早くよくなってね、幸村です。
まさかここまで悪化してしまうとは想像もしていなかったの。
随分前だったし。
すっかり元気だったし。
もう何ともないはずだったのに。
それでも、ここから挽回出来る可能性は充分にある。
だから、アタシだって応援している。
アタシが出来る範囲で、アタシに出来ることをしていきたいと思う。
もちろん、他の皆も力になるよ。
だからさ、無理しないで、一緒に前見ていこう?
そんな月曜の夜。
火曜から、皆それぞれ出来ることを開始したのだけれど。
日曜にreから電話が来た時も、土曜にmeに行く話になった時にも何となく感じたあれは、
この話を聞かされて、決意に変わったのだ。
そして気づく。
アタシはなんて独り善がりの目標と理想を立てているのだろうと。
恐らく、発信していく側にある人間にとって、
「それ」をする意義、理由、指針などが定まっていることは、
ある程度の基盤と支えになるのだろう。
アタシは今まで、その総てを自分の視点と自分への回帰によって成り立たせていた。
でも、そんなの小さすぎる。
自分のためにあることは、悪くないよ。
そうすることで、誰にも劣らない爆発的なパワーを発揮出来る人もいる。
でも自分は、そこから拡がっていくものがとても少ないと感じていた。
きっと、そのうち尽きる。
そんな気がしてた。
それに、やっぱりどこか本気になれない。
所詮は自分の為だもんね。
「ちょっとくらい」とか思っちゃう。
意思が弱い。自分に甘い。
でも、日曜のあの電話で、意識が変わった。
月曜に聞かされた話で、心に決めた。
「こうしてやろう!」って決心したわけじゃない。
ただ自然に、「こうしたい」って思ったから。
だから、そうすることにした。
アタシは、reとym、mhのために、
ひいては、同じような状態に陥った人達にも届くように、
表現しようと思う。
そこに込めるものが「やさしさ」でありたいことは、
自分が彼にその「やさしさ」で救われたからに他ならないんだけど。
でもどうなんだろうね。
彼の表現があれ程に柔らかく、優しいのはきっと、
表現する以上に彼自身が柔らかく優しいからなんだと、アタシはずっと感じている。
果たして、それが自分にも出来るのだろうか。
でも、同じようにしなくてもいいわけで。
あくまで彼が持つ優しさの表現は、彼の出せる優しさ。
アタシの持つものとは、感覚が異なるものだと思う。
それに、tdk課長と似ている(っていうか既に「tdk課長だ」って言われてる)テンションの持っていき方や、
世話好きなところとか。
そういうのをうまく出せればいいのかなと思ってみたり。
何はともあれ、自分の方向性を決心出来たのは、
大きな収穫であり、成長でもある。
自分のためだけにやってきたけど、
きっとそれじゃ、アタシはこれ以上広がってはいけないと思うんだ。
自己完結しちゃうから、事実どこまでいっても小さくまとまって駄目だった。
今回の話は何一つ喜べるものじゃないし、
きっとこれからが本人にとっても、アタシたち周囲の人間にとっても
辛いんだろうって思う。
どう転ぶのか、誰にも分からない。
祈ることや、考えうる手を尽くすことくらいしか出来ない。
でも、とても大きなことに気づかせてもらえたんだ。
だからこそ、余計に力にならなきゃ。
アタシに出来ることをやっていかなきゃ。
結果を出すこと。
何より、結果をださなきゃね。
ホントに。
今までと心持ちも違うし、念ずる強さも違う。
これまで打ち立ててきた「自分の為」の指針も意義も理由も全部捨てて、
アタシ、新しくなれたんだ。
だから、新しいものを表現出来るはずだよ。
そこに何かが見つかるなら、すごく嬉しい。
それに貴女によくなってほしい理由は、ちゃんとあってね。
あの当時、唯一アタシの夢の話を真剣に聴いてくれたでしょう?
調べ物もしてくれた。
「素敵だ」って、「アタシは好きだよ」って言ってくれた。
あの瞬間は、本気で貴女の子供だったらよかったなあって思っちゃったもんね。
もう随分前だからね、覚えてないかもしれないけど。
アタシは、この先もきっとずっと覚えていられる。
いまだに、あの時の状況は鮮明に残ってるもん。
だから、結果で応えてみせる。
アタシに出来ることは、アタシにしか出来ないことでもあると信じてるから。
こんなに譲りたくない心持ち、
生きてきた中で比類するものは何一つなかった。
きっと、これがアタシの道なんだと思う。
だから、アタシはやらなきゃいけないんだよ。
負けていられないんだ。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
白哉消ゆ・・・!幸村です。
ちょっと―――!?
兄様、どこにおゆきなすったあああああ!!!
写真の如くなっておった本日。
思い起こせば昨日の段階で、携帯の周辺が随分スッキリしていたような。
・・・お主、いつの間におらぬようになっておったのじゃ。
確かに?
幾分前から卍解の要である右手がもげてなくなってたけど?
Σ そうか、びゃくや号の冷房を入れずに毎日走るもんだから、
自棄になったのだな!?
びゃくや号の冷房を入れて走れと言いたいのだな!?(?)
いやいや。
車の冷房は喉によくないって。
入れて走ったらすぐ喉痛くなるもん・・・。
それに風を感じて走る方がよっぽど涼しいって!!
・・・信号待ちは根性で耐えるんだって・・・。←
ちょっと淋しいきもちになった本日の朝。
びゃっくん、何処行っちゃったんだろう。
鞄にもいないし・・・。
この子は、保存用に買ってあるからそこまで凹まなかったけど。
でも何か、
兄様がいなくなったのにそこまでの衝撃を受けない自分に衝撃を受けた(ややこしい)。
以前なら考えられないよねー。
・・・兄様・・・好きだよ?
好きなんだけど・・・。
あまりに離れすぎてるっていうか・・・現実的に;
振り向いてあげるタイミングもないっていうか。
本誌に出てこないし。
もうちょいすれば、アニメに御出でなるかしらねえ。
+ + +
本日、輪くぐり。
きちんと御参り。
去年は御挨拶出来なかったから、よかったなあと思いつつ。
人形の時間であんなにやんややんやするのは、
きっと幸村家だけだよね、とか。
参拝後、客家の話を見つつ、
高校時代の同級生から連絡が入りつつ、
室井さんの映画見つつ。
だから広島だったのか・・・納得。
+ + +
7月30日。
涙のandくん相談会。
自信がない時って、辛いよね。
何をやっても不安な気持ちがあるっていうか。
精神的な自信を持てない時は、
物理的な自信材料を用意出来るとまだましなのかなあって思う。
例えば、
毎日毎日、自分が練習したメニューをメモに書いて溜めておく。
試験だとか大事な日とか、そういう時に、
今までのメモを全部束ねて持って行く。
御守代わりにね。
そうすれば、
「自分は今日までこれだけやってきた。だから絶対大丈夫」って思えるかもしれないし。
自信は、持とうと思って持てるものじゃないからさ。
どうしても持てないなら、無理して自信をつけようとしなくていいと思う。
経験を積み重ねて、「これでいいのか~!」とか
「自分ってこういうことも出来るのか~」とか、
色々と感じたことが幾つも層になって築かれるものだろうし。
精神的な自信は、自ずとついてくるものだろうから、
今まだそれが成立していないなら、
目に見える形で、自信につながりそうなものを用意するのも一手。
ただ、原稿に目を通した時に自分が感じることや伝えたい気持ちに、
正しいも正しくないもない。
あなたがそう感じるなら、その通りに表現すればいいと思う。
誰かを傷つけることがあるかもしれないけど、
同じ表現で、救われる人もいるかもしれない。
発信する側の気持ちが一つじゃないように、
きっと受け取る側の反応も一つじゃないもの。
そこに本気があるなら、だけど。
おふざけで発したもので誰かを傷つけることは、
今の話に於いて、論外だもんね。
だから、自分が感じるなら躊躇いなくぶつけていけばいいんじゃない?
なーんて話をしたりして。
色々伝えた気がするなあ。
ttnも、いいこといっぱい言っていた。
「一日ひとつの反省を一年間積み重ねた人としなかった人じゃ、
年間こんだけの差が出るでしょ?」の話。
それ、アタシもよく思う。
反省に限らず、全てに通ずるよね。
やっぱりさ、積み重ねが総てだよ。
悩んでること、焦ってることがあれば、
「今の悩みは何か」から始めて、
限りなく具体的に突き詰めてゆくのもありかも。
そこから少しずつ、対応策も捻り出せるだろうし。
同じパターンが見えてきたなら、
これまでのパターンを変えてしまえば、
突破口も見つかるかもしれないしさ。
まるっきり変えなくても、
どこか一箇所だけに変化を与えればいい。
そうすれば、これまでの歯車が崩れるから、
どんどん新しい動きが出てくるはず。
きっかけがあれば、総ては変わると信じてる。
単純になれば、意外と解決策って見えてくるものなのかも。
とか言ってるのは、今はまだ自分に余裕があるからで(笑)。
きっと、自分がその立場になったら、
全然何も見えなくなってるよ。
まあ、金曜はお役に立てたみたいだからよしとしよう~。
新しい靴を買ったの。幸村です。
ここのところずっと、ほしかったものがあったの。
くつ。
手持ちのものが立て続けに壊れてしまって、
履いていられなくなったの。
修理に出して直るようなものじゃなかったし。
修理に出してやりたい靴も一つあるんだけど。
足元が変わると、気分が変わるよね。
明日から暫く、気分的に憂鬱な日々だし、
これで少しは気分転換かな。
今日選んだのは、
普段使いと、エレガンスサンダルと。
それでも、
金曜に言ってた紅いエレガンスサンダルはやっぱり気になるから、
次に残ってたら考えようと思う。
あれはあれで、とても素敵。
+ + +
「ハートキャッチプリキュア」を見ました。
加えて、戦隊ものも。
戦隊もののシナリオ、とてつもなく漫才要素が濃かった(笑)。
半時間、ツッコミっぱなしで忙しかったゼ。
ああいう話の作り方って、戦隊もののイメージにはなかったから、
すごく面白かった。
先入観というか、固定観念って、視野を狭めるなあと再確認。
「宮田さんlike花太郎」らしき声が出てきてびっくりしたし(笑)。
つか、あれはきっと宮田さんだ。
「~プリキュア」は、サンシャインの眼が非常にかっこよろし。
あの眼はイイと思う。うん。
それにしても、イツキ先輩が何故女の子になるのか、
重要回を見落としている為に不明のまま;
って、お兄さまの方が余程女性っぽいぞなもし。
単に、キャラ設定やキャラクターデザインの問題なのかしら。
ダークなプリキュアが高山さんぽいのにも驚いた。
豪華ね、色々と。
+ + +
いい加減、堪忍袋の緒が切れたのか、
相手に対して瞬間的にカティーンときたことに前触れもなく若干ながら怒鳴るおれ。
まああんなの、怒鳴った中にも入らないけど。
ちょっと叱っただけ。叱るも何も注意しただけ。
いつもより、ホンの少し声が大きかっただけ。
毎っっ回おんなじこと言わせるのがいい加減頭にきたのですよ。
何回言わせる?
まあ、この先もずっと学習しないんだろうけどね、ああいう人は。
きっと、この先も同じことを繰り返していく。
誰の時でもそうだけど、
「心根はとてもいい子なんです」とか
「本当はとてもいい人なんです」とか言いますが。
そんなの、誰にだって言えますよ。
だからどうなの?って話。
注意が必要だったり叱責された時の言い訳にも免罪符にもなりません。
今、こちらが言及したいのは、普段どうなのかじゃない。
本当はどういう人間かなんてことじゃない。
「今、あんた何しましたか?」って話だ。
「どうしてそういうことしたの?」「どうしてこういうことするの?」ってこと。
だからアタシは相手に指摘するわけで。
そこに「普段どうこう」なんて話は必要ないんです。
どれほどいい子であれいい人であれ、
直さなきゃならないところは直さなきゃね?
他人に迷惑かけることは、しちゃいけないこと。
他人の気分を害するか否かを考えてから行動するのは、身につけておくべきこと。
「周囲や相手を意識する」意識が必要です。
いつまでも優しい言い方でフォローしてやるほどぬるい人間でもありませんしね、アタシも。
なーんて、ちょっと真面目に言ってみた夏の日。
今日は夜も暑いね。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
泣いた、幸村です。
仕事帰り。
この辺りでは1、2に入るほどの大掛かりな花火大会と祭り―――
―――を、車の中からチラチラ見る。
←人混みに飛び込む勇気はなかった。
祭りの開催地は少し離れていたから直に見てはいないけれど。
高台になる度に、花火がチラチラと見えた。
とても遠くまで来たのに、建物と建物の間から見える。
ふと、道沿いの影が途切れた瞬間、
花火まで突き当たるくらい開けた視界。
そこに、真っ白な大輪の枝垂れのような花火が飛び込んできた。
あまりにも予想外で。
あまりにも綺麗で。
車の中で号泣。
あれは反則だ。
儚いくせにどこまでも魅力的でさ。
あっと言う間に消えてしまうのに、いつまでも余韻を残す。
思えば、打ち上げ花火なんて何年ぶりだろう?
音を聞くこともあの輝きを眼にすることも、
随分なかったからなあ。
琴線に触れたらしい。
+ + +
ちょっと真面目な独り言。
最近の出来事を色々振り返るとさ、
最近、自分は飢えてるんだろうなって思う。
生きるとこや死ぬことに頭を抱えて悩んでた、あの感覚に似てる。
真実や事実、自分や他人、理想と現実。
自身の存在理由とか意義とか、
兎に角色んなことが混沌としてて歯痒かった、あの時期に似てる。
言葉一つ綴るのにも、ものすごく神経を研ぎ澄ましていた頃にも似てる。
大人に対して冷めた視線を向けてた時期っていうか。
他人との距離を推し量ってしまう躊躇いとか自分を打破したい苛立ちとか。
一番苦しかった時期っていうのかな。
鈍くなってたんだ、あの頃より。明らかに。
それは、自分でもよく分かってた。
色んなことに、痛みを感じなくなってきたから。
心がなくなったわけじゃない。
柔らかくなくなってた。
硬いんだよね。表面が。
ど真ん中には、まだまだ柔らかい部分があって、
それはきっと、息を吹きかけるだけでも皮が剥けて血が出てくるほど敏感なもの。
でも、そこを覆う膜が、どんどん鈍化してきて硬くなってきて、
表面に触れても奥まで届かない。響かない。
殆どのことが、響いてこない。
だから、当時涙してたことも、すっかり平気になってたり忘れちゃったり。
忘れることは悪ではないし、あって当然の現象だから、
それは悲しむことでもないんだろうけど。
ただ、鈍くなったことで自分の信念や感性が失われるのは嫌だった。
何より、感じなくなるのが怖い。
最近、ものすごく心が敏感になってるのが分かる。
あの頃、綺麗なものをみると胸が痛んだ。
ショーウィンドウの前に立つと、恵まれた国にいるんだなって思い知らされるから。
世界には、そうじゃない場所だってあるのに。
感謝もするけど、うしろめたくもなる。
全部、無駄じゃないの?って思えてくることもあった。
自分たちで処理しきれないものがあるなら、
本当に必要としている人の許へ届けてあげればいいのにとか。
いろいろ。
そういうの、すっかり忘れちゃってたんだよね。
でも、自分の中の感覚や、自分にしか出来ないものを突き詰めると、
そういう部分って結構有益だったりする。
自分は何が好きで、何が嫌いなのか。
何を許せて、何を許せないのか。
何がほしくて、何を求めていないのか。
そもそも、自分の自然な感覚って何なの?とか。
あの子がこう考えてるから自分もそうあるべきだ、なんて思わないし、
この子がこうしてるから自分もそうしたいと思ったこともない。
無いもの強請りは、やっぱりあるけど。
「あんな声いいな」とか「ああいう性格っていいな」とか。
自分の憧れに近いものを持ってる人には、
少なからず羨ましさを抱いてしまうけれど。
それでも、自分の物差を変えようと思ったことはなくて。
最終的に、やっぱり自分は恵まれているなあというところに落ち着いたりする。
どんな努力をしようと変更できないものに対して失望したりもするけど。
恨んだこともあったし。
でも、それって無意味なんだよね。
だって変えられないんだし。
選べないものって、誰にでもあるし。
その範囲内でどこまでいけるかってのも、個人個人の人生だろうしね。
まあ、何はともあれ。
感覚が戻ってきたのは、すごく喜ばしいことだよね。
あの頃とはまるで違うの、幸村です。
金曜組。
「自分が今あるのは織田裕二さんのおかげなの」とか暴露。
「オレの感動返して」とか「鳥肌返して」とか言われた(笑)
皆、分かってない!!
芸能人だからとか思ってんでしょ!?
アタシにとっては一生感謝しつづけてもし尽くせない程の恩人なんだからネ!?
っていう(笑)
それで思い出したの。
「ドキュメント・織田裕二」 (幸村の本棚下の段・Noimageの本)
これに出逢えたから、幸村さんは存在します。
ええ、本当に。
んー、これに出逢ってなくても、
自分を物理的に殺しちゃうことはなかったと思うんだけど。
死んでも何も変わらないって想いは、中学生当時からあったからね。
だとしても、今の自分は存在しないなあ。
生活してるけど、”生きてない”ような人間になってたんじゃないかな。
それに、ものの見方や考え方も、とても影響を受けたから、
これを知らなかったら、どうなってたんだろうね。
自分のやりたいことも見つからない、
生命を絶つことはしないけど、生きることもしない。
他人なんて皆勝手な人間ばっかりだと思ってただろうし、
自分は一人だって思ってただろうし、
誰もわかってくれる人なんていないって思ってただろうし。
織田さんに救われるまでに起こった偶然については、
日付から何から、全部覚えてる。
その話は、また機会があればね。
そう、それで「ドキュメント・織田裕二」を、久しぶりに読んでみた。
中学の頃、
きれいな水が体中に沁みこんでくるみたいに、
彼の言葉一つ一つがどんどん入ってきた。
泣きながら、何度も何度も読み返して。
この本を開く度に、泣きじゃくっててさ。
でも、当時は全然掴めなかった部分もあって。
お芝居の話とか。
役者の立場での視点だったり、考え方だったり。
それが、今はホントに分かる!
そして参考になる!!
すごいよね、やっぱりさ。
でもこれが30代前半の人の言葉なのかって、
今はそこにも衝撃を受けてる。
中学生からすれば、大人の意見だったけど。
今の自分からすると、果たして同じ年齢になったとき、
ここまでアタシは語れるだろうかって。
そういう点でも、やっぱり彼の物の捉え方や考え方は、目標でもあり憧れでもある。
中学の時、
あまりにこの本の言葉がすごすぎて、
時間があれば写してたんだよね。
先週写したところやら昨日写したところやら、
同じ部分であっても、何度も何度も。
諳んじることが出来たもの、当時。
それくらい読み込んでた。
自分の中に、何の抵抗もなく入ってくるものだったから。
黒柳徹子さんは、考えに行き詰った時、
ゲーテか何かの詩集を読むそうな。
そうすると、落ち着いてくるんだって。
アタシにとっては、この本かなあとか思ったり。
自分の原点を、
見つけた気がするのであります。
「原点回帰」って、結構好き。
色々試してみて、一周して戻ってくる時もあるし、
分からなくなったときに、一切を取り払っちゃってゼロになるときもあるし。
色んな回帰があるけど、
こうして自分の有り様を見直すときには有効だったりする。
そんでもって、今のアタシなら、
まだまだいけそうな気がしてるのはきっと、
この本からまた、新しいヒントをもらったから。
心の中に、ブレないものがあると強いのかもなあって。
思ったりしたのであります。
ここまできたのは、
織田さんだけの影響ではないけれど、
半分くらいは彼がきっかけだろうね。
価値観の面でいうと。
・・・割合にすると、きっと5割は彼の御陰。
恐らくアタシの価値観のベースは、彼によって築かれている。
人生のバイブルなんだヨ!!
芸能人だからって、馬鹿にしちゃいけないんだからネ!!
いいかネ!?金曜組諸君!!(笑)
興味と観察眼って関係するよね、幸村です。
ちょっと訳ありで、ラルフ・ローレンのサイトでファションショーを中心に御勉強。
お姉様方の顔が、皆さん同じに見えるマジックショーだわ・・・!
何とか、黒髪でショートカットのお姉さんだけ区別がつきました。他のお姉さんごめん(涙)。
ショーに出てくる洋服も、どこがどう良いのかピンとこなかったり。
何だろう、好みの問題なのかな、これ・・・?
ファッションって奥が深いから、
知識が無いと気づけないことが沢山ある気がするんだよね。
アタシ、全然気づけてないや;
自分でも思うけど、ファッションにはほんとに疎くて。
人前に出ることもあるし、色々と気にすることはするんだけど。
色とかコーディネイトとか、
拘りはあるけど何もかもが自分の好み。
それと直感的なものかな。
流行とか全然気にしないし、寧ろ逆らいたい子だったりする(笑)。
水族館とか行っても、
鰯の水槽眺めながら思うのは
「おお!あいつ皆と逆に泳いでるヨ!!アイツいい!すごくイイ!!
アタシゃ、あんたが一番好きだよ!!」
とか。←
「右向け右」は、主義じゃない。
「右向け右」って言われたら、左向きたいっていう(笑)。
あくまで「自分の考え方、物の見方」はね!
団体行動(・・・得意じゃ無いから必要じゃない限り参加しないけど)とかは、
ちゃんと周囲に迷惑かけないように配慮するですよ!
自分の考えはちゃんと持ってるけど。
だから、服装も同じ。
自分が着たい服を着る。
「流行ってるから」って理由で選ぶことはまずない。
「気に入ったから買う」「好きだから着る」
周囲から見て、それが結果的に、お洒落に映るなら、一番いいなあって思うから。
そういう考え方は昔から変わらないけど、
「よりファッショナブルに」とか意識し始めたのは、
ここ2年辺りで漸くって感じ。
そして大きな欠点は、
名前を見て買い物しないが故に、ファッション用語に詳しくないのであーる。
ちゅにっくって何だろな、とか。
聞き覚えはあっても意味が分からん状態が数多ござんす。
こういう時、見識が広いと重宝するよなあとしみじみ感じるのでありますな。
まあ、知識が足りないなら必要な分だけ補えば済む話なんだけども。
調べりゃ済む話だしね!!!
まだまだ御勉強すべきものは沢山あってよ!
頑張れアタシ!
進んだり迷ったり、幸村です。
木曜。
「地道な努力を続けている人は、結果を得る」ということを実感。
一目瞭然だったのでありマス。
たかが1週間ずつのものだけれど、
それを4週重ねてきただけで、この差。
あれは、
「悔しさがあったから、倍以上の力をつけてきた」のかもしれないけど。
背水の陣とか。
土壇場とか。
このヤロウ・・・!とか。
色々あるけど、その「ギリギリ」を感じるか感じないかって、
すごく大事。
感じるから、行動を起こすものだし、
感じなければ、いつまで経っても甘いままだし。
その違いって何なんだろうって考えると、
やはり詰まるところ、「気づく」か「気づかない」か。
何をしても、何をさせても、
自分で「気づく」ことが出来る人は伸びるし、
「気づかない」人は伸びはしない。
気づこうとする人としない人で、成長って違う。
その根本的な差は、
個人個人の意識の差かもしれないし、
単に目標が見つけられない所為かもしれないし、
自分のことを客観的に見られないからかもしれない。
原因は、それぞれ違うだろうけど。
一所懸命やってるのに変われない、伸びないって人は、
現時点の自分の欠点に「気づけてない」だけかもしれない。
練習の仕方、工夫。
集中力の不足。
一つの作業をこなす要領。
取り組む時間の不足とか、色々あると思う。
我武者羅に走り回ってのた打ち回ってるだけじゃ、
労力の浪費でしかないもん。
もっと、すべてに於いて効率的にいきましょうよ。
人と同じ練習メニューを渡された時、
人と同じ練習の仕方をしてたんじゃ、
人と同じことしか出来ないもんさ。
もっとうまくなるにはどこをどうすればいいのか。
もっと短時間で同じ練習量をこなすにはどうすればいいのか。
与えられた練習を1から10するのに、
人より短時間で、しかもより濃くこなすことが出来れば、
相手の2倍、練習出来るじゃん。
そしたら、相手より2倍うまくなれるかもしれないよね。
ただ回数をこなしてるだけじゃ、
うまくはなれないもん。
出来ることを何万回やったところで、
出来ることに変わりはないわけで。
時間の無駄遣いになってる可能性は高い。
出来るところを練習するなら、
その中でも自分の苦手な部分をピックアップしてレベルを上げる練習をしなきゃ。
出来ないところを出来るように練習していかなきゃ。
効率をよくすることと中身を濃くすることって、繋がってると思うの。
上達は、取り組んだ時間に比例するものじゃない。
取り組んだ中身の濃さに比例する。
だから、
どれだけ時間をかけても、無駄を繰り返してるならうまくはなれない。
「3時間もやったんだよー」とか「2時間やってるんだよー」とか。
そういうのは、問題じゃない。
取り組んだ時間内に、どれだけ集中して弱点を克服出来たか。
どれだけ集中して基礎を高めることが出来たか。
これが大事だと思う。
3時間かけて集中せずにダラダラしてる人と、
1時間で濃い内容をこなした人なら、
1時間でやり遂げた人の方が力になるに決まってる。
誰だって、やりたいこともやらなきゃいけないことも沢山ある。
1日は24時間なんで、
うまく回していかないと時間が足りなくなるよね。
それなら、短時間でより効果のある濃い練習を行う方が、
自分にもいい。
余った時間でお茶をするのもいいし、
もう一度練習をするのもいい。
どうせやらなきゃいけないことなら尚更、
自分にとって得になる方がいい。
学生さんなら勉強とかね。
やりたくなーいって思ってることでも、
どうせやらなきゃいけないなら、
周りを驚かせるような結果を叩き出すのも面白いんじゃないかなって、
アタシは思うんだけど。
同じように時間を費やさなきゃいけないなら、
より自分の力になるように工夫しちゃうと、
色々とお得だな~って。
だって、折角の時間遣って損するのはいやじゃない!
だから。
勉強も練習も、何でもそうだと、
アタシは思っているのでありんす。
効率よく。
中身濃く。
そのためには、
何にも増して集中力が必要だけど。
金曜。
そんな、木曜の気づきを改めて実感した一日。
自分がどれだけ進歩したとか分からないから、
「自分は成長している。上達している」って半ば暗示をかけてきたけど。
まさかそれほど差が出るとは。
やっぱり、続けるしかないんだな~と、
ぼんやり思ったのでした。
自分を信じて、進むしかないもんね。
迷っちゃっても、兎に角進まないとね。
やるべきことをやっていれば、必ず力になってくるはずだし。
その先で、自分が望んだものが手に入るか入らないかは別として、
積み重ねてきたものは、絶対に無駄にはならないし。
目指すもの、手に入れたいものがあるなら、
自分から進んでいかないと。
そういうくり返しなのかな~とか、最近思ったりするのであります。
何だったんだろう・・・幸村でやんす。
自己分析するとき、いつも感じること。
悠長だけど短気(笑)。
それでも、はっきりしているなら苛々もしないんだよね。
何の連絡もないままにされると、
5分待つだけでも結構ご機嫌斜めな感じ。
3月まで週一で会えていた友人と、
久々に遊ぼうということになっていた今日15日。
折角のオフだし、一日のんびり出来ると思っていたのだが!?
12時集合だったしね。ランチとかお茶とか。
まあでも、往々にして世の中予想通りにはいかんもんですわな。
手早く時間経過を記すと以下。
10時、家を出る。
11時、電車乗り換え。
途中、人身事故で路線がストップ。
連絡すれども繋がらない友の電話。
回数を重ねても結果は変わらず;
電車は1時間半ほどストップ状態。車内で待ちぼうけ。
13時半、予定より1時間半遅れで到着。
・・・この時、友人寝坊。起き立て(ちょっと!?)
「メール今見ましたー。15時頃になるかも~;」な連絡。
個人的に必要な買い物をして、
残った時間は椅子に腰掛けて読書してたんだけど。
空腹が勝った(笑)。
15時を過ぎても現れないので、先にお茶を。
・・・お昼御飯食べずに待ってたらさすがに負けた;
ケーキとか食べながら本も読みながら、16時半。
まだ現れない友。
しかも連絡つかない―――!!!
17時前、「17時頃になるかも」という連絡が。
おなかすきすぎてさきにハンバーグたのんじゃったってばよぅ!
17時過ぎ、友到着。
・・・この時点でアタシ、待ちくたびれて憔悴状態(笑)
えっとね、最初から「17時くらいになるかな」って連絡があれば、
もっと他にも時間を潰す場所へ出かけたし、
時間をさほど気にすることもなかったんだけど。
結局、3時間ほどお喋りしてさよならだった。
そして幸村は思う。
金曜は、たいてい同じ場所に来るから、
夕方からなら金曜にしてもらいたかったナ・・・(T_T)と。
結局アタシ何しに今日出かけたわけさ!?
ってなるじゃないよぅ。
わざわざ遠出することもなかったのにな~
昨日も同じ場所で用があったしな~
とか、愚痴っぽいこと思っちゃう自分が嫌(T×T)
でも、前々からちょっと思っていたことに決心がついたのであーる。
そう。
「金曜の夕方以外はもう遠出しない」
ということを・・・!!!
今を含めて今後我如何にあるべきや。
色々大事な時期になっていくわけで。
朝から一日を費やしてしまうオフは、
ちょっとキツイ。
朝の3、4時間は確保しておきたいからなあ。
しかも、ある程度周辺の皆さんが起きてらっしゃる時間でなければ;
そんでもってこれ、出費が痛いのじゃよー。
交通費!!!
アタシのお給料、交通費で相当削られてるんだ今!!!←必死
貯められんではないか!?
貯められんのだよ、君!!(誰だ)
だから、もう決めた。
オフでの遠出遊びは、金曜の夕方以降のみ。
そこで合わない場合は申し訳無いけれど、
暫くちょっと無理かな。
「自律できないといけないヨー」と、
tさんも口をすっぱくして仰っている影響もあるけど。
「楽しいことやおいしいお誘いを、制限していく必要も出てくるだろうよ」
的な話だったかねえ。
今正にきたりですよ、お姉さん!!!
うーん、何か5月に入ってからパッとしないなあ;
金銭的に、後悔すること数多。
4月の末から含めると、
およそ4万円くらいの総額になるかしら。
ひょっとするともうちょっとかも。
・・・4万は大きいよね。
1ヶ月生活しても貯金が出来るさね。
加えて時間と労力の後悔も数多。
もっとお家にいないといけないといけないってことなのか!?
でもね、どれも勿体無かったな~って思うと、
ものすごく悲しくなってくるから;
あんまり考えない方が良いよね、こういうのはさ!!
これからでしっかりしていければ、まあ・・・ね!
当然のことだろうけど、
出来ない約束はしない方が御互いのためです。
約束していたことだからって無理をして、
当日に相手を振り回すなら、
前日までに別日に振り替えてもらえないか相談しましょう。
仕事なら多少の無理も必要だけど、
友人同士のことならね。
融通きかせていきましょうぜ。
約束した時間に5分以上遅れる時は、前以て
予想プラス5~10分くらい余裕をもって到着時間を言っておくとかも必要。
待ち合わせとかパソコン上とか、出発時間とか色々あるけど、
これなら1時間くらいの遅刻は許せるけど、
こっちなら15分以上遅れられるとシンジラレナイとか、
まあ色々ありますわな。
遅れることが分かった瞬間に、
連絡しておくのが相手思いだよね。
とか、ちびっと本音をもらしてみるのでした。
分かってきた気がするのよー幸村でありんす。
何か、久々に書いてたら辛口っぽくなった?気がする;
幸村さん、自論ばっかり書き付けてますので、
こんな風に考えてる奴もいんのね、くらいに受けとめてやってくださいませ。
最近になって、自分の好みが分かってきました(人間関係の)。
これまで、誰に対しても苦手とか何とか感じない人でした。
それが、自分の自然体を殺した上に成り立っていた状態だったのだということを、
よくよく実感(苦笑)。
むおっほっほ。(?)
好き嫌いは、程度の差こそあれ、
あって当然だと思うようになってきたこの頃。
これまでは、相手に対して苦手とか感じたことなかったけど、
自分にとって「この物言いは許せない」とか「この行動は見過ごせない」とか、
感じるようになってきたり。
逆に考えれば、自分のことがわかるよね。
好みみたいな部分が。
まあ・・・アタシにとっての好ましくない人なんて、
余程のことがない限りは分類されないんだけど。
それでもやはり、気になる部分が重なるとね。
どうしても腹に据えかねてしまうのですよ。
それが、場違いであればあるほど。
気持ちの切り替えが出来ない人なら尚更。
いつまでもヘラヘラしてる人とか、
充分な努力をしてもいないくせに「出来ない」「分からない」って甘えてくる人とか。
基本、幸村のスタンスは、「出来ないなら出来るまでやる」
これは、全てにおける最低限の必要条件。
あの子が1時間で吸収出来ることを私は3時間かけないと出来ないなら、最低3時間はやらなきゃいけないわけで。
勉強であれお稽古事であれ、分からないなら分かるまでやるしかないじゃない。
「別に分からなくていい」と思うならその人はそれでいいと思う。
自分が選んだんだもん。
後にどうなろうと自己責任ですよ。
諦めた結果だから、クリア出来なくても仕方ないよね。
それでも、見ていて、聞いていて、快くないのは、
その人にとっての必要量をこなしもせずに「分からない」「出来ない」って口走る人。
そういう人を見てると「なら分かるまでやれよ」「出来るまでやれよ」って言いたくなっちゃう。
今日の話でいえば、
ただ暗記して棒読みすればいいものじゃないわけよ。
例え棒読みであれ、暗記しているならまだしも、
覚えてもいないなんて論外でしょ。
ホント、今まで何やってたの?ってアタシも言いたかった。
そんな状況だから、必死になって復習するのかと思いきや
「ヤバいー、ヤバいー」だの「覚えられないー」だの泣き言言って寄って来るなんて。
「やることやったら?」って言いたかったよ・・・さすがのアタシでも。
好き嫌いが分かってきた中で、
相手の部分でどうしても気に掛かるのは、そういうところかもしれない。
気に掛かるというより、許し難いというかな・・・。
自分にとっての最低限をも満たしていないのに甘えてるから、かなあ。
個人の能力には差があるものなんだもの、
人一倍時間と労力が必要なら、人一倍取り組まなきゃ。
それで初めて、同じスタートラインに並べるんだもんね。
「出来ない」「分からない」って喚いてても始まらないんだから。
やるしかないでしょ。
だから今日、急いで仕事前に行ったのに~。
新宿さんのキャラソン。
明日発売なんですって?
まだお店に荷物も届いてないって言われた(涙)
「あ、じゃあ、BLEACHのカレンダーの見本を・・・」
『すみません、BLEACHの見本はなくて・・・』
おおう?!
何なの今日!厄日!?
カレンダー、土曜あたりに他の御店に行ってみる。
兄様。
兄様よ・・・聞くところによると、
お色気担当と妖艶担当だとか?
景厳と剣ちゃんとセットだとか?
どんな感じなのかなあ~~。
イメージ出来ない。
いや、色彩感覚は何となくイメージ出来るけど、
表情が読めない。
だって、初登場のDJCDのジャケットであれだったんだヨ?(笑)
どんなことしてくるのかアタシの範疇を超えておられるノダヨー。
新宿さんのCDは、仕切りなおして明日、再び。
今度こそ、Getだぜ・・・!!
+ + +
「遙か~2」一度目のEDに辿り着きました。
・・・何だ、これ(正直な感想)
いや、だって突然終わったヨ?
アクラムとか八葉とか、現世の二人とか、あかねの現状とか・・・。
分からないまま終わってしもうた~~~!!!
しかも一回ポッキリやったんか!!!
うえええ~。
アクラムまでどんだけ時間かかるのさ~;
一通りで、12時間掛かってるんですけど; (トータル時間がそうなった;)
えっと・・・「?」の部分にアクラムの名前が出てこない限り、
出来ないってことだよね?
つまりは、八葉をクリアしろってことだよね?
えっとええーっと・・・12×8だからえっと・・・ざっと96時間!?
(しかも、あくまで次からはノーミスED迎えられればの話DA)
ちょっ・・・!!
皆さんそんなに頑張ってクリアなさってるんですか!?
何!?ゲームってそんなもんなの?!
アタシの認識が甘いの!?甘いだけなの!?
そう言えば、樋口さんをクリアして以来、「ナデプロ!!」ゲームもやってないなあ。
つまりは買って数日で手付かずに; 勿体無い・・・!!
・・・だってその次、八十科路線やってたけど、
八十科EDにならない感じだったから・・・。
時間もったいないな~って(^^;)
あれも結構時間かかるしな。
まあ、いずれまた興味が湧いたらってことで(笑)
そうなんだよねー。
だからアタシ、RPGとかダメなんだよね。
アタシにとっては、
目指す着地点に、「着けるか着けないか」が大事なのよ。
「ゴールやEDはどうあれ、その過程が楽しい」じゃないのよ。
「樋口EDがいい!樋口EDを目指そう」っつったら、樋口ED。
「八十科EDがいい!八十科EDを目指そう」っつったら、八十科ED。
それが得られないと、腹が立ってくるんだよね~(^^;)
だから、結末の分からないゲームをやってて、
目指していたものと違うものが見えた瞬間、
それまでの過程と時間が無駄以外の何物でもないように感じるのさ。
ホント、後悔しか感じ得ないって!!(笑)
だから、テトリスとかブレバド(格闘でいいのかな?)とかが好み。
短時間で、目指したところに辿り着けるか否か分かるし。
目標を決めやすいし。
テトリスなら、レベル幾つとか。
ブレバドなら、何秒で何人斬るとか。
ゲームに、過程ではなく結果を求める人・幸村玖月(笑)。
だから、RPGは向いてないんだと思うなあ。
恋愛シュミレーションも、向いてないんじゃないかと思うもの;
作品によるんだろうけどね。
「遙か3」はどのコースも楽しかった。
・・・楽しかったけど、でもやはり、途中からは娯楽と言うより使命感に襲われた(笑)
白龍のためだけにクリアしたようなもんだからな~~(笑)
でもあれはよかったよ、うんうん。
「遙か~八葉抄」で一番面白いのは・・・神経衰弱(ソコなの!?)
あの神経衰弱が一番やりがいある~~。
何回の猶予で、どれだけの枚数を捲れるか、とか、
ワックワックするよ!!(やはり結果が全て)
結果 + 腕を磨けるもの
これが面白いよね、ゲームは!!
ブレバドもテニスも、如何に効率よく技を繰り出すかとか、
如何に相手の裏をかけるかとか。
ブレバドなら、どれだけ連続攻撃を続けられるようになるかとか。
如何に短時間で息の根を止められるかとか(表現悪いな)
テニスは、スマッシュの確率とかね。
友情技のシンクロ確率とかも、眼の色変わる(笑)
サーブで来られたときは、油断してることがあるから、ものすごい凹む(笑)
ブレバドか~。3rd出ないのかなあ。
ゾマリっちやアポロが出てるゲームもあるのに。
・・・もうちょっとキャラ増やしてからになるのかな?
ヴァイザードも、破面の面々も総出演!になるまで出ないとかかしら。
まだまだだよね、そうなると;
2ndは、あの兄様の映像がもう・・・素敵すぎて・・・。
あれがいいわ~。
1stは、パワーアップあっさりしてるしなあ。
2nd、置鮎さんの声もこれヨロシですものねホント。
まあ、彼の声はいつでもヨロシなんですけどね。
+ + +
黄金のM型アーチの御店。
ドライブスルーのセットで、千円のがありまして。
以前からずっと気になっているのに、
中々買えないという現実。
え? 勿論、一人で食べる為ですとも!←
机の上を、好物で埋め尽くして、それを無心に食す。
これ、一つの夢でもあるのデース。
ホールケーキにフォークをサクサク入れていく夢は、
以前達成しているから、次はバーガー。
ポテトとかバーガーとかを、3・4人前以上並べてむしむしと食べていくのが夢(夢っていうか)。
しかも、自宅でのんびりとね!
そこが大事よ、うんうん。
来月辺り出来るといいな~。
・・・図らずも、そうなっている生活があったり(笑)。
何にせよ、夜にしっかりと睡眠をとるのは良いことなのだよ。
うんうん。
乾燥はもう分かりきってることだしな~。
規則正しい生活をしていれば、間違いないんですよね。
食生活にしたって、いかに間食を減らすかとか。
いかに食事を確保するかとか。(仕事で食べられないとか多いもんね、この時勢)
いかに多くの生野菜を摂取するかとか。
野菜は野菜でも、生野菜じゃないと摂れない成分があって、
それが脂肪の燃焼を促進してくれるとか。
ダイエットするなら、生野菜を意識するのがイイとか聞いたことがあるぞ。
いろんな番組で、「この食品はいい」とか「この料理はいい」とか
散々放送してるけど、
要はバランス良い日本食を摂れば済む話。
体に良いと言われるものを一つだけ大量に食べたって、
意味無いんだから。
「どれか一つがすごくいい」んじゃなくて、
「どれも少しずついい」んでしょ。
だからこそ、組み合わせて効果が発揮される訳で。
バランスだよね。バランス。
総合的に見ないとね。
下手な理性に封じられたまま、
中身ばかりが煮えているなら。
器ごと、その熱で壊してしまえ。
内側から、壊してしまえ。
砕け散れば、何も残らないけど、
ずっと窮屈な思いをしていた中身は、
爆発と同時に蒸発して消える。
これまでもこれからも、同じ状態で居続けるなら、
ひと思いにぶち壊してしまえばいい。
生み出すことと同じくらい、
エネルギーは要るだろうけど、
生きたまま死んでるなら、
全てをゼロにして、生まれ変わる方がいい。
何も変わらない道程は、もう厭き厭きしてるんだ。
世界が白黒になる前に。
感覚がなくなる前に。
だってもう、こんなに色が薄くなって、
音も聞こえ難くなってる。
変わりたい想いがあるなら、きっと大丈夫。
その気持ちを失くさない限り、
キミには可能性があるから。
失くさない限り、キミは進化し続ける。
だから、焦らなくていいんだよ。
だってほら、キミにはまだ、
こころがある。
+ + +
何て言うか、そんな感じで(どんな・・・)
そのこころが、いつまで残るのかは分からないけど。
でもまあ、こうして何だかんだと言ったり悩んだりしてる間は、
こころはある訳だし。
自分を変えていけるのは、自分だけなんだし、
自分に出来るペースでしか変わってゆけないんだから、
焦っても仕方ないんだろうけど。
何も感じなくなっていないなら、
キミはまだ、「生きている」んだから。
↑ は29日夜の話になりますが。
んー。
描けば描く程、自分の絵が嫌いになってきましたよ?(笑)
これは一体どーしたことか!
多分、構図を取れなくて似たか寄ったかになるから(笑)
オフができたら、一日かけて大きい書店に浸ってみようかな。
イラストの本とかあるでしょー?
ああいうの手に取ってみようかなって。
流石に我流はもう飽きてきたし・・・。
もっと変化をつけなければ・・・!
今日のemrさんの言葉は、本当に御尤もだと。
アタシもそう思ってるし。
正しく、今、アタシのイラストはその問題を抱えているわ。
・・・どんな話かっていうと、
「何処が悪いのか、どこを直さなければならないのかが分からないまま、闇雲に回数ばかりこなす練習をしたところで、それはただの自己満足に過ぎない」
って話。
「そんなことを何百回、何千回やったところで、成長は見込めない」って話。
「それより、何処をどうすれば良いのか意識した反復を五回する方が、余程意味がある」ってこと。
あくまで、eさんやアタシの意見だけど。
あー、はい、考えてみればアタシのイラスト、今現在自己満足の部類に入りますー、みたいな(笑)。
・・・一日を費やして好きなことして寛げる休みがほしいですー。
そうなれば、あの店に行って色々参考書探せるんだろうけど。
本を探すのって、一人じゃないと落ち着けないからな。
待ち人がいると気が急くもんだから、書店には一人で訪れたいのだ。
タイミングの問題なんだろうけど。
届いたCDの返信、届いた当日に認めたのに、出しに行けてないとかね;
一つ一つの詰が甘いんですよねー、自分。
豪雨が続いてるようですね。
各地で被害が増していますが。
一日も早く改善されることを願ってます。
この事態に、国のお役人方は何をやってらっしゃるのかと。
取り上げるべき優先順位を見極められないのかなあ、なんて
思ったりするのでした。
今日は辛口かな?
やっぱりある程度はね、幸村です。
「遠慮」っていうものは、どんな付き合いでも関係でも必要だと思います。
何でもかんでも遠慮しろとは言わないけど。
やっぱり、ある程度はね。
んー。何だろう?
狎(な)れられるのは、やっぱりいい気分はしないなあと。
個人の感覚の問題なんで、差があるものですし、仕方ないんですけども。
アタシは、どんなに親しくても、断りは必要だと思うタイプ。
「嫌です」の断りじゃなくて、「これ、借りていい?」とか「使っていい?」とか、
そういう断りね。
断りだけじゃなくて、やっぱり礼儀は必要だろうと思うんですが。
ある程度、遠慮も必要ではないかと思うし。これは礼儀に含まれるかもしれないけど。
どうも、過ぎた馴れ合いって好きになれないんですよね~。
どーしてこーゆー話をしてるのかと言うとー。
「いやいやいやいや、アタシ、貴女にDVD貸すなんて約束してませんけど・・・!」
みたいなことが昨日あって(苦笑)。
「○○のDVD貸してー!貸して貸して!!!」←突然縋られた(苦笑)。
「あはははは」←笑って断ってるつもり(相手には意図を捉えてもらえてない/泣)の俺。
そしたら横からの発言にビックリした!!
「私が(借りるの)先やから♪」
(はいぃ―――!?)←心の中で叫んだ俺。
冗談じゃなくて、あれは本気で言ってるな( ̄- ̄;)
確かに以前、「一緒に観よう」とか冗談で話したけど、貸すとか約束してない・・・!
と呆然としてたら、
「もしも○○さんが出てたら、私にも貸して?」と他の子にも言われたorz
何やねん!!!(笑)
結局、数人に貸さねばならなくなりました・・・;
個人的に、嫌なこと、やりたくないことってあると思うのですな。
アタシは、DVDとかCDとかは、本当に信頼してる人にしか貸さないの。
え?
いや、変なところで潔癖症なので、指紋とかつくの嫌なのデス(ごめんよー;)
昔、すんごい勢いで迫られて、貸すことを余儀なくされて貸してあげたら、
返ってきたケースが壊れてたとか(しかも元に戻らない程にorz)、ディスクが傷になってたとかあったんで;
自分の為に丹精込めて編集したベストアルバム的なMD、返してもらえなかったり・・・。
・・・あのMD、今どうしてるんだろう・・・(涙)。
だからねー。
その人が、大切に扱ってくれる人だって確信しないと、
貸すの怖いんですよー;
ケースもディスクも、指紋つけるの嫌なのよぅ(T□T)うええん。
ディスク類に限らず、指紋とか曇りがあると気になって仕方ないのでーす。
携帯電話も、触る度に拭いてる(笑)。
因みにCDやDVDは、店頭で並んでる時に包装されてるあのビニルに指紋つけるのも嫌なのよー(どんだけー)
あのビニル、開封してもケースを入れて、ケースに傷がつかないように保存してるし(どんd略)
そんでその上から、CD用とかの少し厚みがあるビニルに入れて保管するのだ!(d略)
その厚みがあるビニルに指紋がつくのもNGなのだ~(略)←何を略したのか分からないだろ!みたいな(笑)。
んー。
あのDVDを観たいって言う人には、観せてあげたいんだよなあ。
買うと高いもんなあ(笑)。
それでも手元に置いておきたいから、アタシは買った(笑)。
手渡す時に「くれぐれも、大切に・・・!指紋と傷はつけないでね・・・!」って言おう(笑)。
「こんな奴でごめんなさい」とか思う自分って、どうなんだろう(笑)。
DVDとかCDを扱う時、幸村みたいな人いません?
アタシだけかしら・・・こんなに神経質なの;
某所に書いたものと全くの同文ですが・・・。
まあ、たまには良かろうて。
本日は、随分と言葉がキツイかも。
辛口?注意報出しときます。御気をつけて。
水曜、二週間ぶりの現場。
Pが変わったことで、仕事の進行やら何やら色々変化。
きびきびなさる方なので、非常に仕事はやり易かったです。
でも、次は人が変わるのかな?
スタイルも変更になるんだよね、確か。
上手くいけば良いのだがな・・・。
まあ、アタシの仕事は変わらないので、アドバイス通りにさせて頂きますが。
そんな水曜、この業界ならではを体験。
「・・・ふーん」
大体想像していたことではあるけれど。
ドラマやら何やらでもよく描かれる「当たり障りの無い方向で」の仕事。
どっぷり浸からざるを得ない仕事であることを実感。
捻くれた捉え方をすれば、
「自分がどう思っているのかは問題ではない。
受け手に、波風を立てないことが大事」
ということ。
要するに、自分の本当の気持ちだとか意見だとかを真剣に語ることは禁止なんだよね。
確かに?仰ることは分からないでもありませんけど?
後々面倒なことも起こりかねませんからねー。
そうなると大変だろうしな~。
アタシたちが触れないようにすれば、未然に防げる訳で。
でも昔から、口先だけの言葉を並べることに非常に神経質なもので。
正直なところ、アタシは「残念」とか「ショック」とか感じなかったんで。
「残念でした」とか「ショックでした」なんて、口が裂けても言えないんですよ。
あの件に対してアタシが感じたのは、そういうことじゃないから。
世の中や自分に嫌気が差しても、
自分のことはかわいいってどこかで思ってる。
自分のことは大切にしたいって思ってる。
だから、自分を傷つけるのが怖かったり出来なかったりするんだろうなって。
「いやになったり、死にたいって思った」って言うけど、
本当は死にたくなんてないんだろうなって。
でも、自分じゃどうしようもなくて、解決出来る策が思いつかなくて、行き詰って凶行に及ぶのかもしれないってこと。
抑えきれないエネルギーって、上手く変換できれば、
誰にも真似出来ないようなオリジナルのものを生み出すことが出来ると思うの。
それが多分、喜怒哀楽で言う喜と楽。プラスの感情。
でも、負の感情と位置づけられる怒と哀の爆発的なエネルギーでも、
発散の仕方で、自分への影響も他人への影響も変わってくるんじゃないかな。
「何が正しいのか」なんて、世の中多数決で常識が決められてるから、
時代によっても、集まった人の傾向によっても変わる。
だから、「これだ」って決められないだろうけど、
アタシが思うには、
抑えられない感情やエネルギーを発散する時、
絶対にしちゃいけないのは、誰かが悲しむ結果を生むことかなって。
ありきたりな考えだろうけど、
自分の中に蟠るモヤモヤをぶつける事で、他人を巻き込むのはやっぱり良くないと思う。
相手が喜んでくれるなら構わないだろうけど、
苦しませたり悲しませたりするなら、しちゃいけないんじゃないかな。
あくまで、アタシの意見だけど。
全然違うけど、
「他人に見せていいのは、熱意じゃなくて結果」
ってことをふと思い出しました。
「なりたいという思いを振りかざして、熱意の捌け口を間違えてはいけないなと思います。熱意は、他人に対してぶつけるものではないので。熱意があるなら黙って切磋琢磨して、結果を見てもらえるようにすべきですよね。人に見せていいのは、熱意そのものよりも結果ですから」
大好きな甲斐田姐さんの言葉ですが。
そう、それで、あの件を聞いて、
「自分の感情を抑え込めないが為に人を傷つけるのはよくない」ってことを感じたのね、アタシは。
でも、許される発言は、「残念でした」とか「ショックでした」とか、
あたかも自分は無関係ですっていう立場を剥き出しにした第三者的な言葉。
アタシは、そういう感想は態々世間様に発言する必要は無いと思ってるの。
思う思わないは個人の問題なんで、思うからダメ、思わないからダメなんて言う気はサラサラありません。
発言する必要があるかないかで考えると、別にあの場で言うことは無い、と思うだけ。
一般的に、残念とかショックとか感じる人が殆どの筈だし。
敢えて付け加えなくても、同じような感覚でいる人は多いだろうし。
万人に近い数の人達が感じているのであれば、態々あそこでアタシが一言言っても、何も変わらないじゃん。
その言葉が落ちたからと言って、水面が波立つことは無い。
それじゃ、言う必要や意味、重みは無い訳で。
受け手に、何か考えるきっかけ、
「あー、そう考える人もいるんだ」って、
何か小さいことでいいから素通りしないで眼を逸らさないでもらえることをするのが、アタシの立場じゃないのかなって思うの。
「きっかけ」になれることが、アタシの仕事へ対するプライドでもあるから。
「変わってもらおう」とか「変えてやろう」なんて、これっぽっちも思ってない。
そんなの、アタシのチカラで出来るもんじゃないし。
ただ、「物事に対して気づいてもらえればいいな」って、いつも思ってる。
これまで水鏡だった水面に石を投げるのが、アタシの仕事だと思ってる。
波を立たせるきっかけになること。
波が立てば、その人自身がどんどん考え始める。
波紋は広がっていくんで、ほっといても自然に色んな事を考え直す筈。
そう思ってるから「それはダメです」って言われた時、
自分の仕事の意義が無くなった気がしたのね。
中身ないじゃん、って。
当たり障りの無い万人ウケする綺麗なことを発信したって、
何も始まらない。
本気が詰まってない言葉なんて、何の意味も無い。
きっと、どの形であれ発信する立場にいる人達は、
多かれ少なかれ、本意と現実の葛藤があるんだろうなー。
水面めがけて投げる石。
握ったままじゃ、波紋は生めないんだよね。
今日はWJの発売日じゃん!幸村です。
あああああああ(動揺)。
兄様出ては来ないだろうが、先週の藍染さんにズキュー!(「ズキューン!」まではいかなかったから「ズキュー!」/笑)だったもんで、何だ、その・・・藍染さんの出番が楽しみで・・・(もじもじ)。
明日、荷物を出しに行く時に回ってみようかな、書店。
最近、宅配の兄ちゃんに御世話になりっぱなし。
色々なところに、色々なものを届けたくてvv(笑)。
荷物を出す前に、明日は無縁さんに御礼の御餅をつくのだ!
遅くなって申し訳御座いません・・・。
いえ、本当に・・・ごめんなさい・・・。
おいしいの、つきますね!
だからと言うべきか、明日は予定があるから、今日は仕事の調べものというか予習というかをしておかねばならなかったのだが・・・。
・・・自室の大掃除で幕を下ろしそうな本日(何ー故ー;)
いやいやいや!
掃除自体は昼下がりに終了してたんですよ?
え・・・いや、その後は・・・御飯食べて・・・
ネット・・・してたんだけど・・・。
違うよ!!
調べものしようと思ってPC開けたんだもん!!!
・・・はいそうですごめんなさい。PC開けてから違うことしてたんです(えへへ)。
だってー・・・。
この仕事はちょっと・・・色々ありまして・・・と言いますか・・・。
スタイルが変わるとか、Pが変わるとか・・・色々;
逃げることは出来ないので、期日までに調べるしかないんですが。
・・・ううー(T_T;)気が重いよぅ・・・。
まあ、そんな感じで(どんな)。
よしっ、次!(話変えやがった)
今日の予定は、
午前中に家事を済ませて、トレーニング(?)して、掃除して、
お昼を食べたら調べものをして、
余った時間でHPの編集して、
夕飯食べてからゆっくりお風呂に入って、
寝る前にまたサイトの作業するつもりでした。
・・・全っっ然なってない(うえーん)。
・・・今から調べるのかー・・・。
やらなきゃいけないからやりますけど・・・。
取敢えず、今夜はそれをしないとね。
くそぉ・・・自分の意志の弱さにはほとほと呆れますよ(涙)。
「明日はこうしよう」って思って寝ても、
起きて実行出来たことって少ない気がするな・・・。
分かってるよ、自分に厳しくないと目指す自分にはなれないこと。
・・・甘いんだろうな、自分。
未だにさ、時間の感覚って分からないんだよね。
配分が苦手。
仕事に行くにしても、外出するにしても、
「家を出る時間」とか「これが始まる時間」とかが一日の中に一つでもあったら、
朝起きた時から焦ってる。
要するに、毎日何かしら急かされてる。
で、家を出る必要がある場合は、出立の時間が近づくにつれて、動悸がするのね。(ドキドキ☆ワクワク☆の動悸じゃありません。ホントの動悸;)
支度を間に合わせるには、何分前からすれば良いのか分からなくて、結局半時間以上、酷い時は一時間以上早く仕上がってから、時間が来るまで家の中をうろうろしてたり玄関に座って待ってたりする。
「時間通りに間に合わせる」ってのが出来ないの。
早く用意が出来たら早めに家を出ればいいじゃんって話だけど、先方に着くのが早すぎる。電車で移動することも多いんで、電車の時刻まで駅で待たないといけないし。・・・予め決めておいた時間を利用しないと落ち着かないんですよ。それでなくても、普段から数本早い電車で予定立ててるから、さらに早いのに乗ると、如何しようもなくなる;
「残り○○分」で何かをすることが出来ないんですよ、自分。
・・・これも愚図って言うのかもしれないけど。
だから、外出する必要がある日は特に、起きてからその時間まで、何も手がつかなかったり。
Blogの更新程度なら、出来るんだけど。
ものっすごく早起きして、家事を済ませて気持ちを落ち着かせるか(落ち着いた例って無いに等しいけど)、何っっにもせずに支度だけして家を出るか。
どちらかかなあ・・・。
・・・どうすれば治るの、これ(苦笑)。
だからね、
「明日はこうしよう」って思っても、「でも時間が・・・」とか思い始めると、
もうダメ。
何も出来なくなる。
それと同列かどうか分からないけど、
何をしたって自分には自信が持てなくて、
「よしっ!」って思えるのはほんの一瞬。
思った次の瞬間には「・・・でも、やっぱり・・・」って思ってる。
「他人にどう見られてるかを気にしすぎるんだ」って言う人が多いけど、
どう見られてるか以前に、自分に自信がないのね。
自分を見て「これじゃダメ」っていつも思ってるの。
他人がどう思うかは、人それぞれだから、あんまり気にしてない。
最近は、服装だってすっごく種類が豊富だし、スタイルってのは個人で決めるものになってるけど、それでも、自分で自分を見てるとカッコいいとは思えない。
たま~に、「おおっ、これは・・・!」って思える一日はあるけど、本当に稀。
服装に限らず、どれを挙げてもそう。
「これじゃダメ」とか「これでいいのかな・・・」とか。
そういうの、もうイヤなんだよね。
だから、どうにかして自分に自信の裏打ちを持たせてやりたくて。
一つでいいと思うの、自信を持てることって。
そりゃ、沢山あればある程いいと思うよ?
でも、アタシは先ず、一つ何かそういうのを持ってみたいなって。
だから通い始めたってのもあるかな。
自分を変えるんじゃなくて、自分にもう一人、自信を持ってる自分を教えてあげたいな~って。
特に「幸村くん」にはね。
「キミは、こういう風になれるんだよ」って、言ってあげられるといい。
何年先になるのか分からないけど、「彼」が僕の目線と並んだ時、
「よかったね」って笑えるように。
「おかえり」って抱きしめてあげられる日に、自分に自信をもてているように。
自分が二人いるってのは、正直初めは掴めなかったけど、
最近は、随分とイメージし易くなってきたし。
まだまだ時間はかかるだろうけどね、どちらも。
なーんて。
兄貴の「君へ、おやすみ」を聴いてると、すんごく正直になってしまった・・・。
この曲、今日からヘビーローテイション決定(笑)。
耳で聴いてるはずなのに、心から入ってくる。
このチカラが、彼の凄さなんだよね、アタシにとって。
彼に生かされてるって、本当に思うもの。
命を繋ぎとめるものなんて、人にとってそれぞれだろうけど、
アタシにとっては、兄貴の声がその一つ。
ねー。
たまにはこんな話も、よしとしますか。
今日は仕事で、嬉しいことがありました。
そして、面と向って言われなくても、話題にはなっているのだなと思ったり。
「すっごく分かりやすいって言ってるんです。本当にありがとうございます」と。
先日、一区切りがあったばかりということもあり、
今日直接お礼を言われたんですな。
そして感じる、「ありがとうございます」のチカラ。
シンプルだけど、強い言葉。
ありきたりな印象を受けることもあるけれど、
やっぱり心が篭ってると、全然違うんですよね。
諦め切れるなら、苦しいことなんてないんだけどね。
だからって、現実問題、制限があるから理想を手にするには限界があったりして。
目指すこと自体は本人の自由な訳だけど。
「ここまでだよ」って言われててもさ、その先をずっとずっと見てきた自分にとっては、
「どうしたもんかなあ・・・」って。
目指す分には自由なんで、ずっと先を掴みに行く気持ちで続けるしかないよね。
今の段階では制限があっても、どこから何に繋がるか分からないんだから。
チャンスがきた時に力が足りなくて泣くより、
チャンスが来ないかもしれない現実を踏まえた上で一所懸命実力を磨いておく他ないよね。
身につけたものって、望でいる方面以外でも活かせるもんだし。
まあね、考えることって色々とある訳ですな。
でも、ネガティブではなあ~い!(柿崎先輩風)
ええ、前向きですとも。
ちょっと疲れてるだけで(笑)。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
鍛えます、鍛えますよー、鍛えますとも、そりゃもうガンガン鍛えますとも幸村です。
四月から始まる仕事に向けて、週一で講習会が開かれている。
参加者は皆、未経験。
でも、理事長始め現場の皆さんの心意気は「自分たちが、仲良が良くて楽しくて仕方が無いってのが伝わるようにしようね」とのことなので、同種の世界と比べるようなものではないのかもしれない。
先ずは、気楽に。そんな感じの空気かな。
未経験の人を捕まえて「プロ並に御願います」なんて誰も言わないし、誰も期待はしてくれない。
でも、やるからには突き詰めたい。
自分が目指すものと遠からず近からずの距離にある仕事だし、この先どこに繋がっていくのかは分からないけど、自分にとって言えばやりがいがありそう。
始まってないから未だ何も分からないけどね。
そうだなあ・・・集まった人達とはとても相性が良いかなって思う。
楽しいスタートが切れるとイイナ。
とか言ってますけど奥さん。
幸村はこの講習会で、この仕事に於いても目標としている職業に於いても致命的な欠陥を持っています。
そ☆れ☆は☆
舌の筋力が無さ過ぎること―――っ!!!
講習終了後の相談の結果、先天的の可能性が大きいことが判明・・・(涙)。
でもねっ、でもねっ!!!
「舌なんて筋肉の塊なんだから、鍛えれば大丈夫」って言って下さったの、先生が。
でもねっ、でもねっ!!!
「貴女は今、一般に他の人たちが自然に出来ることが出来ない状態。それが出来ないことは何も問題では無いんだよ?でも、貴女がその仕事を目指す以上は致命的です。スタートラインに立った時点で、他の人たちと格段に差が開いているから。これから、その仕事を目指す以上、すっごく沢山の壁があると思う。ものすごく苦労すると思う」
とも言われました、先生に。(言い方違うけど、まとめればこんな感じ)
多分、アタシが夢見ている仕事に対して「なれればいいな~」てな気持ちでいたなら、この時点ですんごく落ち込んだと思うのね。
でもさ、そうやって自分にハンデがあるって突きつけられて突き飛ばされても、全然怖くなかった。
「だったら、鍛えればいい話じゃん」って。
だって、それしか解決方法が無い訳で。
目指す場所はもうはっきりしてるんだもの。
そこへ辿り着く為には避けては通れない道なんだもん、やるしかないよね。
今回のことで、すごく思ったのはね、「何かを得ようとしている人間は強いんだな」ってこと。
今まで自分はこんなこと思ったことなかったもんなあ。
「へー」とか「ふーん」とか思って、途中でやめることが多かった。
実際、これまでの人生で何かをやり遂げたことって一つもないんだよね。
今持ってる夢以外、自分から「これをしたい!」って思うこともなかったし。
周囲の顔色伺って物事を選んできたんで、やり遂げるってことに意味は感じてなかった。
負けん気とかも知らないままだったんだけどね~。
こればっかりは、負けたくないって思う。齢○○にして始めて火がついた幸村の負けず嫌い(笑)。
誰でもそうだと思うけど、本当にやりたいこと、なりたいものの為には、苦労も何も感じないんじゃないかな。
アタシの場合、半時間でも一時間でも舌の訓練するの全然苦しくないもん。
・・・痛いけどね(苦笑)。ものすっごい痛いけどね・・・。
でも、毎日やってもすんごい楽しい。
逆に、舌を鍛えないとアタシに明日はないとさえ思えてくる・・・。
苦労っていうより、恐怖の方が正しいかもしれないよ(笑)。
目指すものがあるってのは、心強いです。
物が増えれば増えるほど、喪失感が増すんです。
気分が優れない時、優しくされると「ありがとう」って素直に思う。
でも、その時に何か欲しいものあったら買ってあげるよ、とか言われると、
言い様もないくらいに悲しくなるの。
それは、「相手がアタシを物で励まそうとしているんだろう」なんて思う訳でも、
「欲求を満たせば気持ちが良くなるから、一番手っ取り早いんだ」とか、そういう風に思う訳でもないんだよ。
ただ自分は、モノを得ることに悲さを感じる瞬間がとても多いだけ。
必要か不必要かで考えれば、不必要である場合が大半だったりする。
人間が生きる上で本当に必要なものなんて高が知れてるって、ずっと前にも同じような話をしたけれど。
買った時は、「新しいもの」に喜べるけど、その感情は長続きしないから、時間が経つとまた元に戻ってしまう。
結局、一時凌ぎでしかないんじゃないか。
じゃあ、アタシは何の為にモノを手に入れるんだろうって、思ったりね。
どうせ、いつかは手放すものなのに。
だから、アタシは「買い物」って好きじゃない。
人混みも苦手だし。
商品が溢れるところにいると、思うことが多すぎて吐き気がすることだってある。
「可愛いな」とか「お洒落だな」とか、感化される部分も沢山あるけどね。
それでも、どうしたって悲しくなるから、自分からは出掛けない。
必要に迫られていれば、話は別だけども。
だから、服を買うとか、鞄を買うとか、その類のお出掛けって、滅多にない。
・・・兄貴の出演した作品を買いに行くことはあるけど、そういう買い物じゃなくてさ。
服を買うために出掛けたことって、数える程もない。
自分から買いに行くことってないなあ・・・。
お洒落に興味がないわけでは無いのだけれど。
でも、カフェで時間を潰してる時に外を見てると、いつも思うよ。
「見てくれを繕ったって、一定の部分でしか意味は成さないのに」って。
自分も他人も、何がしたいのかなって。
その「一定部分」が、人間が生きていくにはとても重要なのかもしれないけど。
なんか、空しい。
気に入りのカフェで、気に入りの席に就く。
いつものフレイバーを頼んで、腕時計を外す。
あとは、気が済むまで何時間でもそこでぼーっとするの。
心が歩けるようになるまで座ってる。
その間は、外を歩く人をずっと見てるんだけど、いつも痛い程思うのは
「皆、目的があって歩いてるわけじゃなさそうだな・・・」ってこと。
そこで見るのは、モールや駅を横切る人たちなんだけど。
モールに出入りする人たちも、何か目的があってそこに行くようには見えないし、
駅を通る人たちも、目的地に何かを求めているようには見えない。
それでも女の子はお洒落に余念がない様子だし、男性はピシッとスーツを着ていたりするのね。
そのアンバランスって、やけに現実の味がする。
旨くはないけど不味くもない。記憶には残らないことが多いもの。
見てると楽しいけど、それがこの世界の多数を占めるんだろうって思うと、ゾッとする。
きっと、自分だって店を出ればその中の一匹でしかないだろうけど。
生きるか死ぬかの世界でしょ。
世界は二択で出来ているんだって話、前にもしたけど、
死にたくないなら生きるしかないじゃん。
何度も言って来たけど、幸村には死ぬ覚悟がないから、生きるしかない。
でも、生きることも生きていくことも、すごく大変なんだよね。
そこにも覚悟は必要で、それが無いとやっぱり苦しい。
それは、ただただ単純に経済的や精神的な問題もあったりするけど。
そこまでして生きなきゃいけないなんて、一体何の為なんだろうってついつい思う。
死にたいとは思わないけど、死ねたら楽だろうなとは思ってる。
でも、命を絶ったところで何かが解決するわけでもないんだし、中途半端な自分で幕を下ろすことを考えると、不名誉極まり無いなってアタシは思うから。
「生まれてきたことに意味も理由も無いからこそ、その無意味な自分に価値を見出す為に生きていく」んだろうって、
中学の時に無理矢理答えを出したけど、それが本当に自分にとって一番の答えなのかは未だ分からない。
解決しないことで悩むのは不毛だって言われて、そうだよなって思った筈なのに、やっぱり考えてしまう。
これまでの人生、小さい頃から死ぬことを意識し続けてきて、一体何を得たのかって言われても、
馬鹿馬鹿しくなるだけなんだけど。
こんなに頭を抱え続けても、何も糸口は見えてこないまま。
カフェで他人を見て冷めてる間でも、電車に乗ってる間でも、
いつだって、何処にいたって思うのは、いつかは死ぬってことともう一つ。
アタシは何をしてるんだろうってこと。
何か一つに必死になってきたわけでも、自負を負える程の何かを身につけてきたわけでもない。
特技なんて、真面目くさった話をする折に挙がるものも無いし。
おふざけで取り挙げる特技であれば、幾らもあるけど。
学内で勉強に励んでる人なり、社会で働いてる人なり、自分と似たり寄ったりの年齢の人たちを見てると、
ただ純粋に「すごいね」って思う。
でも、それ以上でもそれ以下でも、他に浮かぶ感情って無い。
自分は何をしてるのかなって、馬鹿馬鹿しくなるだけ。
あとは、自分には何が出来るんだろうってこと。
甘えてるだけなんだろうけど。
アタシには何が出来るのかなって考えても、
それだって答えは出ないまま。
・・・限がないからもうよそう。
ありきたりの自問もいいとこだし・・・。
この数年間の苦渋が、いつか何かの役に立つと思わないと、やってやれない。
あとどれだけ続くかも分かんないしな・・・。
早く治るといいんだけどなあ。
それはきっと、命をも繋ぎとめる力を持つもの、幸村です。
声に限らず、心のガードをするりと入ってくるものは、
そんな力を持っていると思います。
これまでの人生振り返ると、すごく思う・・・。
あーん、兄様~・・・。
・・・何だか最近、矢鱈めったら兄様が恋しい・・・。
兄様に限らず、兄貴の声が恋しい・・・。
秋だから、何となく心細い毎日なのかしら。
八月あたりで夏が好き!とか言ってましたが、
こうして秋を迎えると、秋もやっぱり良いなあって思う。
心が、他の季節よりも繊細になってる感じがするな。
兄貴の声は、心が繊細になりがちな秋から冬の、寒い季節が似合うと思います。
冷えた指先を包み込んでくれるような、温かい印象があるから。
心細い気持ちを、落ち着かせてくれたりするし。
秋だから、というわけでもないと思いますが。
ここ数日、置鮎の兄貴と甲斐田姐さんの声を聴くと、
訳も分からず胸がキュッとなって、泣いてしまうのですな。
・・・電車の中とか、泣かないように気をつけないと大変・・・。
いつであれ感傷的になりがちな幸村ですが、秋が来るとそれに拍車がかかるらしい。
そうするとね、普段の何気ないことを、酷く客観的に見てしまったりする。
・・・心が筒抜けになったようで、あんまりいい気分ではありません。
そんな時に顕著だったりするのは・・・。
兄貴と姐さんの声が、不意に琴線に触れること。
多分、涙もろくなるのはその所為。
何だろう?
どうしてなのかは分からないけど。
こうして心に触れてくれる彼等の声が、
どれだけ自分を救ってくれていることか。
その瞬間瞬間で、自分の支えになってくれた人は何人もいる。
いつだって、励ましてもらったり、生きる気力を与えてもらったり・・・。
感謝は絶えないけど、同時にどうしても「自分は何をしてるんだ」って思ってしまう。
今で言えば置鮎の兄貴と甲斐田姐さんにいつだって癒してもらってる反面、
自分はそれだけなのかなって、少し苦い思いを覚えてる。
でもいつか、自分も誰かの力になれるといい。
今はまだまだ、与えてもらってばかりだけど。
どういう形であれ、一人にでも大多数にでも、誰かの心に沁み込むような、
自然な何かを届けてあげられるといい。
その為にはやっぱり、毎日をしっかり生きることが大切なのかなあって。
自分の人生を蔑ろにする奴が、誰かに何かを届けることなんてきっと出来ないもの。
兄貴や姐さんの声が自分の心に触れる度、そんな事を考える。
兄貴と姐さんに逢えたなら、
「いつも助けてくれてありがとう」って伝えたい。
ありきたりかもしれないけど、
どんなに沢山言葉を並べるより、自分の気持ちを表してくれると思うから。
はあ・・・、幸村です。
毎日思うこと。
置鮎の 兄貴は何故に 斯様な声が 出るのだろう (字余り)。
甲斐田姐さん然り。(「詠み人知らず」的な・・・/笑)
みたいな・・・。
何故にってあんた、
そりゃそういう声の出る骨格やら体格やら声帯やらなんやけどさ。
何でアタシはそういう声が出んのかなあって悲しくなって・・・。
泣いたりする(苦笑)。
ええっっ?!
おかしいかなあ?!
あー・・・。泣くんはいきすぎかなあ(苦笑)。
でもな、ホンマに思うで。
「何でアタシはこんな風に低い声が出んのやろ」って。
頑張って練習してるけど、
最近、益々低い音が出るようになったけど、
やっぱり男声には及ばんねんな。
だから、すんごい悔しいん。
「何で兄貴はこういう声が出せるんやー!!」
って、一人でキレたりする(笑)。
そりゃまあ、20年近くもプロやってるんやから、
そういう声を出す為の訓練を20年近く若しくはそれ以上、
積んで来たんやろうけど。
やっぱり、研鑽の賜物かなあ・・・。
アタシも、20年とか練習したら、それなりの声出せるようになるんかなあ・・・。
声変わりせんくて嫌やな~って思ってきて、
四年前に「それやったら練習して出せるようになったるわ」思って、
今日まで来たわけやけど。
長いなあ。
ほんまに長いわなあ・・・。
今更になって思う、今日この頃(笑)。
いつになったらあんな低い声出るようになるんやろ(><)
生物学上の限界って、やっぱりあるやろうから、
ある程度以上は低くならんやろけどさ。
そういうのも越えてしまえたら、すごいよな!
人間の可能性を開拓するようなもんやでー(笑)。
別に、
悔しいんは兄貴の声とか甲斐田姐さんの声を聴いた時だけちゃうんやけど。
自分以外の人に対して、「あ、この人のこれ良いな」とか「すごいな」って思った瞬間、
「何でアタシ出来んのよ」って思う(苦笑)。
それは、自分がすごい大事にしてる分野でのみなんやけど。
勉強とかで思ったことないしなあ・・・。別に他の人がどうでも興味ないんやけど。
負けず嫌いとか言うんかなあ。そういうの。
勉強に関して「負けたくない!」とか「悔しい!」とか、
思ったことも感じたこともないし、この数年前まで、
悔しい
って感覚を、知らんかってん。アタシは。
負けるとか勝つとか、興味なかったんね。
比較することに興味なかったしなあ。
でも、声に関しては、悔しいとかの次元ちゃうみたい。
これはもう・・・(笑)。
だから、兄貴の声とか甲斐田姐さんの声を聴く度に、
「すごいええ声~vv」って癒されるんと、
「アタシ何で出来やんの!っていうか、何で兄貴は出来るん?!」って
自分が情けななったり腹立ったりするんと、
二種類くらいの思いが(笑)。
友達には、軽く笑われた(笑)。
「いやいやいやいや・・・」みたいな(笑)。
多分、それが極当たり前の反応やと思うから、別に傷つくこともないんやけどさ。
はあー・・・。
アタシは何故にこうも極端なんやろー(泣)。
よう言われるー(笑)。し、よう思うー(笑)。
まあ、そんなこんなで出来上がるものもあるんかなあと。
多分、何事も出発点は、「あんな風になりたい」っていう憧れで、
成長する期間は「なんで?」とか「もっと!」とかそういう思いちゃうかなあ。
終着点は、「死」やから、
あとはもう、人生の間ずーっと、成長する為の期間かなあって。
諦めるとか打算するとか、そういうのは論外ね。今の話の中ではね。
まあ、これからですよ。何事も。
人生、まだまだ・・・だと思うので・・・。
取敢えずは、出来ることをやっていこうかなと。
色々、御勉強~。
練習~(笑)。
兎に角練習~(笑)。
多分、声に関するこの執着がある限り、
幸村の中から、兄貴や姐さんへの悔しさは消えないと思う(笑)。
・・・あれ?
いつの間にやら共通語に・・・。
こういうのって、文章を書く際の気分によるから、
読み手さんには読みにくいかもしれない(苦笑)。
いつもこういう文章を読んでくださって、本当にありがとうございます~。
多謝、多謝~。
消えたから、簡単に書き直します、幸村です。
誕生日を迎えられることが、どれだけ幸せなことであるかについて、
真剣に書き綴ってまいりましたが、Windowsのエラーで全て消えました。
だから端的に、端的に。
ざけんな、このヤロー(PCに向って一応怒ってみる。キレる力ももう残ってない・・・)
誰にいつ何が起こるのか、分からない。
命を落とす可能性を一日の中で上げてみると、
自分が生きていることがどれだけ確率の低いことなのかに、ビックリする。
夜、寝てる間に病気で。
階段から落ちて。
移動時に事故で。
時間を問わず、天災で。
命が儚くなる切欠なんて、言い出せば限が無い。
そんな数多くの命を落とす確率を掻い潜って、
あなたが今も生きているとしたら、それは幸運以外の何物でもないと思う。
電車通学をしていると、毎日毎日思う。
「人間にとって、死ねる場所なんて幾らでもある」
ホームで電車を待つ自分がいる。
定刻でも遅刻でも、電車が入って来る。
電車の頭が自分の前を横切る時、意識してホームに足を止(とど)めてる。
それは、
ここで踏み出せば、命を絶つことが出来るという意識が、
厭にリアルに感じられるから。
だから、ホームに電車が入る瞬間は、何となく恐い。
そして、簡単に命を落とせることを痛感してしまう。
誕生日は、歳をとることを祝うんじゃない。
一年間、命を落とすことなく無事にいられたことを祝うんだと思う。
だから、別に誕生日に祝いをしなくても良いんじゃないかな。
365日の中で、「この日!」って決めちゃってその日を迎えられたら御祝いをする。
こんなのも、いいと思う。
ただ、こうして生きていることに感謝出来るのは、
自分の命の終わりがいつ来るか分からないからだよね。
後何ヶ月とか明日も分からないなんて立場にあったら、
自分が生きていることを怨んでいるかもしれない。
存命というものを、心底残酷に思うかもしれない。
ひょっとすると、もうそんな気力も無いかもしれない。
だから、
自分が生きてることに感謝出来ることさえ、
アタシはすごく恵まれていると思う。
また、来年もこうして無事を感謝出来る日が来ることを祈ってる。
今日を無事に過ごせた、すべての人に、おめでとうを言おう。
今日は久々に、知人とランチ、幸村です。
おいしかったな~。
こうして時折遠出して外食するのも良いよね。
食後によったカフェのカフェ・モカは、Mサイズにも拘らず、
すごい量だった。・・・次からはSでいこう。
毎回、そのお店に行くと、カフェ・モカを頼むんだけどナ・・・。
食後すぐってのが、御腹にきたね・・・(苦笑)。
でもおいしかった☆ごちそうさまvv
そうそう、兄様とやちるちゃんの小説が進まないながらも(・・・)、
白緋小説はサクサク進んでいたりします。
連載を先に仕上げたいのに・・・、イメージが固まらないからこうなってしまっているー。
幸村は、どうしてギャグっぽい御話を書けないのだろう・・・。
いつもいつも、考えるんだけどなあ・・・。
でも、アタシがギャグを書くと、只の馬鹿話でしかなくなってしまうのです。
哲学も何もなくて・・・。
自分が常に何かを求めているだけに、
自分が仕上げた作品には、読んだ後、何かを感じ取ってもらえるものを籠めておきたい。
読んでもらった人たちに、「こいつは、こういうことを考えてるんだな」とか、
何かを感じてもらえるように、それをきっかけにその人の中で何かが始まるように、って思うの。
後に、何も残らないなら、「幸村」が書く意味がないと思う。
残らないなら、誰が書いたって同じじゃないか。
中学、高校の頃は、自分の中の気持ちを詞にしてたのね。
その頃はまだ、二次創作の世界を知らなかったし、
純粋に、等身大の自分を投影することが出来る方法は、それしかなかったから。
身近な友人に読んでもらって、感想を聞いたりしてた。
書く時は夜通し考えて、推敲したりもしたよ。
その時から今まで、詞が小説になった今でも、取り組む際の信条は何一つ変わってない。
何度もここで言ってるけど、口下手なのね、アタシ。
友人と御話をする時だって思うよ。自分は話をするのが下手だなあって。
だって、言いたいことの一点を、ストレートに伝えられないんだもの。
あれだこれだって言ってる間に、自分が何を話しているのか分からなくなってくる。
一人で「あれ?」ってこんがらがっちゃって、結局一番言いたいことが言えない。
全~部伝えたいって思うから、一から十まで話していくうちに、自分で訳が分からなくなる。
自分の中で、簡潔にまとめられていないんだと思う。
だから、不必要なことまで喋って、まとまらなくなるの。
それに、話方や聞かせ方が上手い訳でもないから、
相手を退屈させないようにって事とかも考えちゃったりする。
そしたら、余計に混乱してくるのね・・・。
置鮎の兄貴や甲斐田姐さんもそうだけど、彼等はおしゃべりがとっても上手。
聞き手をちゃんと楽しませてくれる。
そういう気の利いた喋り方、アタシには出来ないからさ。すごく不安なの。
だから、こういう風に文章にして発信する。
小説や詞、blog、文通、色々あるけど、そうして文字にするものは、
こちらからあなたへ届ける時間があまり関係なかったりする。
アタシが幾ら時間を掛けても、あなたが目にする時にはあなたのペースで読んでもらえる。
それに、アタシは何度でも書き直してから、披露出来る。
瞬間瞬間で言葉を紡ぐことが苦手だから、こうして幕下で時間を掛けてから、一気に見てもらう。
上手く纏められる時とそうでない時があるけど、
面と向って喋るよりは、言いたい事を言いたいように表現出来ていると思う。
そうやって書いたものには、自分の気持ちをちゃんと詰めたい。
だから、詞であれ小説であれblogの記事であれ、「幸村」が書いたという意義が欲しい。
我侭なんですよ、幸村は(笑)。
Only One だとか何とか、「Only」に拘りはないし興味はないけど、でもやっぱり、
「自分であればこそ」ってのは、すごく拘るし、ずっと探してる。
「そこにどんな価値があるんだ」って訊かれたところで、答えなんか用意してないけどね。
これは、アタシがアタシに対して追求してることだから、
傍から見た人に価値を知って欲しいとか、気づいて欲しいとは思ってない。
そもそも、それに価値があるのかどうかなんて、考えたこともないし・・・。
どこまでいけば満たされるのかも分からない。
いつまで考えていくのかも分からない。
ただ、中学、高校の頃からずーっと自分の中にある。
自分の中にあって、どうしても消せないものだから、ずーっと探してるの。
だから、何かをupするまでには、沢山悩んだり沢山考えたりする。
その作業が、すごく好き。
時間が掛かるしすっごく疲れるけど、一所懸命になれるから、すごく好き。
これから先、色んな事が起きるだろうけど、
文字を選んで言葉を選んで、こうして文章を作っていける限りは、
自分の想いは発信していきたいなあって思ってる。
小説も、思いつく限りは形にしていきたいなあ。
もっともっと、自分が成長していけるように。
その過程で、色んなことを吸収していけるといい。
まだまだこれからだと思うし、そう思いたいから、
どんどん貪欲になって、自分を高めていきたいなあって。
自分を表現することが出来るって、とっても素敵。
文章でも音楽でも何でもいい。
方法はきっと、個人個人で違ってくる。
自分が一番やり易いように、自分の気持ちを表現出来るといいなって、
いつも思ってる。
心が見えないなら、相手に伝える為に「かたち」にしないといけない。
誕生日にプレゼントを渡すのも、御祝いの気持ちを取り出して見せることが出来ないから、
「おめでとうのかたち」をプレゼントに変えて渡すんだし。
プレゼントとか、改まったものじゃなくて、
自分の普段の気持ちを何気なく「かたち」に出来れば、とっても素敵だなあって。
その「かたち」を作っていく間、自分が成長するかもしれないっていう、
根拠のない思いがあったりして、アタシはそれに拘ってるんだと思う。
自分が大事にしたいって思うなら、
それはきっと、自分にとって大事なものだと思うの。
だから、他人と比べることも、比べた後自分を卑下することも、無意味だと思う。
自分は大事だと思うなら、大事にすればいい。
全ての基準は、自分で決めてるんだし、
どれをどうはかったって、自分が優劣をつけるんだもの。
詰まる所、人間は自分の中のものさしでしか、ものをはかれないと思う。
だったら、自分が思うことに素直にならなきゃ、苦しいだけだ。
周りの価値観に目線を合わせても、合わせることに精一杯になって、
自分が何をどう見ているのかが分からなくなる。
背伸びなり中腰なり、視点を変えていると足やら腰やら、いつかは痛くなるだろうし。
だって、それは自分の自然体じゃないからさ。
いつかは限界がくるのかなーって。
限界が来たら、一度は崩れるだろう。
崩れちゃったら、それまで中身のないことをし続けてきた自分には、何も残らないよね。
自分は壊れちゃった。壊れたけど、何も残らなかった。
そうなった時一番悲しいのは、自分だと思う。
だったら最初から、自分の目線で自分の世界を見ていくほうが、
苦労が多くても、確実に「もの」になる事が多いと思う。
その自分の目線を、一番の自然体の目線を見つけられるように、
アタシは今日もこうして文章を書いてるんだ。
今のところ、自分を表現する方法は、書くことでしかないかなーって。
そう思ってさ。
兄様小説に萌えている・・・もとい、燃えている~!幸村です。
偏(ひとえ)に、ラッシュと言えるところが悲しくもあるけれど(苦笑)。
書ける時と書けない時って、どうしてこうも違うのだろうか・・・。
自分には、常時閃きを得るというセンスが備わっていません。
瞬間的に、爆発するようにやってきます(もうちょい小分けにやって来てくれると嬉しい)。
だから、その機を逃すともう御終いなのでございます・・・。
今のように、家に居る間に降り注ぎ湧き出づる閃きは性質も良く、時間を取れるからPCで形に出来るのだけれど・・・。
電車の中で蓋を押し上げて湧いて出てきた閃きは、中々書き留める事も難しく、御陀仏になったりする。
だから、作家さんも漫画家さんも、他の芸術家さんとか、
創作に「閃き」と呼ばれるものを少しでも必要とするお仕事をなさっている方、
その仕事で長い間、身を立ててらっしゃる方々は、本当にすごいなあって思うの。
作家さんとか、物書きを生業になさっている方は特に。
イメージや構想を、常に文章にしないといけないってのは、幸村には出来ないもの・・・。
駄文であれば、誰だって幾らでも書けるけど、
起転結を以って文章も高尚に、尚且つ定められた期間に一定枚数以上の原稿を仕上げるなんて、
本当にすごいことなさっているなあ・・・って、
自分が小説を書く度に、作家の凄さを思う。
漫画家も同じように思うなあ。
生まれ持ったセンスって、こういうところで発揮されているのかなあ。
生まれながらの天才はいない。
ただ、生まれながらその道に関してセンスが良い人は、幾らもいる。
そのセンスをどれだけ磨いていけるか。
結局、天才と呼ばれる人達は、本来持つ力を養い、研鑽を積み続けた結果、そう呼ばれていると思う。
「もともと上手かった」っていうのは、「生まれつき天才」だからじゃなくて、
「センス」が良かったから。「勘」が良いとも言えると思う。
その「センスの良さ」を「天才」と言わしめるまでに持って行ったのは、本人の努力。
どの世界であれ、活躍なさっている「天才」と呼ばれる方々を拝見していると、思うの。
皆さん、すんごく練習しているんだろうなあって。
影の努力では、それこそ血が滲んでいるじゃないかと思うもの。
楽して手に入れられるものなんて、知れているんじゃないかな。
「本物」って、易々と手には入らないと思う。
短い人の一生でそこまで辿り着ける人は、一生を懸けて一つの事に専念した人だったり、
やっぱり人並みならぬ努力を重ねてきた人だったりするんだろうなあ・・・。
そういう人には、どうしようどうしようって迷いが無いよね。
「これだ!」って思ったら、トコトン追求していく。
衣食住に事欠いても、絶対に止めない。
それが、成功の何よりの秘訣なのかもしれないなあって、沢山の人の御話を聞いていると思う。
諦めたら、止めたら、もう何も続かないもの。
縁を拾うのも運が巡ってくるのも、兎に角続けないと拾えないし、巡ってこない。
「兎に角続けることですかね。縁を拾う為には、拾える場所にいないとね」
って、尊敬する人が仰ってたけれど、本当にその通りだと思う。
出来るなら、自分もそういう人間に近づきたい。
もしもなれたら、すっごく素敵だ!
だから、毎日毎日もがいてるけど・・・、今のところは空回りかな・・・。
でも、「絶対になってやる!」って思ってて。
・・・色々、野望がね(笑)。それに、約束もあるし。
何より、自分がそれを望んでるから。
「続けること」が全てに繋がるなら、続けるしかないと思うし。
「その瞬間その瞬間で『出来ること』しか出来ないじゃない。
だから、自分に『出来ること』をやろうって思って」
身の丈にあった物事しか巡っては来ないことは分かってるけど、
もっともっとって思ってしまう自分がいたりする・・・。
で、毎回毎回、一杯一杯になって、パンクしそうになるんだよね(苦笑)。
でも、今の言葉「その瞬間に自分が『出来ること』をやろう」っていう彼の言葉で、
一気に物の捉えかたが変わったの。
これは置鮎の兄貴の言葉だけど・・・。
彼、もうプロとして声優活動し始めて17、8年になると思います。
それでも、やっぱり本番とかで恐くなる時はあるんだって。
「置鮎さんは緊張とかしないでしょ?」って言われて、
「ううん。俺、今でもマイク前でたまに震える」
って言ってた。すんごくサラッと。
そのサラリとした言い方が、本当に現実味を帯びてて・・・。
びっくりしたよ!「まさか!」って、固まったもんね・・・。
特にデビュー当時とか、後ろに座ってらっしゃる先輩方の「気」に緊張したらしいけど・・・。
その時に、さっきの言葉を思ってたんだって。
「今自分にやれることをやろう」
無理しても何しても、自分の持っている中でしか表現出来ない。
なら、今の自分に出来ることをやろう、って。
すごいなあと思った。
その言葉を聞いて以来、アタシはすごく楽に局面に向き合えるようになったかなあ。
この考え方なら、何も恐いものが無い。
結果も何もかも、自分の実力次第だもんね。
誰の所為でもないから、言い訳出来ないけど、はっきりしてていい。
変なプレッシャーも感じなくて済む。
だから、アタシ自身が目指すレベルの人間になる為には、
まだまだ越えないといけなものがあったりする。
でも、置鮎の兄貴や甲斐田姐さんみたいに、
生きるヒントをくれる人に出会えてるから、
アタシはやっぱり、幸せものなんだなあと思う。
「こんな人になりたい!」って思える理想を持てることは、すごく幸せなことだと思うから。
そんな目標に近づく為にも、やっぱり続けないとね。
自分の信じることは、人生を賭けても構わないって思うものは、大事にしたいから。
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助