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幸村が気侭に綴るblog。 及川光博氏のメッセージ性・自己実現への姿勢を見習う日々。
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※今回は字数が多すぎて、一度にup出来ませんでした(吃驚)。
三面に亘って記事を投稿してあります。読みにくいですが、お許し下さい。


さあ、覚悟は良いですか?

今日は、トコトン書いていますよ?

今日の幸村に、「遠慮」と言う二文字はありませんよ?

結構言葉遣いも荒いですよ・・・(それを踏まえて下さい)。

持久力がないと、最後まで読みきれませんよ?

軽く、八千字は超えてますよ?(400字詰め原稿用紙にして、軽く20枚以上)

さあさあ、幸村の思いの丈、読みきれますかー?(笑)

毎日これくらいは書きたいんですけどね・・・。

これだけ書こうとすると、二週間程かかるので(←実際にかかった/苦笑)、毎日は無理です。

折角の一周年ですし、まあ、たまには・・・ね。

甲斐田姐さんじゃないけど、

 

「してはいけないことをやっていこう!」

 

の精神で参りたいと思います(笑)。

御付き合い下さい。

では―――

 

おはようございます!こんにちは!こんばんは!

一周年、ありがとうございます、幸村です。

 

これも偏(ひとえ)に、ここに訪れて下さる方々がいる御陰。

誠にありがとうございまする。

だってだって!

こんな一個人の、何てことない筆を読んだり見たりしてくれる人がいると思うからこそ、

blogなんてもんを続けていられる訳だもの。

だーれも見に来てくれないなら、早々に畳んでいたでしょう。

 

でもね、

やっぱり自分の言葉って大切で、どうしても発信したいなあって思うの。

それが、何かを変える力だとか、力じゃないとかは関係ない。

ひょっとすると、誰も来てくれなかったら、「いつかHPにしてやる・・・」って、密かに書き溜めていたかも(笑)。

でも、それでもblogを畳んでいたことには代わりないからね。

ほんと、感謝です。

 

自分から発信したいって言う想いは、小さい頃からあるんだよね。

んー・・・「女」だから・・・なのかなあ?

違うかな・・・(苦笑)。

その辺はわかんないけど、どちらかって言うと「聞いてほしい」より、「言いたい」「伝えたい」って気持ちが強いのね。

でもきっと、「言いたい」って気持ちは、「聞いてほしい」とイコールなの。

表現が違うだけかもしれない。

でも!でもですよ!

表現が違うと言うことは、用いた言葉に籠められている 「伝えたい気持ちの重心」 の位置が違うってことなのね。

 

特に、幸村が文字に起こしたもの、こうして文章にしたものは。

 

「言いたい」って言葉と「聞いてほしい」という 意味 は同じだけど、

二つの言葉に籠められている 気持ちの重心 は、全く違うの。

 

つまり、その部分に遣われる言葉は、それでなくてはいけないというか・・・。

同義語だけど、届けたい想いのニュアンスが違うというか・・・。

 

・・・わかって?(気弱に命令形)

 

 

そんなこんなで、中学の頃から、自分の中にある言葉って大切にしてきた。

中学の頃からっていう表現は的確じゃないな・・・。

小さい頃から、言葉は大事にしてきたつもり。

まあ、小学生の頃はひっどい言葉遣いしてたこともあったけど・・・それもすぐに遣わなくなったなあ。

 

学童の頃から、ホント、「言葉」と「声」には凄く興味があった。

だから、軽々しい科白は聞くだけで腹が立ったなあ。

冷めてたからね、昔から。

 

今も昔も、綺麗な言葉を並べて、聞こえの良い科白で「そうだよね」「成程ね」って思わせようとするものは嫌い。

 

車内広告とかに、最近多いよね、そういうの。

一見すると、すごく良いこと、魅力的なことを言ってるようだけど、

ちょっと考えれば、くだらないなとしか思えない文句を並べた広告。

そんな言葉に対しては、小学生の頃から「アホくさ」とか思ったりしてた。

・・・今考えると、怖い・・・(笑)。

餓鬼の頃からスゲー冷めてた・・・。冷めすぎてた・・・。

でも、それはホント、物事の瞬間瞬間であって、常に人々をそんな目で見ている訳ではないからね。

皆、そんなもんじゃないのかなあ・・・。

冷めた感覚が一切ない人って・・・いるのかな・・・。

でも、いるだろうね、きっと。地上の人間の数って凄く多いから。

 

最近は特に、言葉に対してシビアになりすぎてる部分があるから、余計に目に付くのかもしれない。

言葉の響きや単語の意味が良いばっかりで、中身も誇りも無い広告、多いです。

まあ、あくまでこれは幸村の感覚で見た意見だけど。

 

これは冷めていた例になるのかな・・・。

小学生当時、色んな事(例えば恋愛だとか健康だとか)を象徴するお人形が流行ってたのね。

その中に、「友情を象徴するお人形」みたいなのがあった。

で、ある日、クラスの女子生徒と喧嘩したの。

そしたら、帰り道にその子が泣きながら、人形を目の前に突き出して、

 

「じゃあ、これは何のために持ってんの?!友情やろ?!友情を大事にするためやろ?!」

 

って感じで怒鳴ってきて・・・。

私はその子と人形を見ながら思ってた。

 

「・・・いや、これ、ただの人形やろ」 (※言ってません。)

 

友情は、自身の心の在りようであって、人形に頼ったりするものじゃないと思ってた。

それを持っている友人同士なら友情は壊れないなんて、考えたこともなかった。

だって、御菓子についてる付録だもの。

でも、そんなことを目の前のこの子に言っても、きっとまた何やら怒鳴ってくるに違いないと思った私は・・・

 

「・・・ハア・・・」 (※語尾の「・・・」に、そんな事はないという思いを籠めていた気がする。)

 

と、溜息だけを漏らした。

 

その前後の遣り取りは、何一つ覚えてない。

でも、彼女の言葉と、自分が思ったことだけは、一生忘れない語録に入ってる。

・・・冷めてるのかな・・・?

冷めてるって言うより、物凄く現実的にものごとを捉えているっていう方がいいかもしれない。

 

心は生きているから、何物かによって安定をもたらされるのもじゃない。

 

 

今の出来事の学年から数年後に知ったことだけど、そんな友情云々言ってた彼女は、その出来事より数年前から同学年の女子生徒に

「玖月ちゃんって、物凄いイヤな子やで。わたし、あの子嫌いなんよ」と、言いふらしていたらしい。

幸村を知らない子に、幸村とは友達にならない方が良いと言い回っていたらしい。

・・・まあ、私自身、当時から自分は嫌われっ子だと認識していましたが(苦笑)。

あまりにも真面目過ぎて、物事に対する猶予というものが無かった幸村。固過ぎましたね、ホント。

子供からみれば、四角四面で先生当たりの良い優等生って感じで、イヤな子だったんでしょう。

本当に、今振り返っても、自分は何故にあれ程クソ真面目だったのかと思いますもの。

同級生からすれば、相当な邪魔者だっただろうなあ・・・。

 

それもまあ、過去の話ですよ。

小学生の頃のことって、もう殆ど覚えてないから(笑)。

こんな事あったよなあ・・・程度かな。

友情がどうとか、激情の上で軽々しく口にする彼女を、その瞬間、冷めた目で見ていたお話でした。

 

だから、そんな感じで、持ち出す言葉言葉にすごく敏感になっている自分がいるの。

自分が遣う言葉に対しても、厳しいと思う。

遣った後で反省するのは毎日のことだし。

でも、小学生の頃は、詞を書いたり日記を書いたりすることはなかったからね。

「伝えよう」と言う想いや、「気持ちを言葉にしよう」と考え始めたのは、中学の頃からだから。

自分の中に蟠(わだかま)ってるものを意識的に外部へ解放してやろうと思い始めたのは、中学の頃。

周りは相手にしてくれなかったけどね。

なーんか、僕が思い悩んでることと、友達の持つ興味は世界そのものが違ってた。

皆は、芸能人とか歌手とか、そんな事で話が持ちきりだった。特に、恋愛に関して騒いでたなあ。

僕は、全然興味なくて・・・。まあ、織田裕二さんは好きだったけど・・・。でも、それだけだったしね。

中学で織田さんが好きだなんて、そこもズレてたし・・・。

親類も、「子供やのに何でそんなこと悩んでんの」って感じで、真面目に取り合ってはくれなかったなあ。

・・・うん、今になって思うよ。

中坊なのに何でそんなことで頭抱えてたんだろう・・・って。

やっと、日本中で取沙汰されるようになってきた。

 

地球の未来とか、人類の未来とか。

 

皆、意識するの遅すぎるよ。

そんな事分かりきってたじゃない。こうなるだろう事も、この先どうなるのかも。

専門家が悪いんじゃないよね、これは。

日本全体の意識が低すぎるんだと思う。

・・・その当時、社会を生き抜く人々は皆、見てみぬ振りでもしてたのかなあ。

それは未だに分からないけど。

そんな、人生高だか十二・三年の子供が声を上げても変わりっこ無い事を、本当に夜が眠れなくなるまで悩んでた。

人間という生き物を憎んだり、その人間である自分を憎んだり。

許せなかったんだ。何も出来ないでいる自分も、どんどん好き勝手していく人間も。

「きっと、人間の所為で地球上の生き物はみんな近い将来息絶えることになるんだろう」って思うと、自分も他の人間も、皆許せなかった。

今も、許せないでいる。

そんなことを悩んでノイローゼ一歩手前だった僕の話を聞いてくれて、その人なりの返事をくれた恩師がいたよ。

彼女には、本当に救われたなあ。

当時、僕の考えを本当に真正面から受けとめてくれる人は、彼女しか居なかった。

 

今更だけど、やっぱり、自分が真剣に悩んでることを御座なりにされるのは、苦しかった。

 

だから、余計に言葉が必要だって思ったんだろう。

「言葉にしなきゃ、伝わらない」って。

「ありったけを言葉にしなきゃ、意味が無い」って。

泣いたって笑ったって、命を投げ出したって、

そんな行為だけじゃ、その人自身が思う核心は、絶対に届かない。

「悲しいんだね」「嬉しいんだね」「辛かったんだね」って、そんな抽象的なものを知ってほしいんじゃない。

目に見える 「程度」 を測ってほしいんじゃない。

 

心が、体を掻(か)っ捌(さば)いて見せられるものならどんなに楽だろうって、いつも思う。

伝わらないイタミは、肉体的な痛みと比することは出来ないもの。

 

僕は、僕の中に息づく心を見てほしいだけなの。

でも、自分の心を一から十まで言葉に出来ることなんて、先ずない。

誰も彼もそうだと思う。そんなことは分かってるよ?

でも、前にも言ったじゃん。

「皆がそうだからって、僕には何の慰めにもならない」って。

誰がどうとか関係無いんだよ。

「自分の気持ちが言葉に出来ないことに苦しんでる」、これが僕の事実に代わりは無いんだから。

 

伝えたい想いに、限(きり)はない。

けれど、

言葉に出来ないんだ。

いつかの僕も、今の僕も。

文字で表現される「言葉」を、選べない。

それは、自分の語彙力の所為でもあるけれど、それ以上に、

僕自身が、言葉に出来ないでいる。

言葉を、選べない。

 
続きは下項に書いてあります。
文字数が多すぎで一枚にup出来なかった・・・。

プロフィール
HN:
幸村玖月
性別:
非公開
趣味:
ストレッチ。歌。シャドーイング。
自己紹介:
≪座右の銘≫
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」

≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助

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返信はblog記事の後書にて。

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