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幸村が気侭に綴るblog。 及川光博氏のメッセージ性・自己実現への姿勢を見習う日々。
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物が増えれば増えるほど、喪失感が増すんです。

気分が優れない時、優しくされると「ありがとう」って素直に思う。
でも、その時に何か欲しいものあったら買ってあげるよ、とか言われると、
言い様もないくらいに悲しくなるの。

それは、「相手がアタシを物で励まそうとしているんだろう」なんて思う訳でも、
「欲求を満たせば気持ちが良くなるから、一番手っ取り早いんだ」とか、そういう風に思う訳でもないんだよ。
ただ自分は、モノを得ることに悲さを感じる瞬間がとても多いだけ。
必要か不必要かで考えれば、不必要である場合が大半だったりする。
人間が生きる上で本当に必要なものなんて高が知れてるって、ずっと前にも同じような話をしたけれど。
買った時は、「新しいもの」に喜べるけど、その感情は長続きしないから、時間が経つとまた元に戻ってしまう。
結局、一時凌ぎでしかないんじゃないか。
じゃあ、アタシは何の為にモノを手に入れるんだろうって、思ったりね。
どうせ、いつかは手放すものなのに。

だから、アタシは「買い物」って好きじゃない。
人混みも苦手だし。
商品が溢れるところにいると、思うことが多すぎて吐き気がすることだってある。
「可愛いな」とか「お洒落だな」とか、感化される部分も沢山あるけどね。
それでも、どうしたって悲しくなるから、自分からは出掛けない。
必要に迫られていれば、話は別だけども。

だから、服を買うとか、鞄を買うとか、その類のお出掛けって、滅多にない。
・・・兄貴の出演した作品を買いに行くことはあるけど、そういう買い物じゃなくてさ。
服を買うために出掛けたことって、数える程もない。
自分から買いに行くことってないなあ・・・。
お洒落に興味がないわけでは無いのだけれど。
でも、カフェで時間を潰してる時に外を見てると、いつも思うよ。
「見てくれを繕ったって、一定の部分でしか意味は成さないのに」って。
自分も他人も、何がしたいのかなって。
その「一定部分」が、人間が生きていくにはとても重要なのかもしれないけど。
なんか、空しい。


気に入りのカフェで、気に入りの席に就く。
いつものフレイバーを頼んで、腕時計を外す。
あとは、気が済むまで何時間でもそこでぼーっとするの。
心が歩けるようになるまで座ってる。
その間は、外を歩く人をずっと見てるんだけど、いつも痛い程思うのは
「皆、目的があって歩いてるわけじゃなさそうだな・・・」ってこと。
そこで見るのは、モールや駅を横切る人たちなんだけど。
モールに出入りする人たちも、何か目的があってそこに行くようには見えないし、
駅を通る人たちも、目的地に何かを求めているようには見えない。
それでも女の子はお洒落に余念がない様子だし、男性はピシッとスーツを着ていたりするのね。
そのアンバランスって、やけに現実の味がする。
旨くはないけど不味くもない。記憶には残らないことが多いもの。
見てると楽しいけど、それがこの世界の多数を占めるんだろうって思うと、ゾッとする。
きっと、自分だって店を出ればその中の一匹でしかないだろうけど。

生きるか死ぬかの世界でしょ。
世界は二択で出来ているんだって話、前にもしたけど、
死にたくないなら生きるしかないじゃん。
何度も言って来たけど、幸村には死ぬ覚悟がないから、生きるしかない。
でも、生きることも生きていくことも、すごく大変なんだよね。
そこにも覚悟は必要で、それが無いとやっぱり苦しい。
それは、ただただ単純に経済的や精神的な問題もあったりするけど。

そこまでして生きなきゃいけないなんて、一体何の為なんだろうってついつい思う。
死にたいとは思わないけど、死ねたら楽だろうなとは思ってる。
でも、命を絶ったところで何かが解決するわけでもないんだし、中途半端な自分で幕を下ろすことを考えると、不名誉極まり無いなってアタシは思うから。
「生まれてきたことに意味も理由も無いからこそ、その無意味な自分に価値を見出す為に生きていく」んだろうって、
中学の時に無理矢理答えを出したけど、それが本当に自分にとって一番の答えなのかは未だ分からない。
解決しないことで悩むのは不毛だって言われて、そうだよなって思った筈なのに、やっぱり考えてしまう。
これまでの人生、小さい頃から死ぬことを意識し続けてきて、一体何を得たのかって言われても、
馬鹿馬鹿しくなるだけなんだけど。
こんなに頭を抱え続けても、何も糸口は見えてこないまま。

カフェで他人を見て冷めてる間でも、電車に乗ってる間でも、
いつだって、何処にいたって思うのは、いつかは死ぬってことともう一つ。
アタシは何をしてるんだろうってこと。
何か一つに必死になってきたわけでも、自負を負える程の何かを身につけてきたわけでもない。
特技なんて、真面目くさった話をする折に挙がるものも無いし。
おふざけで取り挙げる特技であれば、幾らもあるけど。
学内で勉強に励んでる人なり、社会で働いてる人なり、自分と似たり寄ったりの年齢の人たちを見てると、
ただ純粋に「すごいね」って思う。
でも、それ以上でもそれ以下でも、他に浮かぶ感情って無い。
自分は何をしてるのかなって、馬鹿馬鹿しくなるだけ。
あとは、自分には何が出来るんだろうってこと。

甘えてるだけなんだろうけど。

アタシには何が出来るのかなって考えても、
それだって答えは出ないまま。

・・・限がないからもうよそう。
ありきたりの自問もいいとこだし・・・。

この数年間の苦渋が、いつか何かの役に立つと思わないと、やってやれない。
あとどれだけ続くかも分かんないしな・・・。
早く治るといいんだけどなあ。

プロフィール
HN:
幸村玖月
性別:
非公開
趣味:
ストレッチ。歌。シャドーイング。
自己紹介:
≪座右の銘≫
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」

≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助

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返信はblog記事の後書にて。

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