幸村が気侭に綴るblog。 及川光博氏のメッセージ性・自己実現への姿勢を見習う日々。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
またレッスンに行きたいなあ、幸村です。
自慢だが!
小一くらいから接骨院や鍼灸院に通っているんだ。
小児料金って、本当に安かったよ。
学生も、結構安かったよ。
大人料金になったら、急に上がったぜ・・・。腰以上に痛いかも(苦笑)。
接骨院の先生曰く、腰と接続する辺りの背骨が歪んでいるらしい。
・・・へ、へるにあ・・・?とか思ったら、そうでも無いらしい。
ええ、ええ!そりゃもう!!昔から色々と腰痛には悩んでるさ。
肩凝りとかもすごいです。・・・児童の頃から。
一時期大変だったこともあるんだよねー。
でも、僕の場合は腰痛と言っても、腰の筋肉じゃなくて、骨が痛いんですよ。
椎間板関係?・・・やっぱりヘルニアなのかな・・・。
最近は落ち着いていて、御無沙汰してますけど。
あー、でも、長時間の電車は流石にツラかったなあ。
何とか保ちましたけどね!
昨日書いた低い声の為に腹筋を意識して使うようになったから、腰にかかる負担が減ったのかも。
兎に角、腹筋が弱くてね;
それが腰を悪くする原因の一つにもなったんですよ。
んー・・・中学の頃が一番酷かったかな。
ヴァイオリンを構えることも出来なかったもの。
そう、この楽器、結構腰にくるのよね(笑)。アタシみたいに腹筋が無いと。
だから先生と相談して、御椅子を用意してもらったりしたなあ・・・。
ああ、懐かしい・・・。辛かったけど、いい思い出。
ヴァイオリンって、きちんと構えていれば、全身の筋肉が鍛えられますよ~。
御陰で、ヴァイオリンを必死にレッスンしていた頃は、体が締まってたもの。
レッスンの時間を減らした途端、太りました。
指が顕著だったな。あと、腕も。
毎日毎日必死になって弾いてた頃は、指も腕も引き締まってたもんねー。
あー・・・また習いに行きたい・・・。
自分で譜面を買って練習したりするけど、直してもらえないと進歩してんのかどうか分からなくて・・・。
カセットに録って聴いたりするけど、やっぱりレッスンしてもらうのとは違うんだよね。
それに、習ってた頃って、まだまだ音楽に対する感覚が鈍かった。
先生が「ここはもっと優しく弾くといいと思うよ」って仰っても、ピンと来なかった。
「優しく」って言われるから優しく弾いてた。
言われた通りに弾いてたけど、自分がそれを理解していたのかというと、
答えはNo。
「表現する」ということの本質を理解し始めたのは、つい最近なんだ。
昔から、感受性が高いねーなんて言われてきたけど、自分が音楽を奏でる時に「こうしよう」「ああしよう」っていう転換が無かったなあ。
音読に関しては小さい頃から表現方法には拘ってたけどなあ・・・。
・・・何で音楽にそれを反映させなかったのだろう・・・。
ここ数年、自分の中で「心」について色々と問題を処理する必要に迫られてる。
それまでの十年くらいで蓄積されてきたものが、行き場を無くして一気に壊れただけなんだけど。
その状況を以って、何だかんだで一つ二つと山を越えた辺りで、
初めて自分から「こう弾きたい」「もっとこうしたい」って思うようになった。
それは、ヴァイオリンを弾く時だけじゃなくて、何をしても思う。
うまく表現したい、とかじゃなくて、
本当に自然と「ここをこう弾きたい」って、心の核から湧いてくる。
何だろう?
それを、「心」が求めてるって言えばいいのかなあ・・・。
感じることと表現することが、一つになってきたのかな?
だから、今ならヴァイオリンのレッスンも、本当に楽しみながら出来ると思う。
表現方法を追求することを、自分の中でしっかり認識出きるようになったから。
昔は、先生に弾き方を直されたり、力強くとか泣くようにとか言われてもよく分からなくて、完全に受身のレッスンだったけどさ。
これからなら、もっと貪欲になれるんじゃなかなあ、って。
直されるのも楽しくなると思う。
腰痛も、大分ましだろうし(笑)。
まあ、それもこれも、現状を打破しない限り不可能なんだけどね~。
でも、夢って、沢山あっても良いと思うから、いつかまた習いに行けるといいなって思っておこう。
「出来ないからなー」って、そこで願望を捨てちゃったら、何も残らないしね。
叶う、叶わないが大事じゃない。
「これがいいな」「こうなったらいいな」っていう想いを、諦めずに持ち続けることが本当の価値を持つようになると思う。
価値って、後になって分かったりすることが多いからね。
時間をかけて高まるものもある。
勿論、その瞬間にしかない価値もあるけど、「その瞬間が一番値打ちが高かった」って分かるのは、ずっと後になってからだったりする。
やっぱり、何よりも「諦めない」ことが大切なんじゃなかな。
沢山沢山夢があるなら、ずっとずっとその想いを大切にすればいいと思う。
実現させたいなら、無論のこと、その夢に見合う努力と覚悟が必要だけどね。
それでも、覚悟が出来ないから、とか努力するの苦手なんだよね、とか言って捨てちゃうのは、一番いけない。
叶わないって諦めるのは、早いと思う。
人生が幕を下ろす瞬間までは、早い。
そりゃ、年齢とか性別とか、制約は沢山あるけど・・・僕の場合、声だけを男声にしたいなんて言っても難しいけど・・・。(調べれば方法はあるだろうけどね)
諦めちゃったら、そこで御終いだもの。
何も続いて行かないじゃん。
命と同じ。
だからね、幸村は、夢があるならずっとずっと大切にしていきたいなーって。
色々困難はあるだろうけど、今すぐには叶わないけど、
超える谷や山の数が多ければ多い程、行き着いた時の喜びは大きい筈だから。
夢見てきたものと叶えたものの理想と現実が違うことは、あるけどね。
「私が願ってきたのはこんなんじゃない」ってことは多々ある。
私の短い人生にも、そんなものは幾らでもあった。
でも、それでも、そこに行き着く過程で起こったことでその人にとって無駄になるものは何一つ無い。
んー・・・、言い方が適切じゃないな・・・。
「無駄にさせない」って意識が無いと、無駄になるものばかりだから。
それはもう、その人自身の自己を研磨する意識の違いだから仕方ないけど・・・。
意識が高い人にとっては、全てが、そこから先の自分の糧となる。
人生において、意味の無い事なんて本当は無いんだもん。
意味を持たないと思うなら、自分で意味を持たせればいい、生み出せばいい。
他人に意味を与えてもらう事を待つ人は、いつまで経っても変われない。
自分自身も自分の人生も、自分じゃないと変えていけない。
だから、夢があるなら、
今は無理でもこの先どうか分からないんだし、ずっとずっと持っておくといいと思ってる。
機会なんて、いつ巡ってくるか分からない。
チャンスが来た時、直ぐに出せるよう、いつも胸の奥で温めてるから、幸村の中には本当に沢山、夢があります。
そりゃもう、大きいものから小さいものまで(笑)。
自分にとってプラスになるものなら、抱えきれない程持って歩いたって、辛くないじゃん。
抱えきれない程の、すっごく素敵で大きな花束を両手に抱いて歩けば、すれ違う人達の反応も普段とは違うだろうし。
「あの子、何かやってるよ?」
って、興味を持ってくれたらシメタもんじゃない?
「そう!アタシ、今からスゴイことしちゃうから!!」
って、宣言しちゃえば、もう後戻り出来ないし、突き進むだけ。
そうすれば、どんどん自分を変えていけると思う。
本当の意味で開き直ったら、それまで気になって仕方の無かったことが何ともなくなる。
それくらいの覚悟を決めたなら、清水の舞台にも立てるだろうし。
そこまで行けば、何も怖いものないじゃない。
だからね(笑)。
沢山沢山夢を持って、色んな人たちに吹聴すればいいなって、ある時思った。
結構良い意味で、今自分を追い込んでるところ。
欲張りなんですよ、幸村はね(笑)。
またレッスンに行きたいなあ、幸村です。
自慢だが!
小一くらいから接骨院や鍼灸院に通っているんだ。
小児料金って、本当に安かったよ。
学生も、結構安かったよ。
大人料金になったら、急に上がったぜ・・・。腰以上に痛いかも(苦笑)。
接骨院の先生曰く、腰と接続する辺りの背骨が歪んでいるらしい。
・・・へ、へるにあ・・・?とか思ったら、そうでも無いらしい。
ええ、ええ!そりゃもう!!昔から色々と腰痛には悩んでるさ。
肩凝りとかもすごいです。・・・児童の頃から。
一時期大変だったこともあるんだよねー。
でも、僕の場合は腰痛と言っても、腰の筋肉じゃなくて、骨が痛いんですよ。
椎間板関係?・・・やっぱりヘルニアなのかな・・・。
最近は落ち着いていて、御無沙汰してますけど。
あー、でも、長時間の電車は流石にツラかったなあ。
何とか保ちましたけどね!
昨日書いた低い声の為に腹筋を意識して使うようになったから、腰にかかる負担が減ったのかも。
兎に角、腹筋が弱くてね;
それが腰を悪くする原因の一つにもなったんですよ。
んー・・・中学の頃が一番酷かったかな。
ヴァイオリンを構えることも出来なかったもの。
そう、この楽器、結構腰にくるのよね(笑)。アタシみたいに腹筋が無いと。
だから先生と相談して、御椅子を用意してもらったりしたなあ・・・。
ああ、懐かしい・・・。辛かったけど、いい思い出。
ヴァイオリンって、きちんと構えていれば、全身の筋肉が鍛えられますよ~。
御陰で、ヴァイオリンを必死にレッスンしていた頃は、体が締まってたもの。
レッスンの時間を減らした途端、太りました。
指が顕著だったな。あと、腕も。
毎日毎日必死になって弾いてた頃は、指も腕も引き締まってたもんねー。
あー・・・また習いに行きたい・・・。
自分で譜面を買って練習したりするけど、直してもらえないと進歩してんのかどうか分からなくて・・・。
カセットに録って聴いたりするけど、やっぱりレッスンしてもらうのとは違うんだよね。
それに、習ってた頃って、まだまだ音楽に対する感覚が鈍かった。
先生が「ここはもっと優しく弾くといいと思うよ」って仰っても、ピンと来なかった。
「優しく」って言われるから優しく弾いてた。
言われた通りに弾いてたけど、自分がそれを理解していたのかというと、
答えはNo。
「表現する」ということの本質を理解し始めたのは、つい最近なんだ。
昔から、感受性が高いねーなんて言われてきたけど、自分が音楽を奏でる時に「こうしよう」「ああしよう」っていう転換が無かったなあ。
音読に関しては小さい頃から表現方法には拘ってたけどなあ・・・。
・・・何で音楽にそれを反映させなかったのだろう・・・。
ここ数年、自分の中で「心」について色々と問題を処理する必要に迫られてる。
それまでの十年くらいで蓄積されてきたものが、行き場を無くして一気に壊れただけなんだけど。
その状況を以って、何だかんだで一つ二つと山を越えた辺りで、
初めて自分から「こう弾きたい」「もっとこうしたい」って思うようになった。
それは、ヴァイオリンを弾く時だけじゃなくて、何をしても思う。
うまく表現したい、とかじゃなくて、
本当に自然と「ここをこう弾きたい」って、心の核から湧いてくる。
何だろう?
それを、「心」が求めてるって言えばいいのかなあ・・・。
感じることと表現することが、一つになってきたのかな?
だから、今ならヴァイオリンのレッスンも、本当に楽しみながら出来ると思う。
表現方法を追求することを、自分の中でしっかり認識出きるようになったから。
昔は、先生に弾き方を直されたり、力強くとか泣くようにとか言われてもよく分からなくて、完全に受身のレッスンだったけどさ。
これからなら、もっと貪欲になれるんじゃなかなあ、って。
直されるのも楽しくなると思う。
腰痛も、大分ましだろうし(笑)。
まあ、それもこれも、現状を打破しない限り不可能なんだけどね~。
でも、夢って、沢山あっても良いと思うから、いつかまた習いに行けるといいなって思っておこう。
「出来ないからなー」って、そこで願望を捨てちゃったら、何も残らないしね。
叶う、叶わないが大事じゃない。
「これがいいな」「こうなったらいいな」っていう想いを、諦めずに持ち続けることが本当の価値を持つようになると思う。
価値って、後になって分かったりすることが多いからね。
時間をかけて高まるものもある。
勿論、その瞬間にしかない価値もあるけど、「その瞬間が一番値打ちが高かった」って分かるのは、ずっと後になってからだったりする。
やっぱり、何よりも「諦めない」ことが大切なんじゃなかな。
沢山沢山夢があるなら、ずっとずっとその想いを大切にすればいいと思う。
実現させたいなら、無論のこと、その夢に見合う努力と覚悟が必要だけどね。
それでも、覚悟が出来ないから、とか努力するの苦手なんだよね、とか言って捨てちゃうのは、一番いけない。
叶わないって諦めるのは、早いと思う。
人生が幕を下ろす瞬間までは、早い。
そりゃ、年齢とか性別とか、制約は沢山あるけど・・・僕の場合、声だけを男声にしたいなんて言っても難しいけど・・・。(調べれば方法はあるだろうけどね)
諦めちゃったら、そこで御終いだもの。
何も続いて行かないじゃん。
命と同じ。
だからね、幸村は、夢があるならずっとずっと大切にしていきたいなーって。
色々困難はあるだろうけど、今すぐには叶わないけど、
超える谷や山の数が多ければ多い程、行き着いた時の喜びは大きい筈だから。
夢見てきたものと叶えたものの理想と現実が違うことは、あるけどね。
「私が願ってきたのはこんなんじゃない」ってことは多々ある。
私の短い人生にも、そんなものは幾らでもあった。
でも、それでも、そこに行き着く過程で起こったことでその人にとって無駄になるものは何一つ無い。
んー・・・、言い方が適切じゃないな・・・。
「無駄にさせない」って意識が無いと、無駄になるものばかりだから。
それはもう、その人自身の自己を研磨する意識の違いだから仕方ないけど・・・。
意識が高い人にとっては、全てが、そこから先の自分の糧となる。
人生において、意味の無い事なんて本当は無いんだもん。
意味を持たないと思うなら、自分で意味を持たせればいい、生み出せばいい。
他人に意味を与えてもらう事を待つ人は、いつまで経っても変われない。
自分自身も自分の人生も、自分じゃないと変えていけない。
だから、夢があるなら、
今は無理でもこの先どうか分からないんだし、ずっとずっと持っておくといいと思ってる。
機会なんて、いつ巡ってくるか分からない。
チャンスが来た時、直ぐに出せるよう、いつも胸の奥で温めてるから、幸村の中には本当に沢山、夢があります。
そりゃもう、大きいものから小さいものまで(笑)。
自分にとってプラスになるものなら、抱えきれない程持って歩いたって、辛くないじゃん。
抱えきれない程の、すっごく素敵で大きな花束を両手に抱いて歩けば、すれ違う人達の反応も普段とは違うだろうし。
「あの子、何かやってるよ?」
って、興味を持ってくれたらシメタもんじゃない?
「そう!アタシ、今からスゴイことしちゃうから!!」
って、宣言しちゃえば、もう後戻り出来ないし、突き進むだけ。
そうすれば、どんどん自分を変えていけると思う。
本当の意味で開き直ったら、それまで気になって仕方の無かったことが何ともなくなる。
それくらいの覚悟を決めたなら、清水の舞台にも立てるだろうし。
そこまで行けば、何も怖いものないじゃない。
だからね(笑)。
沢山沢山夢を持って、色んな人たちに吹聴すればいいなって、ある時思った。
結構良い意味で、今自分を追い込んでるところ。
欲張りなんですよ、幸村はね(笑)。
プロフィール
HN:
幸村玖月
HP:
性別:
非公開
趣味:
ストレッチ。歌。シャドーイング。
自己紹介:
≪座右の銘≫
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
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2012年7月からがベイベー記事。
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