幸村が気侭に綴るblog。 及川光博氏のメッセージ性・自己実現への姿勢を見習う日々。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
届きましたよ!幸村です。
「ふしぎ工房症候群シリーズ 『鬱の行方』」
ああ、暗い!!(笑)。
本当に暗い・・・!(苦笑)。
全体的に何ともこう・・・兎に角、暗い・・・(笑)。
折角、調子の波が上がる周期なのに、また堕ちそうだ・・・(マジで)。
最後は希望的観測なのか、販売物故なのかは判じかねるけど、そうなって良かった><
あそこで逆にきてたら、あたしはもうこのCD、二度と聴けなくなってたヨ。
だってそれじゃあ怖いじゃん((ブルブル・・・))
でもね、アタシの経験を置鮎の兄貴が代わりに読んでくれてるみたいで、嬉しいかも。
設定や場面は違うけど、症状も気分も、同じだもん。
聴いてて、本当に自然と涙が出たよ。
感動したとか、そういう情緒的なものに心を動かされたんじゃなくて、
ただただ首肯するばかりでさ。
僕の場合は、鬱ではない別のものだけど、語られる心理経験は同じだから。
死にたいっていうのは、違うけどね。
ただ、鬱や自律神経の病気を患ったことの無い人がこの話を聞くと、
心療内科について誤解しかねない。
少なくとも、僕の知る方々は、こんな感じじゃない。
心療内科のドクターと患者は、生理的な一致不一致がとっても大事だと思うから、
自分と合わないドクターだと、通うのは大変だと思う。
その場合は、無理して通うより、病院を変えたほうが治療には良い。
あと、やっぱりこの作品は小説なのだなと思う。
現実のくだりは、そう簡単にはいかない。
そう言えば、本当かどうか分からないけど、鬱病は二週間で治るんだって。
「二週間、ただひたすら他人を喜ばせることだけを考え続け、行動し続ければ、治る」らしい。
人を喜ばせることで、自分の殻の中、自分の泥沼の奥へ堕ちていくことから回避するらしい。
確かに、「誰かの為に」と考えていれば、自分のことばかりでいっぱいいっぱいにならずに済む。
そうだろうなあ。人のことを考えてれば、自分にかまけてる暇なんてないもの。
でもそれは、他人に気遣う余裕があるなら、の話だよね。
もう、自分にいっぱいいっぱいになってるんだもん。
周りを見回す余裕があれば、一人で堕ちるところまで堕ちたりしないんじゃないかな。
「鬱病とかは、自分のことばかり考えてしまうからそんなふうにダメになるんだ」って、
心無い人に言われたことがある。
それは事実だとしても、本人には言うものじゃない。
あんたの心にしまっとくべき文句だ。
「だったらどうしろって?じゃあさ、もう何も考えずに苦しまなくて済む方法があるなら教えてよ。
俺だって、好き好んでこんな頭を抱えてるわけじゃない」
僕には、そんな気持ちしか出てこなかった。
逆効果以外の何物でもない。
そもそも、自分が何に悩んで苦しんで、不眠の夜にのた打ち回って、割れるような頭痛の所為で一日中うずくまって動けなかったり、昇った日が沈むことをただ待ち続けたり、覚えたくも無い絶望の感覚を覚えたり、碌に物も食えずにいるくせにたまに物を口にすれば決まって吐き気に襲われたり、生きてて何があるのか、自分はこのまま生きていけるのかさえ・・・
もうわかってないんだ。
その辺のテレビで見かじった文言を、知った風な口で
「あんたは自分のことだけを考えてるからそうなるんだ」なんて吐いたところで、
反感しか買わないよ?
あ・・・勢い余ってつい・・・。
言葉遣いが・・・;
でも、今がどんなに辛くても、鬱や自立神経系の病気は、
どんな道程を通るとしても、治る可能性の方が高いと思う。
その長い治療期間、大切なのは周囲の協力、姿勢、そして理解。
何か良くない状況にあって、それを乗り越えようと必死に心が叫び続けてることに、
自分が気づいてあげて、向き合うことが出来るか。
その人の心が、何かのきっかけでひきつけを起こしていることを、周囲が認めてあげられるか。
何とかしよう何とかしたいと懸命になっていることを、周りが察してあげられるか。
息継ぎ出来ずに一杯一杯になった人の心と付き合い、
その傷ついてる心が癒える、又は回復するまで、
どれだけ掛かるか分からない時間の中で、ずっとずっと支えてあげられるか。
そんなことが沢山起こる。
本当の意味で、周囲の人間の器がみえたりする。
鬱だとか自律神経の病気とかは、かからないと、わかれない。
どんなに理解しようとしても、人の心は分かち合えないもの。
それは、鬱や病気だけに限らないけれど。
イタミは、自分が感じた分しか分からない。
ちょっとやそっとの知識と感覚で物を言うのは、相手を一番傷つける。
届きましたよ!幸村です。
「ふしぎ工房症候群シリーズ 『鬱の行方』」
ああ、暗い!!(笑)。
本当に暗い・・・!(苦笑)。
全体的に何ともこう・・・兎に角、暗い・・・(笑)。
折角、調子の波が上がる周期なのに、また堕ちそうだ・・・(マジで)。
最後は希望的観測なのか、販売物故なのかは判じかねるけど、そうなって良かった><
あそこで逆にきてたら、あたしはもうこのCD、二度と聴けなくなってたヨ。
だってそれじゃあ怖いじゃん((ブルブル・・・))
でもね、アタシの経験を置鮎の兄貴が代わりに読んでくれてるみたいで、嬉しいかも。
設定や場面は違うけど、症状も気分も、同じだもん。
聴いてて、本当に自然と涙が出たよ。
感動したとか、そういう情緒的なものに心を動かされたんじゃなくて、
ただただ首肯するばかりでさ。
僕の場合は、鬱ではない別のものだけど、語られる心理経験は同じだから。
死にたいっていうのは、違うけどね。
ただ、鬱や自律神経の病気を患ったことの無い人がこの話を聞くと、
心療内科について誤解しかねない。
少なくとも、僕の知る方々は、こんな感じじゃない。
心療内科のドクターと患者は、生理的な一致不一致がとっても大事だと思うから、
自分と合わないドクターだと、通うのは大変だと思う。
その場合は、無理して通うより、病院を変えたほうが治療には良い。
あと、やっぱりこの作品は小説なのだなと思う。
現実のくだりは、そう簡単にはいかない。
そう言えば、本当かどうか分からないけど、鬱病は二週間で治るんだって。
「二週間、ただひたすら他人を喜ばせることだけを考え続け、行動し続ければ、治る」らしい。
人を喜ばせることで、自分の殻の中、自分の泥沼の奥へ堕ちていくことから回避するらしい。
確かに、「誰かの為に」と考えていれば、自分のことばかりでいっぱいいっぱいにならずに済む。
そうだろうなあ。人のことを考えてれば、自分にかまけてる暇なんてないもの。
でもそれは、他人に気遣う余裕があるなら、の話だよね。
もう、自分にいっぱいいっぱいになってるんだもん。
周りを見回す余裕があれば、一人で堕ちるところまで堕ちたりしないんじゃないかな。
「鬱病とかは、自分のことばかり考えてしまうからそんなふうにダメになるんだ」って、
心無い人に言われたことがある。
それは事実だとしても、本人には言うものじゃない。
あんたの心にしまっとくべき文句だ。
「だったらどうしろって?じゃあさ、もう何も考えずに苦しまなくて済む方法があるなら教えてよ。
俺だって、好き好んでこんな頭を抱えてるわけじゃない」
僕には、そんな気持ちしか出てこなかった。
逆効果以外の何物でもない。
そもそも、自分が何に悩んで苦しんで、不眠の夜にのた打ち回って、割れるような頭痛の所為で一日中うずくまって動けなかったり、昇った日が沈むことをただ待ち続けたり、覚えたくも無い絶望の感覚を覚えたり、碌に物も食えずにいるくせにたまに物を口にすれば決まって吐き気に襲われたり、生きてて何があるのか、自分はこのまま生きていけるのかさえ・・・
もうわかってないんだ。
その辺のテレビで見かじった文言を、知った風な口で
「あんたは自分のことだけを考えてるからそうなるんだ」なんて吐いたところで、
反感しか買わないよ?
あ・・・勢い余ってつい・・・。
言葉遣いが・・・;
でも、今がどんなに辛くても、鬱や自立神経系の病気は、
どんな道程を通るとしても、治る可能性の方が高いと思う。
その長い治療期間、大切なのは周囲の協力、姿勢、そして理解。
何か良くない状況にあって、それを乗り越えようと必死に心が叫び続けてることに、
自分が気づいてあげて、向き合うことが出来るか。
その人の心が、何かのきっかけでひきつけを起こしていることを、周囲が認めてあげられるか。
何とかしよう何とかしたいと懸命になっていることを、周りが察してあげられるか。
息継ぎ出来ずに一杯一杯になった人の心と付き合い、
その傷ついてる心が癒える、又は回復するまで、
どれだけ掛かるか分からない時間の中で、ずっとずっと支えてあげられるか。
そんなことが沢山起こる。
本当の意味で、周囲の人間の器がみえたりする。
鬱だとか自律神経の病気とかは、かからないと、わかれない。
どんなに理解しようとしても、人の心は分かち合えないもの。
それは、鬱や病気だけに限らないけれど。
イタミは、自分が感じた分しか分からない。
ちょっとやそっとの知識と感覚で物を言うのは、相手を一番傷つける。
プロフィール
HN:
幸村玖月
HP:
性別:
非公開
趣味:
ストレッチ。歌。シャドーイング。
自己紹介:
≪座右の銘≫
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
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2012年7月からがベイベー記事。
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