幸村が気侭に綴るblog。 及川光博氏のメッセージ性・自己実現への姿勢を見習う日々。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
出だしは暗いけど希望を語ってるんで徐々に上向きになる内容です、幸村です。
例えば、失敗を許されないとしたら。
きっと、あの瞬間までの僕なら、
「じゃあ、ある程度先を見越すことが可能なこっちでいいや。安全だし」
と、誰にも見抜かれない自信を以って塗り固められた作り笑いを浮かべてた。
「本心」よりも「体裁」が大事。
他所様の眼、世間の風当たりに拘る周囲を想像しながら、
弁解と言う名の弁明を都合良く並び立てる。
小さい頃から無意識の行為になってて、
それで周りを納得させる事に何ら問題は無かった。
でも、自室で一人の時、軽蔑を籠めて薄く笑う。
勿論、自分自身に。
だけど、そんなことにももう慣れた。
自分に愛想を尽かせれば、何も悩むこともなかった。
諦めと絶望を身につければ、結構楽に生きられる。
例えば、彼等は反対するだろう事が、火を見るより明らかだったとしたら。
きっと、あの瞬間までの僕なら、
「彼等がそう望むなら、それでいい」
と、「良い子」を演じているつもりでいた。
だって、何言ったって仕方ないもの。
こっちの話、真剣に聴いてくれたことなんてなかったし。
だから、いつの間にか、彼等に自分の夢は語らなくなった。
いつだって聞き分けの良い「優等生」でいるだけで、
向こうはとっても満足そうだった。
「自慢だ」って。
だから僕も満足そうに笑ってみる。
「良かったね」って。
限りなく他人事として捉えられるようになれば、
自分に嘘を吐くことくらい、何も感じなくなる。
でも気づく。
いや、やっと受けとめたんだ。
自分で自分の 「心」 を、抱きしめただけ。
それまでだって、
自分の 「本心」 なんて眼を瞑ってたって抉り出せる程、
痛いくらい分かってた。
臓物が口から出そうな程。
気持ち悪いくらいに。
ずっとずっと、もう一人の自分を監禁する気持ちで押し込めてた。
気づいたんじゃなくて、その扉を、抑えきれなくなっただけ。
多分、自分が進歩したとか正直になったとか、そんなんじゃない。
もう、限界だった。
それだけ。
口癖になってた。
「あの頃は、夢は夢でしかなくて、現実じゃなかったのに」
「夢は理想であって、苦しむ為のものじゃなかったのに」
限界にくるずっと昔は、こうなりたいっていう夢を思うと、
楽しい気持ちになって、ワクワクして、ドキドキしたり、すっごく楽しかったんだ。
理想の自分を頭に描くだけで、「心」が温かくなった。
でも、限界に近づけば近づく程、
夢はドス黒くて、「心」を押し潰す為の重い重い鉛でしかなくなった。
僕は、それに耐え切れなかっただけなんだ。
「心」を、得体の知れないものへ変わっていく夢に食い破られていた。
食われる痛みに、耐え切れなかっただけ。
必死になって重い鉛を押し返してたけど、ダメだった。
ある時、音も無く潰れちゃった。
何かの拍子で、とか誰かの一言で、とかじゃなくて、
不意に潰れた。
そしたら、それまでシカトし続けた所為で溜まりに溜まったドロドロしたものが流れ出しちゃった。
「心」が押し潰されると、表面の薄い膜が破れちゃう。
僕の「心」は、まあるい形だった。球体。
害毒に変わった夢に押し潰されて、破れて形を失った中から、
これまで偽ってきた御陰で膿んでしまったらしいものが出てきた。
でも、見ていられるから不思議。
おぞましい光景でも、汚い景色でもないんだ。
「心」はもともと浄化されているものだから、
何て言うか・・・気持ち悪いとは感じない。
今になって思うけど、
あの当時、夢が「心」を押し潰すことになったのは、
とても大事なことだった。
これ以上膿み切れないってところまで膿んでしまった「心」の中身を、
一斉に洗い出してくれた。
ほら、表面は常に浄化されてるから、中がどうなってるのかなんて、
自分じゃ分からないからさ。
夢が潰してくれてなかったら、今頃はもう、僕の「心」は内側から腐ってた。
腐敗したものの辿り着く先は、一つしかない。
膿なら出せば傷口だって再生するけど、
腐ってしまうと、手の付けようが無い。
新しくなったまあるい「心」は、
再生する時に、自分を救ってくれた夢を中に包み込んだ。
「あれ、そんなとこで何してんの?」って。
・・・暢気なもんだよなあ、僕の「心」も。
「キミ、随分黒ずんでるね」って。
「あー、一人なの?じゃあ、一緒にどう?」って。
・・・寝ぼけてる訳じゃないんだけど、
どうも生まれ変わった僕のまあるい「心」はのほほーんとしていて、
眼が覚めたときに隣にいた少し焦げ付いた夢を、
何とか助けてあげないと!って思ったらしい。
「ねえ、こっちおいでよ」
ずっと、夢はその言葉を待っていたんだと思う。
「心」に、声を掛けてもらいたかったんだと思う。
幸村の中で、自分の夢を叶えたいと思うことは、
何となくだけど、禁忌とされていた。
だから、夢はずっと、「心」の中に入れてもらうことが出来なかった。
だって、「心」と一つになると、幸村は夢を求めることになるもの。
ずっとずっと、何年も何年もひとりぼっちだった夢は、
生まれたてで寝起きの「心」に仲間になって良いよって言われて、
ぽよんぽよんって弾んで喜んだ。
夢は、喋れないの。
幸村が描く、理想や空想でしかないから、実態が無い。
だから、「心」のように口を持たない。
ただ、形は「心」と似た感じの、まあるいもの。
でも、影はないの。
優しく柔らかくなった「心」が夢を包み込んで、
もとあった場所に戻り始めたら、
そうしたら、どんどん自分から輝きだした。
それまでシカトされて黒ずんでた「心」が、
僕に眩しいくらいの光でその存在を訴えてくる。
それは僕に、紛れも無い「本心」を認識させた。
「僕は、これを実現させたいんだ」って。
「本当は、この夢を叶えたくてもうどうしようもなくなってる」って。
実際、その当時は本当に生きた屍で・・・。
やっと、自分の「心」を直視した。
その瞬間、覚悟が生まれた。
「毎日毎日言ってるじゃん、いつかは死ぬって。
だったら、一度っきりの人生、博打をするのもありだろう。
『夢は夢でしかなかった』なんて、逃げてるだけだよな」って。
「兎に角、出来るところまでやってみようよ。
他人がどうこうじゃなくて、純粋に、自分はどうしたいのか。
それを、きちんと見定めなきゃ。
挑戦してたらどうなってたのかな、なんて
しみったれた後悔を一生引き摺るなんて真っ平御免だもの」って。
覚悟を決めた途端、苦しんでいたものが一切取り払われた。
「あれ・・・。生きることって、こんなに体が軽いものだったっけ?」って。
あの瞬間って、一生の内で見る一番のターニングポイントだと思う。
幸村が「心」から「覚悟」と呼ぶものは、生半可なものじゃない。
人生を賭することが出来るもの、それを「覚悟」と呼ぶことにしてる。
ただ、
僕には後が無い。
それを選んで突き進むなら、
その道程で失敗は許されない。
生きていくためには、大成する以外道は無い。
きっと、以前の僕ならそれはプレッシャー以外の何物でもなくて、
後退りして直ぐにでも手放してた。
今はね、覚悟があるから、怖くないの。
そりゃあ、不安は沢山あるけど、
上手くいかなかったらどうしようなんて悩む余地なんてありはしない訳で・・・。
「大成させればいいだけの話だ」って、今は思う。
だったら、やるしかないじゃない!
それに人生を賭けたこの夢を叶える目的は、自分の為だけじゃない。
幼い頃から誓ってることも、これの中で実現させないといけない。
色々、背負うものが多い。
だからもう、進むしかない。
正直言って、自分にはそれしかないとも思ってる。
あとは、自分の努力次第。
人生を賭けたんだ、命を託したも同然なの。
失敗したら、命は無いと思ってる。
いや、実際生きていけないんだよな・・・。
だから、すごく強気になれてるんだと思う。
このモチベーションを保ち続けていられるかどうか。
それが、僕の人生を支えられるかどうかと直結するなあ。
「心」が夢に押し潰された日、
僕は本当に生まれ変わったと思う。
出だしは暗いけど希望を語ってるんで徐々に上向きになる内容です、幸村です。
例えば、失敗を許されないとしたら。
きっと、あの瞬間までの僕なら、
「じゃあ、ある程度先を見越すことが可能なこっちでいいや。安全だし」
と、誰にも見抜かれない自信を以って塗り固められた作り笑いを浮かべてた。
「本心」よりも「体裁」が大事。
他所様の眼、世間の風当たりに拘る周囲を想像しながら、
弁解と言う名の弁明を都合良く並び立てる。
小さい頃から無意識の行為になってて、
それで周りを納得させる事に何ら問題は無かった。
でも、自室で一人の時、軽蔑を籠めて薄く笑う。
勿論、自分自身に。
だけど、そんなことにももう慣れた。
自分に愛想を尽かせれば、何も悩むこともなかった。
諦めと絶望を身につければ、結構楽に生きられる。
例えば、彼等は反対するだろう事が、火を見るより明らかだったとしたら。
きっと、あの瞬間までの僕なら、
「彼等がそう望むなら、それでいい」
と、「良い子」を演じているつもりでいた。
だって、何言ったって仕方ないもの。
こっちの話、真剣に聴いてくれたことなんてなかったし。
だから、いつの間にか、彼等に自分の夢は語らなくなった。
いつだって聞き分けの良い「優等生」でいるだけで、
向こうはとっても満足そうだった。
「自慢だ」って。
だから僕も満足そうに笑ってみる。
「良かったね」って。
限りなく他人事として捉えられるようになれば、
自分に嘘を吐くことくらい、何も感じなくなる。
でも気づく。
いや、やっと受けとめたんだ。
自分で自分の 「心」 を、抱きしめただけ。
それまでだって、
自分の 「本心」 なんて眼を瞑ってたって抉り出せる程、
痛いくらい分かってた。
臓物が口から出そうな程。
気持ち悪いくらいに。
ずっとずっと、もう一人の自分を監禁する気持ちで押し込めてた。
気づいたんじゃなくて、その扉を、抑えきれなくなっただけ。
多分、自分が進歩したとか正直になったとか、そんなんじゃない。
もう、限界だった。
それだけ。
口癖になってた。
「あの頃は、夢は夢でしかなくて、現実じゃなかったのに」
「夢は理想であって、苦しむ為のものじゃなかったのに」
限界にくるずっと昔は、こうなりたいっていう夢を思うと、
楽しい気持ちになって、ワクワクして、ドキドキしたり、すっごく楽しかったんだ。
理想の自分を頭に描くだけで、「心」が温かくなった。
でも、限界に近づけば近づく程、
夢はドス黒くて、「心」を押し潰す為の重い重い鉛でしかなくなった。
僕は、それに耐え切れなかっただけなんだ。
「心」を、得体の知れないものへ変わっていく夢に食い破られていた。
食われる痛みに、耐え切れなかっただけ。
必死になって重い鉛を押し返してたけど、ダメだった。
ある時、音も無く潰れちゃった。
何かの拍子で、とか誰かの一言で、とかじゃなくて、
不意に潰れた。
そしたら、それまでシカトし続けた所為で溜まりに溜まったドロドロしたものが流れ出しちゃった。
「心」が押し潰されると、表面の薄い膜が破れちゃう。
僕の「心」は、まあるい形だった。球体。
害毒に変わった夢に押し潰されて、破れて形を失った中から、
これまで偽ってきた御陰で膿んでしまったらしいものが出てきた。
でも、見ていられるから不思議。
おぞましい光景でも、汚い景色でもないんだ。
「心」はもともと浄化されているものだから、
何て言うか・・・気持ち悪いとは感じない。
今になって思うけど、
あの当時、夢が「心」を押し潰すことになったのは、
とても大事なことだった。
これ以上膿み切れないってところまで膿んでしまった「心」の中身を、
一斉に洗い出してくれた。
ほら、表面は常に浄化されてるから、中がどうなってるのかなんて、
自分じゃ分からないからさ。
夢が潰してくれてなかったら、今頃はもう、僕の「心」は内側から腐ってた。
腐敗したものの辿り着く先は、一つしかない。
膿なら出せば傷口だって再生するけど、
腐ってしまうと、手の付けようが無い。
新しくなったまあるい「心」は、
再生する時に、自分を救ってくれた夢を中に包み込んだ。
「あれ、そんなとこで何してんの?」って。
・・・暢気なもんだよなあ、僕の「心」も。
「キミ、随分黒ずんでるね」って。
「あー、一人なの?じゃあ、一緒にどう?」って。
・・・寝ぼけてる訳じゃないんだけど、
どうも生まれ変わった僕のまあるい「心」はのほほーんとしていて、
眼が覚めたときに隣にいた少し焦げ付いた夢を、
何とか助けてあげないと!って思ったらしい。
「ねえ、こっちおいでよ」
ずっと、夢はその言葉を待っていたんだと思う。
「心」に、声を掛けてもらいたかったんだと思う。
幸村の中で、自分の夢を叶えたいと思うことは、
何となくだけど、禁忌とされていた。
だから、夢はずっと、「心」の中に入れてもらうことが出来なかった。
だって、「心」と一つになると、幸村は夢を求めることになるもの。
ずっとずっと、何年も何年もひとりぼっちだった夢は、
生まれたてで寝起きの「心」に仲間になって良いよって言われて、
ぽよんぽよんって弾んで喜んだ。
夢は、喋れないの。
幸村が描く、理想や空想でしかないから、実態が無い。
だから、「心」のように口を持たない。
ただ、形は「心」と似た感じの、まあるいもの。
でも、影はないの。
優しく柔らかくなった「心」が夢を包み込んで、
もとあった場所に戻り始めたら、
そうしたら、どんどん自分から輝きだした。
それまでシカトされて黒ずんでた「心」が、
僕に眩しいくらいの光でその存在を訴えてくる。
それは僕に、紛れも無い「本心」を認識させた。
「僕は、これを実現させたいんだ」って。
「本当は、この夢を叶えたくてもうどうしようもなくなってる」って。
実際、その当時は本当に生きた屍で・・・。
やっと、自分の「心」を直視した。
その瞬間、覚悟が生まれた。
「毎日毎日言ってるじゃん、いつかは死ぬって。
だったら、一度っきりの人生、博打をするのもありだろう。
『夢は夢でしかなかった』なんて、逃げてるだけだよな」って。
「兎に角、出来るところまでやってみようよ。
他人がどうこうじゃなくて、純粋に、自分はどうしたいのか。
それを、きちんと見定めなきゃ。
挑戦してたらどうなってたのかな、なんて
しみったれた後悔を一生引き摺るなんて真っ平御免だもの」って。
覚悟を決めた途端、苦しんでいたものが一切取り払われた。
「あれ・・・。生きることって、こんなに体が軽いものだったっけ?」って。
あの瞬間って、一生の内で見る一番のターニングポイントだと思う。
幸村が「心」から「覚悟」と呼ぶものは、生半可なものじゃない。
人生を賭することが出来るもの、それを「覚悟」と呼ぶことにしてる。
ただ、
僕には後が無い。
それを選んで突き進むなら、
その道程で失敗は許されない。
生きていくためには、大成する以外道は無い。
きっと、以前の僕ならそれはプレッシャー以外の何物でもなくて、
後退りして直ぐにでも手放してた。
今はね、覚悟があるから、怖くないの。
そりゃあ、不安は沢山あるけど、
上手くいかなかったらどうしようなんて悩む余地なんてありはしない訳で・・・。
「大成させればいいだけの話だ」って、今は思う。
だったら、やるしかないじゃない!
それに人生を賭けたこの夢を叶える目的は、自分の為だけじゃない。
幼い頃から誓ってることも、これの中で実現させないといけない。
色々、背負うものが多い。
だからもう、進むしかない。
正直言って、自分にはそれしかないとも思ってる。
あとは、自分の努力次第。
人生を賭けたんだ、命を託したも同然なの。
失敗したら、命は無いと思ってる。
いや、実際生きていけないんだよな・・・。
だから、すごく強気になれてるんだと思う。
このモチベーションを保ち続けていられるかどうか。
それが、僕の人生を支えられるかどうかと直結するなあ。
「心」が夢に押し潰された日、
僕は本当に生まれ変わったと思う。
プロフィール
HN:
幸村玖月
HP:
性別:
非公開
趣味:
ストレッチ。歌。シャドーイング。
自己紹介:
≪座右の銘≫
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
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2012年7月からがベイベー記事。
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