某所に書いたものと全くの同文ですが・・・。
まあ、たまには良かろうて。
本日は、随分と言葉がキツイかも。
辛口?注意報出しときます。御気をつけて。
水曜、二週間ぶりの現場。
Pが変わったことで、仕事の進行やら何やら色々変化。
きびきびなさる方なので、非常に仕事はやり易かったです。
でも、次は人が変わるのかな?
スタイルも変更になるんだよね、確か。
上手くいけば良いのだがな・・・。
まあ、アタシの仕事は変わらないので、アドバイス通りにさせて頂きますが。
そんな水曜、この業界ならではを体験。
「・・・ふーん」
大体想像していたことではあるけれど。
ドラマやら何やらでもよく描かれる「当たり障りの無い方向で」の仕事。
どっぷり浸からざるを得ない仕事であることを実感。
捻くれた捉え方をすれば、
「自分がどう思っているのかは問題ではない。
受け手に、波風を立てないことが大事」
ということ。
要するに、自分の本当の気持ちだとか意見だとかを真剣に語ることは禁止なんだよね。
確かに?仰ることは分からないでもありませんけど?
後々面倒なことも起こりかねませんからねー。
そうなると大変だろうしな~。
アタシたちが触れないようにすれば、未然に防げる訳で。
でも昔から、口先だけの言葉を並べることに非常に神経質なもので。
正直なところ、アタシは「残念」とか「ショック」とか感じなかったんで。
「残念でした」とか「ショックでした」なんて、口が裂けても言えないんですよ。
あの件に対してアタシが感じたのは、そういうことじゃないから。
世の中や自分に嫌気が差しても、
自分のことはかわいいってどこかで思ってる。
自分のことは大切にしたいって思ってる。
だから、自分を傷つけるのが怖かったり出来なかったりするんだろうなって。
「いやになったり、死にたいって思った」って言うけど、
本当は死にたくなんてないんだろうなって。
でも、自分じゃどうしようもなくて、解決出来る策が思いつかなくて、行き詰って凶行に及ぶのかもしれないってこと。
抑えきれないエネルギーって、上手く変換できれば、
誰にも真似出来ないようなオリジナルのものを生み出すことが出来ると思うの。
それが多分、喜怒哀楽で言う喜と楽。プラスの感情。
でも、負の感情と位置づけられる怒と哀の爆発的なエネルギーでも、
発散の仕方で、自分への影響も他人への影響も変わってくるんじゃないかな。
「何が正しいのか」なんて、世の中多数決で常識が決められてるから、
時代によっても、集まった人の傾向によっても変わる。
だから、「これだ」って決められないだろうけど、
アタシが思うには、
抑えられない感情やエネルギーを発散する時、
絶対にしちゃいけないのは、誰かが悲しむ結果を生むことかなって。
ありきたりな考えだろうけど、
自分の中に蟠るモヤモヤをぶつける事で、他人を巻き込むのはやっぱり良くないと思う。
相手が喜んでくれるなら構わないだろうけど、
苦しませたり悲しませたりするなら、しちゃいけないんじゃないかな。
あくまで、アタシの意見だけど。
全然違うけど、
「他人に見せていいのは、熱意じゃなくて結果」
ってことをふと思い出しました。
「なりたいという思いを振りかざして、熱意の捌け口を間違えてはいけないなと思います。熱意は、他人に対してぶつけるものではないので。熱意があるなら黙って切磋琢磨して、結果を見てもらえるようにすべきですよね。人に見せていいのは、熱意そのものよりも結果ですから」
大好きな甲斐田姐さんの言葉ですが。
そう、それで、あの件を聞いて、
「自分の感情を抑え込めないが為に人を傷つけるのはよくない」ってことを感じたのね、アタシは。
でも、許される発言は、「残念でした」とか「ショックでした」とか、
あたかも自分は無関係ですっていう立場を剥き出しにした第三者的な言葉。
アタシは、そういう感想は態々世間様に発言する必要は無いと思ってるの。
思う思わないは個人の問題なんで、思うからダメ、思わないからダメなんて言う気はサラサラありません。
発言する必要があるかないかで考えると、別にあの場で言うことは無い、と思うだけ。
一般的に、残念とかショックとか感じる人が殆どの筈だし。
敢えて付け加えなくても、同じような感覚でいる人は多いだろうし。
万人に近い数の人達が感じているのであれば、態々あそこでアタシが一言言っても、何も変わらないじゃん。
その言葉が落ちたからと言って、水面が波立つことは無い。
それじゃ、言う必要や意味、重みは無い訳で。
受け手に、何か考えるきっかけ、
「あー、そう考える人もいるんだ」って、
何か小さいことでいいから素通りしないで眼を逸らさないでもらえることをするのが、アタシの立場じゃないのかなって思うの。
「きっかけ」になれることが、アタシの仕事へ対するプライドでもあるから。
「変わってもらおう」とか「変えてやろう」なんて、これっぽっちも思ってない。
そんなの、アタシのチカラで出来るもんじゃないし。
ただ、「物事に対して気づいてもらえればいいな」って、いつも思ってる。
これまで水鏡だった水面に石を投げるのが、アタシの仕事だと思ってる。
波を立たせるきっかけになること。
波が立てば、その人自身がどんどん考え始める。
波紋は広がっていくんで、ほっといても自然に色んな事を考え直す筈。
そう思ってるから「それはダメです」って言われた時、
自分の仕事の意義が無くなった気がしたのね。
中身ないじゃん、って。
当たり障りの無い万人ウケする綺麗なことを発信したって、
何も始まらない。
本気が詰まってない言葉なんて、何の意味も無い。
きっと、どの形であれ発信する立場にいる人達は、
多かれ少なかれ、本意と現実の葛藤があるんだろうなー。
水面めがけて投げる石。
握ったままじゃ、波紋は生めないんだよね。
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助