識が低すぎるんだと思う。
・・・その当時、社会を生き抜く人々は皆、見てみぬ振りでもしてたのかなあ。
それは未だに分からないけど。
そんな、人生高だか十二・三年の子供が声を上げても変わりっこ無い事を、本当に夜が眠れなくなるまで悩んでた。
人間という生き物を憎んだり、その人間である自分を憎んだり。
許せなかったんだ。何も出来ないでいる自分も、どんどん好き勝手していく人間も。
「きっと、人間の所為で地球上の生き物はみんな近い将来息絶えることになるんだろう」って思うと、自分も他の人間も、皆許せなかった。
今も、許せないでいる。
そんなことを悩んでノイローゼ一歩手前だった僕の話を聞いてくれて、その人なりの返事をくれた恩師がいたよ。
彼女には、本当に救われたなあ。
当時、僕の考えを本当に真正面から受けとめてくれる人は、彼女しか居なかった。
今更だけど、やっぱり、自分が真剣に悩んでることを御座なりにされるのは、苦しかった。
だから、余計に言葉が必要だって思ったんだろう。
「言葉にしなきゃ、伝わらない」って。
「ありったけを言葉にしなきゃ、意味が無い」って。
泣いたって笑ったって、命を投げ出したって、
そんな行為だけじゃ、その人自身が思う核心は、絶対に届かない。
「悲しいんだね」「嬉しいんだね」「辛かったんだね」って、そんな抽象的なものを知ってほしいんじゃない。
目に見える 「程度」 を測ってほしいんじゃない。
心が、体を掻(か)っ捌(さば)いて見せられるものならどんなに楽だろうって、いつも思う。
伝わらないイタミは、肉体的な痛みと比することは出来ないもの。
僕は、僕の中に息づく心を見てほしいだけなの。
でも、自分の心を一から十まで言葉に出来ることなんて、先ずない。
誰も彼もそうだと思う。そんなことは分かってるよ?
でも、前にも言ったじゃん。
「皆がそうだからって、僕には何の慰めにもならない」って。
誰がどうとか関係無いんだよ。
「自分の気持ちが言葉に出来ないことに苦しんでる」、これが僕の事実に代わりは無いんだから。
伝えたい想いに、限(きり)はない。
けれど、
言葉に出来ないんだ。
いつかの僕も、今の僕も。
文字で表現される「言葉」を、選べない。
それは、自分の語彙力の所為でもあるけれど、それ以上に、
僕自身が、言葉に出来ないでいる。
言葉を、選べない。
続きは下項に書いてあります。
文字数が多すぎで一枚にup出来なかった・・・。
僕が言葉を綴る時、
心に広がる、言葉だけが在る世界に入って、一つ一つ、丁寧に選ぶ。
言葉を選ぶことは、その世界で、旅をすること。
一歩一歩、空気を踏みしめて、一つ一つの単語を探しに行く。
地上も天上もないの。
あるのはただ、今の自分が認識出来る「空間」とよばれるものだけ。
丁度、空の中に立ってるような感覚かな。
そこに、無数の文字や単語が浮かんでる。雲の代わりみたいだけど、並び方は不規則で、これにも上下・左右・奥域は一切関係ない。
その中から、今自分が必要としている言葉を探す。
ずーっとずっーと長い時間歩き続けて、やっと見つけた目の前に浮かんでいる単語を掴まえる。
歩いている間は、心を感じているんだ。
「どんな言葉が、どの言葉が、心を表してくれるだろう」って。
両腕一杯に単語たちを集めたら、一度、言葉の世界の入り口へ戻る。
そこに、抱えてきた子達を降ろして、また探しに行く。
それを繰り返して、文章を作るだけの単語が集まったら、
大きな袋に、壊れないようそっと詰め込んで、言葉の世界から心そのもの神殿に帰ってくる。
言葉の世界の扉を押し開けると、心の中心に建つ建物の一室に通じてるの。
灯りは見た目にはない。でも、ぼんやりと壁や床は見える空間。
見た感じ、何処かの国で見られそうな神殿なのね・・・。多分、無意識にそういうイメージが出来てるんだと思う。
戻ってきたらそのまま、文と文章を作る部屋に向う。
部屋に入ると扉を閉めて、背負ってきた袋の紐を解く。
言葉には魂があるから、袋から出ると、ふわふわと部屋の中を漂ってる。
結構狭いお部屋かな。中に大人が三人入ると、一杯一杯になりそうなくらい。
ふわふわしてる単語達は表現するために選んできた子達だから、きちんと整列してくれる。
指で軽く触れると一つずつの文になる。
あとは、其々の文に声をかけて、順番に並んでもらえば文章になる。
出来上がった文は、部屋の窓から、僕がつけた順に飛び立っていく。
そうやって、心の世界に、自分の言葉が、綴られた文章となって満ちるとき、
僕は言葉を「文字」にし、「声」に出すことが出来る。
つまり、ペンを執って文字を書き、声を使って相手に伝えることが出来るんだ。
手間はかかるけど、そうすることが僕の表現の準備。
この流れを怠ると、何の想いも籠らない「文字」と「声」しか出てこない。
下項の記事に続きがあります。
想うことは沢山ある。
でも、
言葉の世界に赴いた僕が、長い旅の途中で心を表す言葉を見つけられなければ、
その想いは言葉で表現出来なくなる。
選び出せない想いは、ずっとずっと、
僕の心の部屋の中に閉じ込められたままになる。
想いは、眼にみえないからね。
音として聞くことも、触って感じることも出来ないから、
伝えるためには、何か表現するしかない。
もともと言葉を選ぶことにすごく時間が掛かる僕には、ちょっとしんどかったりもするんだけど。
それでも、言葉の世界で歩き疲れることはないんだよね。
どんなに長い時間歩き続けても、結局心にぴったりくる単語が見つからなかったとしても、
伝える為なら、辛くはない。
寧ろ、どきどきする。
「何処にあるんだろう」「どんな言葉が良いだろう」って。
言葉に色は無い。
だから、その世界にも色は無い。
でも、
僕が伝えたいと思うなら、届いてほしいと願うなら、
僕の心に反応して、選ばれた言葉たちは色をもつ。
言葉の魂が、僕の魂に応えてくれる。
輝くとも言えるし、発光するとも言える。
その色は、僕の心に拡がった瞬間、
「文字」とか「音」になって、色んな人達の目や耳に触れることとなる。
僕が見る色は、僕の色。
他の人達に届く時は、その人達の主観によって、違う色になる。
人によって、一つの言葉一つの文字が生み出す色、見える色は違う。
言葉は、自分の色を持たないから、その人が思った通りの色を見せる。
見る人が、思う色、感じる色にしか見えない。
だから、
こちらの色をより確実に届ける為に、一所懸命伝えようとしなくちゃ。
一番大切なのは、飾らないこと。
相手の心に、一直線に届くだろう言葉を選ぶこと。
何より、「伝えよう」という意志をもつこと。
それを、心と言葉に籠めること。
響きの良さやイメージの良さを重視して、言葉に籠める中身を蔑ろにすることは、絶対にしちゃいけない。
生半可な想いなら、言っても言わなくても同じだよ。
だから、自分の言葉には責任をもたなきゃいけない。
発する言葉は、心の声。
自分の飾らない想い。
そこには自分の魂に呼応した言霊が宿っているから、蔑ろに出来る文句は一つも無い筈。
だから、いつも思ってる。
こちらが発する言葉には、真剣に向き合ってほしい、って。
押し付ける気はサラサラないよ?
僕が言う言葉は僕の想いであって、他の誰のものでも無いもの。
受け取った人の主観によって、僕から出た言葉は無限に変化してしまう。
同意も反意も、抱くのはその人の自由だから。
ただ忘れないでほしいのは、
「僕は、生半可な気持ちで文字を綴ってるんじゃない」
ってこと。
この一年間、一度だって、blogに載せた言葉を蔑ろにしたつもりはない。
馬鹿な話なら馬鹿話なりに、真剣な話なら真剣な話として、
自分が思うことをあなたに伝えようと、必死になって言葉を選んだ。
漢字にする方が良いのか、平仮名にする方が良いのか、ってことも含めて。
自分の文章を人に見せることは、自分の誇りを懸けてると言っていい。
文字にする以上、一言一句、無駄にしたくはない。
日が経って、想いが変わったとか、考え方が変わるってことはある。
だから、前に言ってたことと違うじゃないかって部分はあると思う。
でも、例え時間が過ぎて、自分の意見が変化したとしても、
意見が変わったからといって、それまで書き綴った言葉は意味を持たなくなったのかというと、そうじゃない。
書いていたその瞬間は、その言葉が幸村にとって、何よりの真実だから。
大見得切って言ってもいい。
私は、自分の言葉を大事にしてる。
だからこそ、自分の言葉は人を傷つけていないだろうかって、いつも怖い。
色んな可能性を考慮して言葉を選んだり、注釈をつけるけど、
私には想像出来ないことが、沢山あると思う。
つまり、自分が察し得ないところで、誰かが傷ついているかもしれないということ。
でも、これだけの数の人間を相手に、誰一人傷つけずにいるなんて、不可能だと思う。
自分に出来る限りの努力はするけど、傷つく人は傷つくだろうから、それはやっぱり避けられない。
それと同時に、これだけ必死になったって、届かないものは届かない。
いくら言ったって、真剣に言葉と向き合ってくれない人は向き合ってくれない。
伝えたいことが伝えきれないこともある。
それは、仕方ないと思う。
この世の中、願えば必ずや全てがうまくいくなんてことは無いと思ってる。
うまくいかないことだってあるよ。
出来ないことも、沢山ある。
願えば何でも成就する世界なら、誰も苦しんでない筈だもの。
飢えで亡くなる人だっていない筈だ。
経済的に苦しむ人達だっていない筈だし、
想いが届かなくて胸を痛めることだって無い筈だ。
でも、だからこそ、人は生きていけるんだと思う。
あなたに分かってほしくて、時間をかけて言葉を選ぶ僕がいるように、
もっとこうしたいって思うから、進んでいけるし、続けていける。
目を閉じて全てが分かるなんて、それほど味気ないものは無いと思う。
叶わないから、手に入れよう、実現させてやろうって、一所懸命にも一生懸命にもなれる。
分からないから、分かり合いたいと思える。
その過程で、あなたや彼女、彼を傷つけているかもしれないけど、
それはきっと、お互い様なんだと思う。
自分ばかりが嫌な思いをしているわけじゃないと思うよ。
自分だけが悩んでるわけじゃないし。
人間は「言語」と呼ばれる言葉を持っているから、基本的には「会話」をすることでコミュニケーションを図る。
方法は、口だけじゃなくて、手とか仕草とか、色々あるけど、
多分、一番多いのは声によるコミュニケーション。
あとは、文字。
・・・それだけしかないじゃない。
自分の気持ちを他人に伝える方法なんて。
息もしない、顔も動かさない、声も出さない、手紙も書かない、
自分の筋一本動かさず、鼓動も聞かせず、
なーんにもせずに、
他人に想いを伝えることなんて出来ないじゃん。
人間は(人間に限らず生き物は)、何かしら行動によってしか、伝えられない。
イルカなら超音波とかあるけど・・・そういうのも使わないで気持ちを表現する事は不可能でしょ。
伝えようとする意志がないと、伝わらない。
心がないと、響かない。
文字や言葉を遣わないと、自分を表現出来ないということは、
文字や言葉しか、自分を表現出来るものはないということ。
それを蔑ろにすることは、自分を蔑ろにするも同然だと思う。
軽い気持ちで扱える言葉なんて一つとして存在しない。
あなたが口にするその言葉は、一字一句、「意味」を持ってるんだもの。
そこには、少なからず、力が宿ってると信じてる。
自分の発する言葉は、大切にしてほしい。
同時に、
人が発する言葉を、同じくらい、大切にしてほしい。
これは、最近すごく強く思う。
意味を考えずに、「遣いたいから遣う」「こういう時にはこれを遣う」っていう暴言が目に余るもの。
その言葉がどういう意味か、どういうことを指しているか、考えたことがあるのか?って、
胸ぐら掴んで問い質してやりたくなる時があるよ。
・・・殺し合いのゲームの影響って、本当に怖い。
あと、その場凌ぎの平謝りや挨拶も、悲しくなる。
「そんな、思ってもないこと口にするなら、頭下げなきゃいいのに」って。
まあ、世の中、体(てい)ってものがあるからね・・・。
きっと皆、柵(しがらみ)の中で生きているから、仕方の無いことなんだと思う。
でも、例えそうであっても、
やっぱり、言葉は、大切にしてほしい。
一年目を迎えた幸村blog、「言葉と心は飾れない」。
節目ということもあって、長々と書いてしまいましたが・・・。
そうね、これからまた、自分なりに進めていこうかなって思ってます。
幸村は、幸村の言葉で、自分の気持ちを綴っていきます。
そんなblogですが、これからも、宜しく御願い致します。
買っちゃった!!しかも、発売日前日に!!幸村です。
もう、今朝は寝起き早々テンション高い高い!!
俺、最近は普段から並外れたテンションだけど(色んな人にそう言われる)、
今日はもう、自分でも天空を翔られるんじゃないかって程、高い。
♪だって、買っちゃったんだもんっ♪
「ナデプロ!!」の新しいCD!!
きゃーーーーー!!!???
(・・・あかん・・・本間にあかん・・・こうやって黙って打つのしんどいわ・・・叫ばせてー!)
昨日、御決まりのアニメイトさんに電話をし、
「あの、明日発売の『ナデプロ!!』は、もう販売してらっしゃいますか」
販売開始しているよ!と言う、ありがたぁぁぁぁい御返事を頂き、
よっしゃ直ぐ行く!と電車に揺られて帰り道、購入して参りました。
夜、聴いたよ。
笑い声が止まらなくて、一時間お腹を抱えて耐えた・・・いや、耐え切れなかった。
だから途中、母親がやってきた。
「・・・何言うてんの・・・?・・・大丈夫?」←変な声で笑っていたらしい。
大丈夫じゃないけど大丈夫って答えて、また続きを聴いた。
期待以上!!
想像以上!!
前人未到!!(?)
何じゃこりゃーっ!て、言いませんでした(今勢いで「何じゃこりゃー!」て打っちゃっただけ)。
えっとー・・・何から言えば良いのかなあ・・・?
んーーーーー・・・。
すごいぞ樋口龍!
素敵だ樋口龍!
今回は今まで以上だ樋口龍!
だんだん幼稚になってきているぞ樋口龍!
やっぱり誰より早口だ樋口龍!
そんでもってすんごい滑舌の良さだ樋口龍!
雀さんとも仲良しって言うか会話が出来るぞ樋口龍!
樋口流交渉術、奥の手が出たぞ樋口龍!
(今打ってて気づいたけど、「樋口龍」と「樋口流」って、イントネーションが違うだけで同じ読みだね(笑)。)
いじけちゃったぞ樋口龍!
いじけた姿が可愛らしいぞ☆樋口龍!
んんーっ・・・まだまだ一杯あるけど書ききれないぞ、樋口龍・・・。
幸村は樋口さんファンだから、樋口さんばっかり並べてみたけど、
今回から(というか、何でも今後もCDが続く・・・ような話があったから)参加の、
「いっしー」こと石田役の石田彰さん(トークでもこの役名はどうなのだろうと物議を醸していた)のキャラ作りも聴き処!!
最初の一声、彼だと気づけなかったんだもの・・・。
びっくりしました。
彰さん(石田さんって言うと、役名か本人かわからないからこっちで)の可愛らしいキャラと、
ドスの効いた切れキャラの幅がすごかったです(笑)。
んー、でもあの切れキャラの演技、幸村には合わなかったですね。
何かこう・・・ただ怒鳴り散らしているだけのように聴こえてしまったから。
でも、「あら、御遣いぃ?偉いわねー」の言い方とか、あの辺は「すごい!」って思った!
猫を被っている方は、巧いなーって思った!
でもやっぱり、幸村のハートを「ズキューン!」したのは、樋口さんただ一人でしたねー(笑)。
いっしーもこばとちゃんも、可愛いんだけどね!
強烈なのは、樋口さんといっしー、あとこばとちゃんかな。
他の八十科さん、南雲くん、人見さん、甲斐くんはこれまで通りだった。
ああ、堀口社長、石橋くん達は出ていませんでした。
幸村は石橋くんも好きなんで、ちょっと残念・・・。
そうさなー、なんと言うか・・・
全体的に、走ってるCDだ。色んな意味で。
流れが速い。その理由は、皆、喋りが早いから。
樋口さんの早口、今までのに輪がかかっていませんかね・・・?
早速MDに落として電車の中で聴いてたけど、堪え切れない(笑)。
一発目聴く時は、誰もいない、防音設備のある場所で聴かないと・・・
・・・自分の笑い声が鳴り響きますよ(苦笑)。
反復して聴く時も、極力知らない人がいないところで聴くことをオススメします(笑)。
いやしかし、今後の「ナデプロ!!」の予定をドラマで描いてしまうとは・・・!!
そうきたか・・・と腕を組んでしまった(笑)。すごすぎるよね。
うん、聴けばどういう意味か、直ぐ分かる(笑)。
くぁーーーー・・・。
「やられた」の一言に纏めてしまえるのが怖いよ・・・このCD(笑)。
もうこうなったら、八月に発売される「ナデプロ!!」キャラククターソング第一弾「樋口龍&八十科悠編」を買わなければ!
・・・リリース情報を知った時点で買うつもりでいたけれど。
楽しみだなー・・・次回の「ナデプロ!!」ドラマCD・・・。
あれだけ意味深長なトークをしているということは、きっとまだまだ続くんでしょうよ。
樋口さんに出会って数年・・・未だあの傍若無人、前代未聞のハイテンション・トリックスターを掴めずにいるワタシ・・・。
「ナデプロ!!」のお話だって書きたいんだけど・・・
樋口さんの言動、行動が読めなくて・・・
手をつけられないんだよね・・・
あはは・・・(涙)。
聞き給へ、諸君!!
何と「ナデプロ!!」が
キャラクターアルバムになるのだ!!
八月は樋口&八十科のミニアルバム!
十月はナデプロ新人声優三人のミニアルバム!
そのあとも何人かのミニアルバム!
来週、SPCDがでる「ナデプロ!!」ですが・・・。
いやー!ドラマCDから始まった「ナデプロ!!」がここまで発展するとは!
アタシは兎角、樋口さんがどんな歌(正確にはどんな歌詞)を歌うのか、
八十科さんとどんなデュエットをするのか・・・気になる気になる・・・。
もう、今夜から眠れない・・・。
常々思っているんですよ、幸村です。
世の中、御金が無いとな・・・
と。
やっぱり、詰る所は御金なんだなあ・・・
と。
これ、物凄く物欲主義者のように思われるかもしれませんが、
幸村は物への執着はありません。
「そう言う人間に限って云々」と言う人もいるだろうけど、本当に、執着心って無い方だと思うの。
冒頭の言葉は、
「この、今の世の中で生きてゆく為には御金が無いと話しにならない」
と言いたいのね。
って・・・もう時間が・・・(焦)。
これについては、またゆっくり話したいなーなんて思います。
・・・いつか・・・いつか(笑)。
今日は、少し言葉遣いがキツイかもしれません。
ごめんください。
旧友と電車でばったり再会・・・を、立て続けに二回しました、幸村です。
しかも同じ人物と(笑)、二回とも降りる間際に(笑)。
何年振りだろう?
中学二年以来だよ・・・。
お互い、別嬪さんになりましたねえ!(え?聞こえない?おかしいなぁ。)
彼女に逢うまで、乗り換える前の電車内での出来事に腹を立てていて相当機嫌が悪かったのですが、
一瞬で吹き飛びました。
幸村は、腹を立てる事なんて殆どありません。
気が長い・・・のか、疎いのかは論じますまい(笑)。
のほほんとしているんですって。二親ともそうですもん(軽く暴露)。
だからここは、
幸村の堪忍袋の緒が、相当に弾力性のあるものなのだとしておこう。うん。
だからね、頭にくる事なんて本当に無いのよ。
そんな幸村が、表情に出すほど不機嫌になったので・・・。
んー、まあ、電車に乗っていればよくあることなんですけどね。
構やしませんよ、普段は。
「ああ、疲れてらっしゃるのねー」
と思うくらいですよ。
でもね、明らかにワザとだったのよ、昨日のあれは!!
しかも礼儀知らずで・・・。
やめよう・・・。
思い出すだけ消費する我のCaが勿体無い。
次に同じことが起きた場合の訓練としよう。
そうとも!
愚痴ったって何の解決にもならんじゃないか!
自分の運気を下げるだけだしね・・・。
幸村は大概、こうして「Caの浪費だわ」とか言って、
イタチゴッコのイライラにサヨナラを告げます。
嫌な事に対していつまでも拘ったって、何も生み出せないから。
要するに、
「解決しないことで悩むのは不毛だ」
ということ。
これは、私が常時持ち歩いている言葉のひとつ。
作家・石田衣良さんの言葉です。
当たり前のことなんですけどね。言われて初めてハッとしたんですよ。
「いつかは死ぬ」って事ばかり考えて、小さい頃から苦しんできたけど、
それって本当に不毛だってこと。
今だって、「自分が世から居なくなること」が頭に浮かんで、
不意に言いえぬ恐怖に襲われる時もあるんだけど・・・。
それでもやっぱりさ、そうやってハッキリと言い切ってくれた事で、
幾分か楽になれた部分はある。
「解決しないことで悩むのは不毛だ」って、
殊取り立てて仰った訳ではないんです。
会話の中で、サラッと出てきた言葉なの。
だから、同じ番組を見ていた人でも「そんな事言ってたっけ?」って
思われる方は沢山いらっしゃると思います。
それはつまり、
彼が殊更意識していない部分で、幸村の最大の恐怖は処理出来る、
ということ。
世の中、考え方(主観)で楽園にも地獄にもなるんですよ。
人が生きる時、世界に善と悪、陰と陽があるのは、人に心があるからだもん。
随分前から理解はしていたけど、その真ん中まで至ってないんだろうなあ。
まだまだってことでしょうね。
他にもね、沢山沢山、私の心を劈(つんざ)いた言葉があったの。
それも全部、意識していないもの。
「作家さんって、それくらい達観していないと書けないのかなあ・・・」って、
すごいなあって思ったよ。
自分の運気が乱れがちな時って、嫌な事と嬉しい事が半々に起こります。
沢山嫌な事が重なって、その後にまとめて嬉しい事がやってきたり、
交代交代でやってきたり、訪れ方は様々だけれど。
でも、さっきも言ったとおり、
世の中に起こる凡ての事象は、自分の心が見た感覚でしかないんです。
凡ては主観なのね。
他人を見ているときは客観だけどさ、「自分の感じ方」の話をしてるのよ、今は。
世界を渡る時、生まれてから天命を全うするまでのホンのひと時、
主観からは逃れられないということ。
つまり、
人生、嬉しいことが多いと感じるか、
嫌なことばかりだと感じるかは、
全てその人次第な訳。
いるじゃない、いつ逢ったって愚痴ばっかりの人。
話を聞いていると、大抵の原因はマイナス志向だから。
「自分がどうありたい」とか口を動かす暇があるなら、
その一秒を惜しんでプラスへの転換法を考えたらいいと思う。
人生、泣いても笑っても、「その人の一生」以外の何物でもないんだから。
どうせ死ぬなら、幸せの数が一つでも多い方がいいじゃない?
「今日は暑いなあ・・・」なんて思って半袖で家を出たら(アタシは寒くないんだよ)、周囲の人々は皆一様に「今日は寒いね」と言っていた、幸村です。
俺の体感温度って、常人とはズレているのかね?
毎度毎度、人と違うことやってる気がしないでもない・・・。
ああ、それと今日、友人から
「お前はボケキャラだ!!」
と、太陽も及ばぬ程の輝きを宿した太鼓判を捺されました。
俺をボケキャラと云わずして誰を云うんだと言いたそうな様子だった(笑)。
・・・自分はツッコミ派だと思っていたんだけどなァ(苦笑)。
しかし、あの場はえらく盛り上がりましたね。←私信。
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助