窓硝子も扉硝子も、スパイダーマンペインティング。
手が凝っているなぁ、と共に
「うあー・・・派手」
と思ったら、スパイダーマンのおでこに
弱冷車
の三文字が。
「・・・・・・」
威嚇の凄みも台無しでした(笑)。
寸暇を惜しんで三十分、投稿出来るか分からないけど・・・幸村です。
22日、久方ぶりに映画「陰陽師」を観ました。
←DVDは二枚とも持っている。
夕飯を口に運んでいると急に恋しくなったの(笑)。
「晴明様・・・!晴明様を拝見したい・・!!」と心が叫んだのよね(笑)。
萬斎さん、御元気かしら・・・と、
最近しきりに気に掛かっていた所為だと思うのだけれど。
それにしても、本当に久しぶりに観たよ。
そしてこれまで何とも思っていなかった部分に感動したり、
真田さんはやはり、映画スターなんだという事を思い知らされたりと、
それはそれは大変興奮いたしましたとも(笑)。
無論、萬斎さんの色っぽさにも中てられた(笑)。
製作秘話とかで伊藤さんが仰ってましたが・・・。
第一弾の「陰陽師」の撮影で、伊藤さん扮する博雅様が死の淵に立たされた時、
萬斎さん演じる晴明様が博雅様を抱きかかえるシーンがあるんですが。
伊藤さん曰く
「萬斎さんは男の人なんですけど、抱かれているとドキドキしました(笑)」
だそうで。
・・・羨ましい・・・。
とか思ったのは私だけでは無い筈(笑)。
萬斎さんって、男性からみても魅力的な所があるそうで御座いますよ。
真田さんも、同じような事を仰っていた気がします。
だって、萬斎さんって、普段の何気ない仕草も色っぽいですもん。
それは、全く以っていやらしくないのですよー。
不思議な御方です・・・。
「オイディプス王」を拝見した時だって、
舞台に立ってらっしゃるだけで、色香が漂っていましたよ・・・。
あの全身白装束がまた素晴らしく似合っていらしたし・・・。
白一色だから、余分なものがなくて余計にそう思ったのかもしれませんね。
晴明様の狩衣も、白が基調だからそう思うのかなあ。
そんなこんなを思いつつ、
映画「陰陽師」を七時過ぎから観始めて九時半には片付けたのに、
朝方四時まで眼が冴えて眠れなかった(苦笑)。
四時になっても眠くならないもんで困ったんだけど、布団に入って暫くすると何とかなったらしい・・・。
んんー・・・あのドキドキ感は、夜には宜しくないですな(笑)。
萬斎さんと言えばもう一つ。
先週末は、朝から夕方まで「新訳 ハムレット」を音読しました。
実は密かに萬斎さん熱が高いです。
「新訳 ハムレット」
シェイクスピア
河合祥一郎=訳
発行 : 角川書店(株)
初版発行 : 2003.05.25.
ISBN 4-04-210614-5 C0197
2003年に御自身が主演なさる時、萬斎さんが河合さんに新訳を委託なさったもの。
台詞のリズムと響きに最も拘って書き下ろされたそうです。
この「新訳 ハムレット」を音読していると、幸村は縦ノリになってしまいます(笑)。
読み始めはテンションも普通。
中頃になると、世界に入り込んでいて大変。
終盤に差し掛かると、体力も消耗気味(笑)。
座って読んでいるんだけど、流石に三時間も四時間も経ってくると音読しているのも疲れます(笑)。
でもねー!音読は楽しくて堪らないのだよ!!
途中で「音読ハイ」になるんだけど、ここにくるともう、がんっがんページが進みますよ(笑)。
舌の回転がどんどん早くなっていくのも面白いっス。
素敵な言葉遊びが沢山あって、幾ら読んでいっても楽しい。
シェイクスピアの言葉のセンスも然る事ながら、河合さんの日本語のセンスには舌を捲きます。
これは、是非一読の程を。
手になさったならば、一度は音読を。
日本語のリズムは、声に出して初めて楽しさが分かるもんです。
・・・それに、早口言葉の練習になるんですよ、この本(笑)。
幸村の好きなものの一つは、第84項第8行目からのポローニアスの台詞。
“世界一の名優でございます。悲劇よし、喜劇よし、 歴史劇よし、牧歌劇よし、悲劇的歴史劇よし、悲劇的喜劇的歴史劇的牧歌劇よし。何でもござれ、セネカをやっても重すぎず、プラウトゥスをやっても軽すぎず、型どおりでも型破りでも、天下に並ぶ者なき連中です。“
ここ(笑)。
ポローニアスを演じられた役者さんの節回しがまた独特で、非常に印象的でした。
それに、すんごく早口だった(笑)。
・・・とまあ、萬斎さんフィーバーが上昇中な幸村でした。
常に心に在るんだよ?
織田裕二さんと萬斎さん熱はね。
もう時間がないのに・・!!幸村です。
今、たった今、久しぶりに「ナデプロ!!」サイトへ行きましたらば。
なんと六月にSPCDが出るとのこと!!
それも、アニメイトさん以外のレコード店で購入出来る!!
すごいねー、「ナデプロ!!」もとうとうそんな域にまできたんだね~。
本当に嬉しい!
これは買わない手はありますまい。
しかも、喜びはそれだけではありませんでしたヨ!
何と何と!!
新キャラに石田の彰さんがいらっしゃるとか!!
しかもキャラの名前が 「 いっしー 」
「ナデプロ!!」は、役者さんの御名前が必ず入っているのですが、
こんな形でくるとは(笑)。
このキャラの本名は一体何なのでしょうね(笑)。
収録はもう済んでいるとのことで、コメントを拝見しましたが・・・。
待ってましたよ~、待ってましたよ~!!
実は密やかに「石田さん、何かのキャラで出てくれないのかな・・・」と思ってた。
シリーズは完結したことになっているので、もう新キャラは無いだろうと諦めていたところに
この朗報!!!
此れを機に、彰さん好きの友人にも「ナデプロ!!」を吹聴してみましょうか。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
年度頭から、一日往復約八時間、電車に乗っている幸村です。
家を出る。目的地に着く。
大体これで四時間は掛かります。
もう毎日が日帰り旅行気分(笑)。
・・・いや、笑い事じゃないんだけどね。
そんな長旅の道程、座っている間は調べ物。
しかし、立っている間は何も出来ません。
読書をするのが妥当でしょうか。
そんなこんなで、週明けから開いた夏目漱石の「草枕」。
文のリズムにゾッコンです。
そして、幸か不幸かその文章に影響されてしまっている幸村。
ある方へ御送りしたメールが・・・堅い。
果ては、自身の頭で考える独り言も堅くなってきた。
やや古風なあの言葉遣い、幸村には堪らん程のツボで御座います。
ん?
いや、誰かがそういう言葉遣いだからじゃないからね。
あの、桜を操ったりするような人が遣っているから、とかじゃないですよ。
小学時代から、「台詞が古語の時代劇」のファン幸村にとっては、
「草枕」の文句はまさに「ズキューン!」です。(久々にでましたね、「ズキューン!」)
嵌った本の文面から、自身の文へ影響を受け易い幸村。
暫くは、あんな感じの言葉遣いが続くと思われます(笑)。
ああ、そう言えば。
「銀魂」の沖田さんの言葉遣いは、江戸っ子言葉なんですね。
私は江戸人じゃないんで知らなかったんですが、
「草枕」に出てくる江戸っ子のおやじさんの言葉遣いが、まんま沖田さんです(笑)。
「~~~でさぁ、旦那」
「~~~ですぜ」
と頻出していて、
「・・・聞いたことあるなあ」と思っていたら、沖田さんだった(笑)。
「銀魂」の作者さんがキャラに合わせて考え出されたのだと思っていたのです。
だから、余計に読んでいるのも楽しいですよ(笑)。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
桜が、風に音無く散る様を毎日眼にして、言い得ぬ思いの幸村です。
家の傍も、毎日の通り道も、舞う花弁が盛んに見受けられます。
そして、その花びらにドキリとして歩みを止めるのが幸村の癖。
なんだろう・・・。
桜の花びらが幾枚もハラハラと舞っていると、心臓が一瞬、きゅっとなるのね。
「・・・心臓によくないんじゃないの・・・?」と思うくらい(笑)。
そして、心というか、魂が、浄化された感覚がするの。
何時間でも見ていられる。
で、そこにいる間は、意識がここにないの。
・・・いや、失神している訳ではないのですよ?
・・・幽体離脱・・・?
なんかね、すんごく不思議な状態になるの。
桜に攫われてしまう。
んー・・・?
兄様が桜を操っているから、桜を特別意識してしまうんだろうって思ったでしょ。
違うんだな~。
ずっとずっと昔からなの。兄様に出逢うそのずっと以前から私は桜が好きで、
桜の花が散る数日の間は、その木の下で何時間でも桜をみて過ごすの。
・・・今年は忙しくて出来ないんだけど。
先週、家の傍の桜が音無き風にその身を散らせる瞬間をみたのね。
私にとって、今年初めての桜の舞だった。
幾重も散り行く桜の花弁と、その空間に存在する感覚に、やっぱりドキッとした。
それで、何より先に「きれいだなぁ」って思った。
御花見をするような花盛りより、
散っている、散っていく桜を見るのが好きで、その瞬間が一番素敵だな、ってハッキリ思った。
「私は、桜のこれが好きなんだな」って。
今まで、桜の何もかもを一緒にして「好きだ」って言ってたなーと。
あと、散った跡が好き。
一面の桜花で、足元が桜色になってるの。
池の水面に浮かんでいる桜の花びらとか。
自然と、気持ちが穏やかになるんだよね。
なんだか・・・年寄りくさいですか・・・?
いやいや、そんな事はないさ。・・・無いとも・・・。
そうだね・・・
人間は、何度生まれ変わったって来世も前世も人間だって聞くけど、
もしも他の何かに生まれ変わるとしても、桜の傍で過ごす時間をもてるものがいい。
・・・日本じゃないといけないんだよな、そうなると(苦笑)。
それくらい、桜は好き。
あと、同じくらい藤も好き。
もう桜花は終わっちゃうけど、もうすぐ藤が咲いてくれるから、また毎日がドキドキしそうだよね。
以下は、イヨさんへのメールレスポンスです。
幸村家のすぐそばにある一対のソメイヨシノも、そろそろ伸びをし始めました。
この二、三日は随分温かかったからねー。
急に蕾が膨らんだ!何輪かはもう咲いてましたよ。
幸村は、こうして春を迎えることが出来るって、すごく幸せだと思うの。
何だかんだ厄介事はあるけど、それは生きている限りついてまわるものだから、気に病むだけ損だなーって思う。
悩む事が沢山あったって、アタシたちが今を生きている事に変わりはなく、今この季節を感じることは出来る。
多分、それはすごく貴重なものなんだと、不思議と小さい頃から思ってた。
死ぬことが常に頭にあるから、余計に今が愛おしいんだと思う。
いや、やっと、愛おしいと思えるようになってきた。
今までは、時間が過ぎることが恐くて恐くて仕方なかった。
一秒一秒、僕は死に近づいているんだな、としか思えなかった。
最近は、
それならもっと、今を愛してあげよう
って思える。
変化は、自分が行動しない限り、訪れない。
春。
大好きな桜と温かな陽射しを浴びる度、毎年毎年、そんなことを思う。
インターネットとの別れが日に日に近づいている幸村です。
やーん(泣)。
あと数日で御別れですヨ・・・。
一日も早く復帰出来る事を祈ります。
例によって、インターネットから離れる間は携帯電話投稿ですな・・・。
これ、携帯電話の会社と機種を替えれば投稿可能文字数も増すのかしら。
全角250文字しか打てないなんて少なすぎます・・・。
だから、と言う訳ではありませんが、今月中に携帯電話会社を変更予定です。
今の機種はもう三年近く使っているけど全然飽きてません。
ずっとこの機種を使いたいくらい気に入っているんだけれど、通話プランやらパケットやらを考えるに他社の方が御得でして・・・。
それに、スキャナを買うまでは写メでイラストをupするから、もっと画像の良いカメラ携帯が欲しい・・・。
会社を変更するからナンバーポータブルかと思われるでしょうが、完全に作り変えようと思います(笑)。
番号もアドレスも変えちゃうつもり。
思うところもあって携帯電話に登録している人たちの整理をしたいし。
変更を報せるべき人と否なる人。登録しておくべき人と削除しても差し支えのない人。
一旦白紙に戻してみようと思って。
幸村は、「捨てるものは捨てる」ということが出来なかったので、不必要なものをたらたらたらたら引き摺って生きてきました。
「思い切り」が出来無かったのね。
だから、袋が幾らあっても足りないの。思い出とか記憶とか、そういうのを詰める入れ物。
良いも悪いも一緒に入れて、どれもこれも担いで来たんだけど、ふと気づいた。
このまま同じ事してると、何も手元に残せない。
言ってることが矛盾してるって思われるかもしれないね。
でも、本当に残らないんだ。
去年の夏、自室で突然泣き崩れたの。
寂しいとか悲しいとかじゃない。
ただ、空しかったんだと思う。
自分の部屋の真ん中に座って、そこにあるモノを何となく見回してた時のこと。
何だ、このガラクタの山は。
そう思った。
服も靴も、鞄も本も、部屋中にあるもの全てと言ってもいい。
本当に大切なものも、本当に必要なものも、並べてみればすぐ分かる。
数えるほどもないこと。
見つめなおすと、自分の周りにある溢れているモノはどれもどうだっていい存在ばかりで、幾らの価値もない。
「・・・僕には、何が残るんだろう。
何の為に、こんなの集めてるのかな。
・・・僕は、何がしたいんだろう」
そう思って呆然としてると、涙が止まらなくなった。
将来やりたいことじゃなくて、こんなに色んなモノを自分の周りに溜め込んで何がしたいんだろうって。
残るモノなんて、幾つもないのにね。
モノが溢れてる事で空しくなることは、いつだって、何度だってある。
家を出て御買い物に行く度に、それは感じてる。
パン屋さんでもレコード店でも、量販店でも食品売り場でも、
靴屋さんでもファーストフード店でも、花屋さんでもドラッグストアでも。
街を歩いていても、
何処に居ても。
溢れかえるモノに、吐き気がすることなんかしょっちゅうある。
同時に、その社会で生かされている自分に嫌気が差す。
綺麗にライトアップされたショウウィンドウの中の服を眼にした時、雰囲気の良い御店に入った時は殊更、
自分の恵まれた現状を思いながら、心の中に影が落ちる。
これだけモノがあれば、当然処分されるものだってある。
地球上には、必要なものさえ手に入れられなくて地に伏していく人が幾らでもいるのに。
この、無駄を無駄と思うことさえ疎くなった世の中で、自分も他人と同じように生きているんだな・・・って。
世界はきっと、不平等の下にある。
いつだってそんなだけど、
でも、あの日は空虚の規模が段違いだったんだよね。
だから、決めたんだ。
一度、全てを袋から出してしまおうって。
部屋にあるモノなら、片っ端から処分して、要るモノだけを残す。
そうして、次からは余計なものを手にしないようにする。
自分の意識出来る範囲では、無駄を無くそうって。
携帯電話も同じこと。
会社を変えることになれば機種を替えないといけない。
今のままで使えるなら越したことはないけど、そうはいかないみたいだし。
新しくなったら、要らないデータは一切処分する。
もっともっと、意識して生きなきゃいけないんだと思う。
この国で生きているということは、多かれ少なかれ、無駄遣いによる消費生活で生かされているということを。
自分達は幸せだからそれで良いなんて、間違っても思っちゃいけないと思う。
ちょいちょいっと検索してみたけれど、目当てのモンが一つも引っかからずに涙してます、幸村です。
「ナデプロ!!」の二次創作サイトさんを探してみたけれど・・・一つも当らない・・・。
自分の探り方が悪いのは明らかなのですが、ここまで当らないと凹みます。
今、かなり凹んでます。
がんばれアタシ・・・。
やっとパソコン・・・幸村です。
「ルパン三世」のテレビシリーズを観ています。
そしたらグラッと来ましたよ・・・地震が・・・。
幸村には自分でも「驚くべき力だな・・・」と思う感覚が幾つかあります。
中でも味覚と嗅覚、GBセンサーと地震探知機(探知機?)は凄いです。
※GB:黒くてすばしこい、偶に飛ぶアレ※
味覚と嗅覚が鋭いのは幼い頃から。
地震は、予知が出来るわけではありません。
揺れ始める瞬間から「来たっ」と感じるという、揺れに非常に敏感なだけです。
でもGBの場合は、ちょいと異質。
奴が自分と同じ空間に居ると、たちどころに居場所を突き止められます。
そう、無灯で何も見えない状態でも。←自分でも、これは凄いと思う。
全身の毛穴が目覚めるんだよね・・・奴が居ると・・・。
そんな訳で(?)GBを仕留め損なった例はありません。(自慢する事でもないけれど)
地震に敏感な幸村。
さっきの二時過ぎの地震でもかなり怖かったです。
この辺りは福井嶺北程も揺れなかったけれども。
地震速報に出ない程度でも、誰も気づいていなくても、「明らかに今揺れた・・・」と、一人で恐怖することが多々あります。・・・妖の所為とかじゃなくて地震だと思う・・・。
だから、震度一でも相当怖い。
でも、毎回初期微動継続時間を計りつつ、持って出るべきものを冷静に考え小脇に抱えている幸村。
今までのところ、結構落ち着いてます。
だけど、大震災となった過去のようなものが来た時に同様の対応が出来るかは分からない。
自分の足では立てないそうですしね。
近い内に起こると言われている東南海地震では恐らく、周囲も無事では済みますまい。自分の家だって残るかどうか・・・。
でも、
ワタシは死にません。家族も死なせません。
実際どうなるか分からないとかじゃなくて、そう強く想っていることが大事だと思う。
地震が起きる度、逃げる支度をしながら思っていることはただ一つ。
「僕は絶対に死なない。死んで堪るか」
これだけ。
先の事は分からない。だから、
ワタシに信じる事しか出来ないのなら、信じておこうと思うの。
過去を精算するために。
過去を過去として精算するために。
詳細は、インターネット復帰してからということで。
んー・・・何と言うか、きちんとけじめをつけたくてね。
いつまで何処まで引き摺ったって、嫌な思い出は嫌な思い出な訳ですよ。
何年経ったからって、懐かしいと思えるものじゃない。
でも、そんなものに悩まされてる自分が居る事は、紛れも無い事実だった。
ずっとずっと抱えてきて、
ずっとずぅーっと、癪だった。
今日は結論が出たと言うか。
・・・結論って言ったって、まだまだ途中かもしれないけど。
悩んでも拘っても、自分に何ももたらさない。
嫌な思いになって、疲れるだけなんだ。
悩む価値も無い。
って。
二時間以上、嫌な思い出の宝庫をぶらぶらして考えたの。
そしたらさ、色々と思うことがあって。
綺麗サッパリとはいかないけど、ある程度ケリがついたと言うか。
ま、その辺はまた、後日と言うことで。
はからずも、樋口さんの御誕生日に買っちゃったYO!幸村です。
昨日、映画を観に行く道すがら書店に寄り道。
「御店にありますように。御店にありますように・・・!」と、願掛けもいいところな幸村は店内をウロウロ。
Σ( ̄д ̄;)・・・・無い・・・!!!
しかし、しつこさが取得の幸村は諦めなかった。
幸村 : 「すいませ~ん。新書館から出版された『ナデプロ!!』はありますか?」
店員 : 「今日発売じゃないですよね?」
幸村 : 「恐らく、二・三日前かと」
店員さんが店内を見て回って下さる。
「・・・隈なく探したから、並んではいないと思います・・・」
と心で店員さんに語りかけると、心の声が聞こえたのか(そんな莫迦な)、御店の奥に姿を消してしまいました。
そーしーてー。
未だ箱に入っていた陳列前のコミックスを手に戻って来てくれた!!
店員 : 「ここでは本日発売だったようで・・・」
おお~!「12.25」(←発売日のシール)が貼られてるよー!!
幸村 : 「ありがとうございます!」←聞いて良かったと心底思った。
映画館についてから上映まで、一時間程暇があったので、折角だし「ナデプロ!!」を読んでました。
もう・・・!!人前で読んじゃ駄目だね!!
顔がニヤケるから、周囲から見てると非常に危ない人になってしまう。
これはねー・・・(笑)。これを真顔で読めと幸村に言うのは、眼で南京豆噛んで喰えって言うようなもんだね(笑)。
多分、映画館のあの心地良い場所で、危ない人のように見えていたと思います。
それでも必死に堪えたんだけどなあ。
でね!!
樋口さんが格好良いんだこれ!!!
氷堂先生の描く樋口さんは、ドラマCDのジャケットとかごく僅かなイラストしか手元になかったし、見たことがなかったんだ・・・。
ジャケットも格好良いんだけどね?樋口さん、格好良いなって思ってはいたんだけどね?
まさかここまで彼が格好良いとは思わなかった!!
あと、本の中で様々な表情の彼が出てきて嬉しかったです(笑)。
これで、色んな角度の樋口さんイラストが描けるゼ!!(喜び処はそこかい)
一度(ひとたび)読み始めると、最後のページに辿り着くまで片時も止められなかった(笑)。
徹底したギャグ漫画だと思います。
で、次にどんなボケと突っ込みがくるのかと楽しみで仕方なくなって、ドンッドン読み耽ってしまう。
すごいよねー・・・これは本当にすごいと思う・・・(笑)。
何処も彼処も面白いんだけど、一番受けたのが(台詞故ネタバレになるとも言えますから反転します)
「顔見せの時、常にベストショットを撮らせるために!
イベントでも限られた時間で充分にアピールできるように!
プレッシャーの中で自己のスタイルを保ち通してみろ! 常にだ!!!!
隠すふりして小出しにしろ!
知られたくないなら演じ抜け!
貴様等はプライベートですら強力な売り物なのだ!」
著者:氷堂涼二(ひどう りょうじ)
発行所:(株)新書館
初版発行:2007.01.10
このP.68。ここの、
「プレッシャーの中で、自己のスタイルを保ち通してみろ! 常にだ!!!!」のバックに書かれた
たとえ熱帯雨林でも スーツ!!
が一番受けた!!
このコマの樋口さんの画も秀逸(笑)。
樋口さんのスーツへの拘りと三人へ諭そうとする必死さが滲んでいます(笑)。
本当に、すんごい面白かったよ・・・!!
「樋口流粛正術・参之式!!!」とか「樋口流営業術壱之式、『血の契約書!!!』」とか、
著者:氷堂涼二(ひどう りょうじ)
発行所:(株)新書館
初版発行:2007.01.10
樋口さんのやりたい放題っぷりも、ここまで来ると読んでいて気持ち良い(笑)。
でね、樋口さんが言っていることって、自分にとってすごくグッと来るものが沢山あるの。
だから余計に好きになってしまったのです。
簡単に、ちょろっと感想を書きましたけど(流石に全部は書ききれん)、最後に一つ。
コミックスに出てくる樋口さんの格好良さに中てられて、居ても立っても居られずに、樋口さんを描いてしまった(笑)。
昨日は御誕生日だったしね!
中々気に入るものが描けて幸せvv
M費の札束を抱えて、その札束に口付けしている樋口さんです(笑)。
この構図、ずっと描きたかったんだけど、横顔時の彼の髪型がわからなくてね・・・描けなかったんだ。
コミックスの御陰で髪型もバッチリだ!これからドンドン描いていこう!
日々の拍手を、ありがとうございます!
おめでとう!樋口マネージャーっ!!幸村です。
本日、十二月二十五日は「ナデプロ!!」の樋口龍マネージャーの御誕生日。
一体貴方様は御幾つになられたので・・・?
プロフィールに書かれている年齢は恐らく偽証だ・・・(笑)。
そんな樋口さんの誕生日から二日後の二十七日、遂にドラマCDの最終巻が発売されます。
無論、ワタシはメイトで予約済み(笑)。
でね、失敗したなーと思うのは、その時一緒にコミックスも予約しておけばよかった・・・と。
「ナデプロ!!」コミックス第一は、もう発売されたそうです。
「ナデプロ!!(1)」
著者 : 氷堂涼二
出版 : 新書館
ISBN : 4-403-61856-1
税込価格 : 557 (本体 : 530)
サイズ : B6判 164 P.
そして、インターネット販売会社のAmazon.さんではもう品切れとか・・・。
CDを取りに行った時、御店にコミックスが残っているといいんだけどなあ。
御誕生日なのに、イラストも何も用意出来てないよー・・・。ごめんね、樋口さん。
クリスマスの樋口さんは描いているんだけどね・・・。
upするにはちょっと出来が宜しく無くてね。
そんな幸村だけど、
★Happy Birthday, Ryu Higuchi★
CDもコミックスも、楽しみにしてるぜ!!
二日間の携帯投稿を経て復活、幸村です。
今夜は、世間様ではクリスマス・イヴとの事ですが・・・。
ワタクシはクリスチャンではないので別に祝う必要もなく(笑)。
どんちゃんするのが好きじゃないから、イベントとか言われる日は静かにのんびり過ごすのが幸村流なんです。
ただ、この時期のこの雰囲気って、素敵だと思います。
皆、何だか楽しそうだもんね。
御友達とパーティーをして馬鹿騒ぎしたり、御孫さんがいらしておばあちゃんとおじいちゃんに笑顔が増えたり・・・。
買い物に来ている人たちも、ウキウキしてる。
そんな中で、自分も結構雰囲気に心躍らされていたりします。
で、こういう時って、御酒が呑みたくなるんだよね。
それはそれは沢山・・・(笑)。←この前、控えるっつったばっかだ・・・!!
言って置きますが、自棄酒じゃないですよ。冗談抜きで(笑)。
気分がいい時期は、普段呑まないくせに急に呑みたくなるみたいです。
うん、控えるっていったよね。
だから今回は、ずっと気になっていたビール一缶で我慢我慢(笑)。
サントリーの「The PREMIUM MALT'S 」!!← 350 ml で230円・・・。
こういう時じゃないとこんな高いビールは買えない(笑)。
気分がいいので小さいケーキも買いましょう。
苺の生クリーム。クリスマスサイズのショートケーキ。
さっ、食べましょうv
←ケーキはもう食べちゃった。今はビール。
・・・ん?何か?
甘いものは甘党で、御酒は辛党じゃねえかって?
ちっちっちっ (古い・・・)。
幸村をその辺の人と同一視しちゃあいけねえな、いけねえよ。
幸村玖月、甘党兼辛党代表(笑)。
いやね、これは幸村家の家系なんですって。
父親が、大福を片手に日本酒で一杯する輩です。
何でかなー・・・いつからだろう・・・(笑)。
シュークリームを食みながらワインとか、ホールケーキ食べながらウォッカとか。
御酒を公に呑めるようになった時からそんな事してたからね。
←公に出来ない頃は、つまみらしいつまみを食べながら呑んでいた。
砂ズリとかスルメとか。今も大好き。
ぷはーぁっ!!
ビールって、苦手なんだよね(あれ?)
幾ら呑んでも、ビールの苦味には慣れなくてね;
でも、このビールはずっと呑んで見たかったの。んー・・・ビビッときたから・・・?
実際、これなら呑める。
苦いことは苦いんだけど、気持ち悪くならない苦さ・・・って言うのかしら。
でも、僕はやっぱり、ビールなら第三のビールで充分かな(笑)。
あれは苦くないもんね。
他の御酒には拘りがあるんだけどなー。
好みの問題だから、これはこれでいいか。
・・・なんて思いながらも、またビールを呷る幸村がいました(笑)。
零時頃「夜も更けたからもう寝よう」と友人にメールを送ったくせに、色々やっててまだ起きている幸村です。
もうすぐ寝ますよ・・・。
今日はSさんに逢いにいかなきゃならないし、友人との御昼の約束もあるし。
でも、ここまで起きてたなら今日のblogをもう書いておこうと思います。
すっかり虜となった「ルパン三世」シリーズ。
五ェ門ちゃんが一番好きです。
TVシリーズを制覇しようと少し前から幾本か借りては観ているのですが、
五ェ門ちゃんは、あれなのか。
ボケキャラ扱いなのか。
・・・そうなのか。←一人で納得。
いや、各々の御話によって違うんだけどもさ。
今回借りてきた中の一つ「ハリマオの財宝を追え!!」は、誰が観ても彼がボケ担当に見える・・・筈。
「悟りの修行にも、先立つものが必要」ってことで、次元にバイトとして雇ってもらってるのが堪りません。
時間給は980円だとか。
有給は無いそうです。←当たり前。
手柄をあげた五ェ門に「時間給を上げてやるぜ」とルパンが言ったあと、すかさず
「有給もつけて?」
と言ったのには受けました。
この御話の五ェ門には笑わされっ放し突っ込みっ放しですが、
何処よりも一番力を入れて突っ込んでしまった。
「有給あったらもうバイトの域ちゃうんちゃう?!」
話が進んで、
税込み1030円で五ェ門を雇ってやって欲しいと、不二子ちゃんが雇い主に言うと、
咳払いをして不満を表現(笑)。
何て可愛らしいんだろう・・・。
どんなにクールで「無念無想」とか言ってても、その実とっても御茶目さんだったりするんだなあ・・・と、
これまで観てきたシリーズから思うのでした。
幾つか観た中で、一番好きなのは「お宝返却大作戦!!」です。
五ェ門ちゃんもしっかり活躍するってのもあるかもしれないんだけど、
この御話は、皆に少しずつ焦点を当てて活躍の場が設けられています。
本当に画の構図が素敵なんだって!!
次元のマグナムの捌き方、ルパンの運転は勿論、ふとしたカットが何とも言えない。
本当にこの構図の取り方は感服します。
あと、脚本も!!
五ェ門が詠んだ字余りの俳句は、今でも反芻してしまう(笑)。
あれは良かった。御茶目さん卍解。
えっと、確か・・・
「刀背打(みねう)ちじゃ 大切にしようよ 世界の遺産 ・・・字余り」
だったかな。
斬鉄剣を鞘に収めつつ、微笑み混じりに詠んでました。
この作品は画も配色も背景も素敵だったし、カメラワーク(表現が適当では無い気がしますが)も秀逸だし(あくまで幸村の好みの話)、一つの場面に間延びが無く、観ていて飽きません。
そして、「いい作品にはいい音楽がある」という言葉の通り、サウンドトラックが他の作品とはちょいと違うんです。
幸村の大好きな音楽観故に、余計にそう思うのかもしれません。
この御話をレンタルした翌日、再度御店に足を向け、サウンドトラックを借りてきました。
記憶に残る作品は、映画・劇画を問わず必ず素敵な音楽が花を添えています。
どんなに脚本や役者が良くても、B.G.にある音楽に魅力がなければ、本来の良さを出し切れぬままとなってしまいます。
連係作業であるものは、どこかが未完成ではいけない。
どれも不完全であってはならない。
完璧を求めることとは異なりますが、さらに上を目指してこそ、いいものは生まれるのだろうな、と思います。
しかし「完成」も「完全」も「完璧」も、迎えたと思ったらそこで御終いです。
「これで良い」と納得してしまうと、それ以上成長出来ない。
裏を返せば、満たされないうちは、成長の可能性を秘めているってことです。
満足したい。でも、もっと上を目指したいから満足は出来ない。
中々、人間の求めるものというのは難しいものが多いですねぇ。
・・・ん?
話が変わっているぞ・・・。
何だか纏まらない話で申し訳ないが;
「ルパン三世」については、御洒落な部分が沢山あって一言で語れませんので、
気になった方は是非御自身で御確かめを。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
御無沙汰してます、幸村です。
生きてます。(取敢えず報告)
先日、二週間に一度の御医者様にも行きました。
新たな乗り継ぎ方法を知り、通院も幾分楽になったので嬉しいです。
人の数が劇的に違うので、疲れ方が天と地です。
御医者様いわく、経過は良好・・・なようです。
この前までは何とも言えなさそうだったんだけど(苦笑)。
うーん、しかし・・・一体いつまで続くんだろう・・・。
初診ではっきり言われた分、心構えは出来てるつもりだったけど、こうなってくるとやっぱり不安・・・。
良好とは言え、今のところ目処が無いので;
ここのところ、「ホントに治るのかな・・・」と、昼夜問わず弱気になりがちです。
まっ、悩んでも仕方の無い事なのですがねー。なるようにしかなら無いんだもの。
この世界に「在る」とされているものは、何時どうなるか分からないんだもんね。
明日が来る保障だって何処にも無い。「絶対にくる」なんて、誰にも証明出来ない。
何もかもが定まらない世界である以上、何を用いようと「先の証明」は不可能です。
宇宙の気紛れで、あと数分後にその空間自体が消滅するかもしれない。そんな可能性だって否定は出来ない。
「絶対」は無い。
特に「先をみる」という行為は、人間は勿論、存在し得るものたちの手に負えるものではありません。
だから、自分も含めて未来を気に掛けることは掛けるだけ骨折り損のくたびれ儲けでしょうよ。
・・・こんなこと言ったって、飲み込んじゃいねーからどーせまた悩むのがオチなんだけどさ。
少し話が逸れますが・・・。
「ヒトなら出来る」とか「ヒトは偉い」「ヒトは他の動物とは違う(←排他的なニュアンスで用いられている)」なんて言いたそうなものをよく眼、耳にしますが、それはただの驕りです。
人間は大して他の生き物と相違はないんだもの。
思考能力が抜きん出ていることは確かだけど、それが「偉い」ことは無関係です。直立二足歩行が出来ること、ものが使えることが「偉い」とはいえない。
たまたまヒトの進化の過程でそうなっただけで、四本足で歩いたって二本足で歩いたって、歩いていることに変わりは無く、そこに存在価値・種族の価値等の基準を見ようとすることは根本的に誤っています。
ものを自由に扱えることは、確かにすごいことだと思う。けれども、それが他の動物達を卑下する言いがかりには出来ない。
これだって進化したらそうなっただけなんだもんね。
生物の歴史、宇宙の脈絡が違えられていれば、ヒトではなく、もっと違う生き物にそういう能力が備わっていたかもしれない。
そもそも地位だとか言って動物に優劣をつけること自体、おかしい。この時点でヒトは他の動物を自分の足に敷いていることになります。
何も上下関係なんて無いのに、ヒトだって同一線上にいるのに、どうして他の動物の評価が出来るの?
評価を下すということは、相手の価値をはかるということです。
はかるものと、はかられるものとの間には、位置関係が存在する筈です。
ヒトは、そんなこと出来る存在ではありませんよ?
この話、奥が深い分こんなところにぺラッと書けるものではありませんので今夜は適当なところで留め置きますが・・・。
つくづく悲観的になってしまう自分が憎いですね・・・。
上に関係していることでもありますが、そういった
「思い違いもいいとこだな、おい」というヒトが増えてきていると思います。
「人間様」中心の世界だ という世界の見方が然も当然となっている状況が、眼に余ります。
自分の周りに限らず、メディアから垂れ流されているものにも見られることですし。
「そんな事、考えたこともない。(人間のものだなんて思ったことなんてないよ)」と、顔の前で片手をひらひらさせるヒトほど、危なかったり。
そんなこんな、不安要素たっぷりの世界。
それはそれで割り切って、楽しまないと勿体無い。
泣いても笑っても、人生は人生であり、人の一生には変わりないんですから。
確実に、終結に向っているのは誰しも同じだしね。
笑顔が一度でも多い人生に出来るといいな。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
ハロウィンの後継はクリスマスですか・・・そうですか、幸村です。
サイトの背景を秋仕様にしたのはいいけれど、今頃すると何だか時期遅れの気もします・・・。やっぱり流れに乗り遅れているのかしら;
しかし、まだ十一月ですからね!幸村的暦では秋です。
乗り遅れているように思ってしまう原因は、巷は既に冬モードだから。秋なんて遠い彼方に過ぎてしまったといわんばかりに冬!冬!冬!です。
すっかり街中がクリスマスだもんね。それにしても・・・ハロウィンの翌日にクリスマスが来たのはびっくりしたね。
まだまだ先だよ~?そんなに早くからクリスマスしてると、本当にクリスマスが来た頃には気分も盛りを過ぎてんじゃないの~?
ハロウィンが九月の頭くらいから囃されていた今年、十月の中頃にふと思いました。
「あ、そっか。まだハロウィンは来てないんだっけ」
毎日毎日、街中でみる「HAPPY Halloween」の文字。黒と橙を基調にしたポスターが至る所に飾られて、お化け南瓜や魔女さんたちのイラストも多数。
いい加減見飽きた頃に、まだまだ十月も末日には遠いことを思い出しました。
末日になるとハロウィンなんてもう時代遅れのような感覚で、次の準備に主役を盗られているような印象を受けました。盛り上がりが大事で、当日が云々じゃないんだろうな・・・。雰囲気なのかな・・・何もかも。
それにしても、「Happy Halloween」ってどうなんだ・・・。
皆さん何かなさるんでしょうかね・・・;
それにしても、日本人ってイベントが好きですね。
御正月に始まったと思ったら、一月も上旬から節分を宣伝。
二月三日が過ぎると御雛祭り。
三月三日を終えると次は四月に向けてもう御花見のコーナーとかが出てくる。
桜が終わると子供の日、端午の節句。
五月の五日を過ぎると、これといったイベント事もありませんから、ぼちぼち「夏だ~!」とか「SUMMER!!」とかが目に入るようになりますね。
で、言ってる間に御中元コーナーが出てくる。そうして次第に、海の日やら御盆に向けて、夏!夏!夏!って耳が痛いほど夏を謳っていたりします。
で、次はそろそろ九月。
運動会。
運動会は十月の頭前後じゃないのかな・・・とか思いますが、八月もひきずりが去る頃から声高に言われるようになりますね。
運動会が済むと・・・御月見?
御団子やら芒やら、兎さんとかも沢山眼にします。でも、御月見って最近は言う程イベント化されていないようで、九月に入って運動会と並んでハロウィンが目立ってきました。
数年前まではこんなに大袈裟に持て囃されていなかった気がしますが・・・何があったのだろう・・・。
ああ、そうだ。十月も下旬になると御歳暮のコーナーが出てきましたよね。
今年は、ハロウィンと御歳暮が平行していた時期もありました。御歳暮って、年の暮れだよな・・・?とか頭がごっちゃになりそうだったゼ(困)。
で、十月末日の夜が過ぎると街中一斉にクリスマス。
クリスマスが終わらない内から、新年の御祝いです。「賀正」とか新年の干支とかが眼につく。御正月にケーキ!とかチキンとか、まあ色々宣伝はあります。
クリスマス当日。すっかり廃れたクリスマス(呆)。
この頃は、御節料理とか福袋とかに注目がいってるもんねえ;
これら一年間の一連の流れは、販売商社による戦略なのでしょうが・・・それにすっかりのせられて年がら年中イベントイベントって、新しいもの・キレイなものを求める国民性を、一度客観視する必要はないのかと思うのです。
何も、イベントを楽しむなとは言いません。ワタシだってクリスマスが近くなるとウキウキします。何をするでもないけれど、夜に見る家々の明かりやイルミネイションが冬の寒さに映えて素敵だなって思うし。
ただ、そういうイベントの他には何もないんですか?って思うの。
クリスマスって言ったら、右向け右をしたように皆クリスマスに向う。
磁石を近づけられた砂鉄みたいに、みーーーーーんなゴソゴソっとクシャクシャっと集まるこの習性。何とかならないのかな・・・。
それに・・・クリスマスもハロウィンも、イベント化されてるけどその真意は無視されていたりするし・・・ね。
子供の日でも御中元でも御歳暮でも、どれも売り手の策略に嵌められているばかりで、なーんかホントに大切にしていかなきゃいけないものは置いてけぼりになってる気がするんです。
ワタシが見ている世界なんて、日本とはいえ極極限られた部分でしかない。だから、全く違う一年の流れを汲む地域もあることでしょう。
この眼に映るものだけが真実とは言えない。
でも、本当に見つめないとけないものや大事にしなければならないものが蔑ろにされる世の中になっていることは、確かだと思います。
人間の価値自体が下がっているとも思える昨今、自分も含めて、一度世間の動向から逸脱してみるのもいいかもしれません。
人混みの中を周りに合わせて歩いていると何も感じないけど、流れから一歩外れて観察してみると、思うことは山程ある。変な感覚だよね、人混みと人の流れを他所から見てる時って。あの感じ、凄く好き(笑)。
それと一緒なのかなーとか思ったりする。
要は、如何に周りに左右されずにいられるか。
自分を、流れに揉まれない所へ連れて行くことが出来るか。
その為に、自分が気をつけないといけないことって沢山ある。一気には出来ないから、一つづつ一つづつなんだけど。
少なくとも、そう意識してるだけで、少しは違うと思うなあ・・・。
イベントに遊ばれない自分でありたいな。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
「ルパン三世」の五ェ門にすっかり嵌った幸村です。
借りちゃいました。
テレビスペシャルを三本ほど。
見れば見るほど、朽木さん家の白哉くんとかぶるんだよね~。
五ェ門さん、兄様よりも数段お茶目だんではありますが、クール加減は負けず劣らずです。
幼き日の自分の好みが今と変わらないんだと確信(笑)。
この作品、最近のアニメよりカメラワーク(カメラワークっていうんかな;)のセンスがまるで違います。
これも、「ルパン三世」の制作スタッフさんたちの腕なのかしら。
ほんとにセンス高いです。見てて飽きない。
今のアニメって、画の完成度は非常に高くはありますがそれに頼ってしまっている感じがします。
最近、昔の作品を沢山見ています。そこで気づいたことは、デジタルではない昔のアニメの質が非常に高いということ。
どの作品も中身が濃いなって思う。話の内容とかも関係してるだろうけど。
ともあれ、「ルパン三世」のシリーズを制覇してみようかな~と思います(笑)。
アニメに兄様が出てくるまでは五ェ門に癒してもらおうと思います(笑)。
自分は、色んな人に支えられているんだと思うこの頃。
その皆に、ありがとうを伝えたいなぁって。
やばい時は、優しさを受けることに罪悪感を覚えて、自己嫌悪上等って感じだけど、今は素直に感謝出来る。
その人たちの思いに応える為に、無論ボク自身の為に、成し遂げなきゃいけないことがある。
だから、
眼に力を。
声に力を。
声に心を。
声に魅力を。
自分には、心の強さを。
ボクがボクである以上、生きることを避けられないなら、せめて、それだけは手に入れたい。
最期で後悔はしたくないんだ。
今日は随分疲れたなあ・・・幸村です。
清清しい秋晴れだった今日、この上ない自転車日和でした。
そんな訳で、自転車に乗って10キロくらい離れたモールへ行ってきました。十三時半頃に家を出たのでゆっくりはできませんでしたが・・・。それなりに収穫はありました。
そのモールに行くと必ず寄る和物の御店と雑貨屋にて、コースターと御箸、それとタンブラーを購入。
御箸は持ち歩き用にします。
ずっとずっと持ち歩く為の御箸を探してはいたんですが、中々気に入るものがなかった。が、しかし!今日は何と一目惚れくんに出逢いました★
蜻蛉玉をあしらった御箸!玉はポップな彩色です。何とも小粋な御箸です(笑)。
ああ~、この一膳に出逢う為に今までビビッとくるものがなかったんだわ・・・vv頷けます、はい。
しかし、まだ持ち歩けない問題が・・・。
それは、箸入れがないということ(致命的)。
御豆さんや茄子柄の箸入れがあったのですが、長さが合いませんでした。今日買った御箸はちょいと長めなのです。←長めの御箸スキスキv
その和物専門店で思ったのは、どうやら最近、びーどろや蜻蛉玉をあしらったものが流行っているらしいということ。タンブラーも箸も蜻蛉玉で飾りつけされていました。
硝子細工を用いたデザインだなんて、斬新だな~と感心。色合いも落ち着いていて、幸村の御箸フェチ(?)ハートに火をつけたのでした。ズキューン!って撃ち抜かれたしね(笑)。
・・・・・。
ズキューン!と言えばね、奥さん・・・(何だ突然)。
話が逸れますが、一月程前、電車に乗っていた時のこと。向かいに座っっていた女子高生がファッションの話をしていました。(皆御洒落さんだよな~。自分は未だに疎いのよね・・・そういう類。)
会話が耳に入って、幸村は驚いた。
「よな~!?あれ本間一目惚れしたわ。もう、一気にズキューン!って」(ここで彼女はクラッときた時のポーズをいれていた)
「うんうん!!」(ぶんぶんと首肯するもう一人の女子高生)
・・・Σ(○_○ )!?
お嬢さん、今何て・・・?
・・・ズキューン・・・?
幸村は、人知れず戦慄いていたので御座います(これホントの話)。
彼女たちがウサミミ仮面を知っているいないではなく、「ズキューン!」が女子高生の会話に出てくるということを知って吃驚したの。
そんなにメジャーな言葉なんだ?←知らなかった。
いえいえ、ズキューン!って言葉は知っていましたとも。しかしそんな・・・ねえ?!日常会話でサラッと出てくる言葉だとは思っていなかった。
幸村は只今、ズキューン!過敏症。
本日の話に戻しますが・・・。
洋服も見て回りましたが、ビビッとくるものがなくて収穫はゼロ。まあ、モールに行ったのも買い物の為じゃなくてサイクリングついでだったので構わないのですが。
それにしても、すっかり冬物になっていて驚いた(笑)。
だって都合と理由から、七月頃に足を運んだのを最後にそういう御店にはいってなかったんだもん。あの頃はまだ夏物が店内を飾り立てていたのに・・・。季節が変わった事を人口物でも実感した日です。
んー・・・でもさあ、ずっと思ってることなんだけど、どの御店も似たり寄ったりのデザインばっかりだよね。何処で買っても然したる違いがない気がする・・・。生地の良し悪しはあるでしょうが、傾向は皆同じ。
モールとか行くと何時も、「日本人ってこんなんかー・・・」と思います。皆、流行が好きだよね。街中の人をみてると、ファッション誌を見てなくても何が載っているのか分かるもん。
何年か前に二、三ヶ月くらい雑誌を買いましたが、どの月も同じようなものばかりですぐに飽きてしまいました。それ以来、全く手にしていません。でも、人を観察していると何がどう流行っているのかは一目瞭然なので(笑)困らないかな。
それに、自分は流行りを敢えて避けるから(笑)。アンチですアンチ(笑)。
一切を受け入れない訳じゃないよ?本当にいいと思ったら身につけることもある。でも、流行だからって理由で手にすることは先ず無い。
でもさ、聞いて!!
ワタシは小さい頃からネクタイが大好きで、カッターシャツにネクタイ締めてズボンってスタイルよくしてたのね。つい数ヶ月前までは男物でやや細身のネクタイとかを探すのは至難だったの!!
なのに、今、ネクタイが流行ってるでしょ?今までなかったレディースが並んでたりするのよね。(すごい力だよな、流行って・・・。)
御店に行ってネクタイ見てると(レディースは色々五月蠅いから相変わらず紳士用を見ている幸村)店員さんに声を掛けられます。
「どなたかに、プレゼントですか?」
「あ、いえ。自分のを」
「あら、そうなんですか。今流行ってますもんね」
今、 流 行 っ て ま す も ん ね
今流行ってますもんね!?(怒号)
この一言で、いつも切れる幸村。笑ってるよ?笑ってるよ?愛想振り撒いてるよ?でも内心には業火の炎が・・・!!(笑)。
オレは昔からネクタイ愛好家なんだっつーの!!!
流行っているから買う。流行っているから見る。
この考えが大抵の人にはあるようです。
一緒くたにされることに虫唾が走る幸村・・・返事を濁してネクタイを物色。
オレは元々ネクタイ野郎なんだぞぉ~(何だか悔しい思いをしている)。
一体何時まで続くのかなあ・・・ネクタイのブーム。
日本人は、
流行を追い駆けているように見えるけど、乗り遅れることに対する恐怖に駆り立てられているだけだと思います。
皆と一緒じゃなきゃ不安とか、皆がやってるから自分もそうしたい、とか。国民性っていえばそうなのかもしれませんが・・・そこに個性はないよね。
自分らしさは見てくれに出るとは言いませんが、皆同じ格好だと「らしさ」が蔑ろにされているような印象をうけます。
でも、本当に自分を見つめている人たちは、流行を取り入れつつ自身のスタイルを確立なさっているように思います。そういう本当に御洒落な方って、一目で分かるよね。
自分もそんな感じで、自己のテイストを大事にする人間の一人になれるよう、自己研究を怠らずにいこうぜ!
拍手、有難うございます!
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
なんだかなあ・・・幸村です。
最近始まったことではありませんが、色々と問題が多くて疲れてます。精神的に。他人によるものでは無く、大方自身の精神状態の在り様が原因なのですが。
何かをするにはそれなりのやる気・意識が必要です。それは、朝目覚めて布団の中から体を起こすだけにも言えます。
「起きよう」
この気持ちが無ければ起きられません。何の問題も無く体を起こせる人でも、気にしていないだけでその意識はある筈です。
食事を摂るのも御腹が空くだけじゃ食べはしません。
「食べよう」
と思えるから、自分で作ったり外食したり、形はどうあれ、ちゃんと口にものを運ぶんです。
何かをしようと思えるのは当たり前のことじゃない。
まして、それを行動に移すのは、簡単なことじゃない。
ワタシには、一つ一つが重い。強く意識しなければ思えないし、思ったところで行動と結びつかない。
だから、「これをしよう」「あれをしよう」と、当然のように支障なく毎日を過ごされている方々がすごいと思います。本当に羨ましいです。
自分は朝眼が覚めて体を起こすことも、一日のうち一度でも食事を摂る事も、それらをしようと思うだけで疲れます。はは・・・(眼が笑ってない)。
そして行動に移せないことが多々あります。
自分でコントロールが出来ないって、すごく辛いです。
「やらなきゃいけない」「やりたい」と思っても、体がついていかない。
精神と行動意識が統一されていない所為で自分の思うように行動出来ない時があります。
そこから色々問題が出てきて、
行き着く所は、生きている・生きていくことに対する無関心無感動、そして執着心の喪失。
もう長い付き合いなので今更ですが、最近はどうも深みを増したようで・・・(ほんと頼むからやめてくれ)。
喪失云々の中でボクが恐れるのは、感情が消えていくことです。
ある瞬間に「あれ?」って気づく。
「・・・何も感じてないな」って。
その時になって初めて「ヤバイ」と思う。
「結構危ないな~」なんて思う自分と、「まあいいか」と他人事のように感じている自分がいたりする。危ないとか思ってても、それ程深刻に捉えていない時点で後者が大きいことが分かります。
そして何より、この時の自分の二極性に言い得ぬ恐怖を感じます。二極化してるってのがはっきり分かるのは、それらを分析している第三者が存在してるからです。気持ち悪い程客観的で、自身に無関心な人間が明らかに自分の中で存在する。
三つに分かれる自分が酷く恐ろしいです。
あと、感情の喪失と共に顔から表情も消えていきます。
能面みたいになるの。正に兄様化ですよ!(ぃや・・・冗談言ってる場合じゃないんだけどさ)。
先ず、笑えなくなるの。何も感じなくなるにつれて笑顔が作れなくなる。
うーん何て言えばいいのかな。
心がね・・・蒸発していくっていうのかな。
まあるい半透明のものが心だとすると、周囲からどんどん消えていく。全体的に薄くなっていって、もう意識の手でも触れられなくなる。キラキラした小さな欠片が丸いものから蒸発していくように離れていく。音はしない。
そうして段々、心と言う名のまあるい半透明のものは人の中から姿を消すの。
「人間って、こうやって心が死んでいくんだな~」なんて思う。
ドラマや劇画で心が「壊れる」表現がありますが(硝子が割れたりする演出とか)、感情を支配する心の崩壊であれば、あの表現は間違いだな、と思います。
白哉兄様のことを(愛を籠めて)何だかんだ言ってる幸村ですが、症状がヤバイときは本当に顔が動きません。
誰かと居る時は、無意識に明るく振舞う癖があるので元気です(もうそんな自分に愛想を尽かしてしまった)。よく笑ってると思う(うまくいっていれば)。
一人になったらすごい沈み様です。今だって顔に感情の色がないものね(笑)。← 笑 って書いてても顔は無表情だったりする。文章と自分の表情は完全に剥離されてます;
そんな風に自分で意識出来ているだけ、まだましなのでしょうけれど。
自分やその他のことで何かと疲れたときは特に、しかし普段からでも、
「何も感じない、何も聞こえない、光とか闇とかそんな概念もない場所があれば、きっと気が楽になるんだ・・・」と思うことがあります。そこには最早、生きる生きないなんて問題もないだろうし。
こういうの、現実逃避っていうんですかね。
よく分かりませんけど。
暗い話題ですみません;
二時間ゾクゾクしっ放しでした幸村です。
今、テレビ番組のアンビリーバボーで
「ソウルメイト」
という話が出ていましたね。
前世から、魂の絆で繋がっている人同士の事をいうのだそうです。
実はワタシ、出逢ってます。ソウルメイトと。
いや、何の冗談でもありません。だから「ソウルメイト」というものがあるって出た瞬間、ゾクッとしましたよ!
「ワタシたち、前世は双子の姉妹だったね」
って言い合ってる親友がいるんです。
すごいんですよ、本当に。御互いの考えや感性が一致するのは当然というか。言い方が悪いけど、気持ち悪いくらいに同じなの。何か言い表せない感覚になるの。一緒にいると。落ち着くというか。
何もない筈はないって想い続けてきてたんですけど、そうか、ソウルメイトなんだ~。それで全部説明出来そうだ。
彼女とは小学生の頃にヴァイオリンのレッスンで出逢ってたんです。その時は、順番が前後のレッスン仲間、友達っていう感じで、月に一度の合同レッスンの時もずっと一緒にいる訳ではなかった。お互い、他の友達と一緒にいる方が多かったかな?
何年もしてから色んな事情で、レッスンで逢えなくなったんですね。
それから、文通をするようになったんです。どちらから始めたのか、何がきっかけだったのかはワタシは何も覚えていませんが、今も続いてる文通です。
そこで、どんどん御互いの共通点が湧き上がってきました。
運命だ・・・と思いました。
無論、毎日逢っている学校の友達にも親友は居ます。毎日逢っていて、じっくり話もしていれば、親友となれる確率は高いと思います。
しかし、この文通の彼女、実はレッスンで逢えなくなってから一度もあってなかったんです。
んー・・・逢えなくなってからあの音楽会までだから、何年くらい空いてたのかなあ。もう覚えてませんが・・・。
その間、ずっと文通だけでした。
電話もしてなかったし、携帯電話なんてなかったし。
だからこそ、分かったことが多かったかな。
更に言うと、音楽会から今日まで、彼女と逢ったのは・・・二回・・・?
あ、ホントに二回だ・・・。←自分でも吃驚。
違う?二回だよね多分。一昨年ライブで逢ったのと、去年家に来てくれたのと。
音楽会から一昨年のライブまで、一回も逢ってなかったとすると、ざっと考えて五年・・・。五年逢ってなかったのか・・・。
でも、昨日も逢ったような、毎日逢ってるような感じなの。何時逢っても、時間と場所の隔たりを感じない。
人生で出逢える人の数なんて、たかが知れてると思います。その中で、早々にこんなに大切な友人と逢えたのは、運命としか言えない。
出逢うべくして出逢った。
「前世で双子だった」ということがどうこうではありません。そんなの、カウンセリングしてもらうと、全く違う結果が出るかもしれない。
ただ、前世からの絆を持った人が各人に居るという話を聞いて、真っ先に浮かんだのが彼女だった。
何て言えばいいのかな~・・・(>_<) 本当に、「運命だ!」って思える人なの!
「片割れ」って言う言葉がありますが、正にそれなんです。彼女は自分の一部なんじゃないかって思う。分身というか、生き別れた何かというか。
逆に、自分は彼女の片割れなのかな~とも思います。
友情云々ではない付き合いです。
魂そのものを分かち合った存在。
二人といない、特別な友人です。
ソウルメイトって、すごく素敵な表現ですよね。
金木犀の匂いで心の底から幸せになれる幸村です。
一昨日、掻い摘んで書きましたが本日はきちんと書きましょう。
十月八日、仕事。
早朝、電車を待つ駅のホームに立つ。
風の吹き抜ける清清しい秋の朝です。天気も良く、風を感じていると匂いが。
ふわっと香ったのは、金木犀。
一呼吸するのももどかしくなります。もっと、金木犀の香りを吸い込みたいんです。淡く大気に溶け込んだ匂いは、吸い込むと体中に染渡ります。しかし、もっとその香りを味わいたくなる為、一つ息を吐く時間さえ長く感じてしまう。
電車がくるまでの数分、ずっと深呼吸をしていました。
一駅乗って、電車を乗り換えます。
降りた駅の向かいは神社がある山。そこにも、金木犀が群生しているようです。降り立った瞬間、幸村を撫ぜた風にもあの芳香が乗っていました。
電車が来るまで十分程度の余裕があるため、存分にこの季節の香りに浸ることが出来ました。
仕事を終えて帰りの電車に揺られつつ、秋晴れの空を眺めてぼんやりしていました。
その日は、二つの台風と秋雨前線が合体した所為で幾分風も強く、扉が開くなり夏の名残のない秋らしい風が吹き込んできました。
そして、冒頭に出てきた駅で降ります。
風が向ってくる時、幸村には一つ癖があります。
胸いっぱいに、吸い込む癖が。
扉が開いて肩に掛かった髪が流された瞬間、幸村はホームに靴を降ろしながら全身で風を吸い込みました。乾ききっていない優しい感触の、秋の風です。確かに普段より随分強かったけど・・・。気持ちのいい風です。
吸い込んだ途端、歓声を漏らしてしまいました。
駅のホームが、金木犀に包まれている!
「すごい!金木犀の香りだ!」
駅の直ぐ下の車道に沿って、幾本かの金木犀が植えられいます。
その子たちが、朝広げていなかった花を広げ、より芳醇な香りを漂わせていたんです!ほんっとにすごかった!!
しかも、これだけ風が強いにも関わらず。
幸せだったなあ・・・。
そして、その日の内にノーインターネットの地へ赴いた幸村。
坂を上った正面に、大きな金木犀の木。
その直ぐ傍の角を曲がったところに、金木犀の木。
数十歩歩いたところ泊まった家の正面に、金木犀の木。
直ぐ隣に、屋根より高い?金木犀の木。
はっきり言って、金木犀だらけです。
今挙げた数本以外にもあります。
だから、ですよ!
一昨日、窓を開けていると家中金木犀の香りに満たされたのは。
窓の外は
「そんなにあったら、臭くないの?」と思われるかもしれませんが、全くそんなことはありません。こんなに木が沢山あって金木犀だらけなのに、くどくないの。
寧ろ、足りない足りないと胸を焦がすことなく味わえる。幸村にとっては丁度いい濃さでした。
そして気づいたのは、金木犀の香りは日と共にあるということ。
朝、早すぎる時間にその香りはしません。
御日様が昇って、徐々に空気が温まると少しづつ匂ってくる。
南中を迎える前後になると空気の色がオレンジになります。それくらい匂いが大気に溶け込んでくる。
日が傾き、昼と夜の間の時間になると、段々匂いも納まっていく。
こんなにめいっぱい金木犀と戯れたのは、一体何年ぶりでしょう。
一日中、彼女達に包まれる生活は本当に夢のようでした。
いつもの家に帰ってみると、散ったと思っていた金木犀たちがまだ未開花だった花を開かせ、専ら金木犀浴の毎日(笑)。
先日の名月の夜も、夜風がほんのり香りを届けてくれました。
その日から毎晩、月を見上げて風にも酔う幸村です。
ノー インターネット生活再来幸村です。
こんなに話したいことがある日に限って・・!!また後日たんまり語りましょうぞ。今日ははしょって書いとこう。
ああ~・・幸せ・・。
家中、金木犀の香りで満ちております。窓から入ってくる風は金木犀の風。まるで金木犀の花花がそのまま流れ込んでくるかのような芳香・・。
金木犀の匂いを嗅ぎ過ぎて鼻が麻痺しても構やしないよあたしゃ~・・。
ほんっとにいい匂い!!
でも今いる家の周辺、実はまだ開花してません。咲いたらもっといい匂いだろうな~。
三度テンプレートを変更致しました幸村です。
だって今日、新しいのが出来てて、しかもしかも、ハローウィンなんだもの!!
「もうすぐ冬だから、白と蒼にしよう」と思って昨日までのにしていたんですが、こんなに時節にのったものが出てきたら乗り換えたくなっちゃった。
飽き性ですけど、昨日までのは自分ですんごく気に入っていたし、全然飽きてなかったんだけどね。やっぱり秋をすっとばしちゃってるから、ここいらでイベントっぽく(笑)。せめて気分だけでも、ね?!ね?!!
プラグインは手抜きです(苦笑)。並び替えただけだしね。ハローウィンまでは一月もないから、昨日までのテンプレートにまたすぐ戻れるようにしたの。だからやや手荒です。まあ、こういうのもたまにはいいかと(笑)。
今、BLEACHの#57から#58をリピートしています。
はあ・・・素敵・・・。何だか懐かしいわね~。この御話が放映されてからもうすぐ一年経つのかな?
早いね!!
時間があれよあれよと言う間に過ぎてゆく~。そして同時に齢を重ねている~・・・。
・・・・・・。
言わない方がよかったね・・・・。当然なんだし仕方ないんだし・・・。
歳を得れば得ただけ、魅力的な人になりたいよね。
年をとっただけの子供にはなりたくないもん。
兄様はさ、やっぱりそれなりに長い年月を経てきたからあんな風にいられるのかね。いや、彼は生まれついた環境が特殊だもんなあ。「一般的」とは言えないもんね。色んな苦労があっただろう事は想像に難くないなあ。
苦難の数に比例して、人の深みが増すのは観ていれば分かりますよね。芸能人と呼ばれる方々にせよ、自分が尊敬している人達にせよ、乗り越えてきた人って輝きが違うもん。
眼の力も違う。
きっと面と向って相対すれば、自分とは随分と持っている光が違うと思うの。
負けたくないじゃない、そういう素敵な人達に。
だから自分もへばってばかりじゃいられないんだよね。
今の状況のままでは危ないと御医者様にも言われたし・・・。いえいえ、命に関わる事ではないのですよ?まあ、でもそれなりに良くない状況(苦笑)。
負けてなんかいられない!!
置鮎の兄貴や甲斐田の姉さんみたいに、
毎日テンション高く!
毎日感謝を絶やさず!
自分を下手に抑え込まないで、流れる月影のような柔らかい想いで生きていければいいな。
不安なことは沢山あるけど、心が沁み亘る毎日になればいい。
そういう生活が基本にあってこそ、成長していく余裕が生まれるんだろうし。
よーし、がんばるゾ!
窓から流れてくる冷気に、冬の近さを覚える幸村です。
まだ秋だよ?!そうですよ。まだまだ秋ですとも。曼殊沙華だってやっと群生して咲き揃ったばかりだし、金木犀だってまだ言う程咲いてないのに・・・。
何だか一気に冬が来そうな予感がしています。
寒さの中にいると、苛々しっ放しなんですワタシ。だからこれからの季節はCaが不足し易いんだきっと・・・。
ここ数日、気が立っているのか非常に愚痴っぽい幸村。
blog内容も何だか低俗です。
八月の一ヶ月を挿んでから、記事内容の質が落ちました。執筆に掛けてる時間自体随分違うから当然と言えば当然なんですが。
生活から改めねばと思っているんですけれど、毎度のこと、思うに止まっていたりします。
自身の中身のなさにほとほと呆れてきました・・・。
どうすればいいのかなあ。
色々と悩んでみたり考えてみたりしても、いつも行き着く所は同じです。だから、分からないんじゃなくて、分かってないんじゃなくて、ただボクに、覚悟と実行力が無いだけなんです。
どう転んだって、自分には「今」という時制しか無いんだもの。
先の事を願うのも、過ぎたことを悔やむのも、必要ではあるけれど、一番大切なのはこの瞬間だと思います。いつもいつも自分でそう言ってる癖に、何も変わらない。
自分に出来る事も自分にしか出来ない事も、「今」を蔑ろにして生きていては、その先で出来る筈だった力を手に出来ず、
非力な、無力な人間になるだけ。
でも実際、頭で幾ら認識していようと理解出来ていなければ行動には移せない。呑み込まないと動けないんです、ボクは。
言い聞かせるという便利な手を持たないようでして。
この二年間でそれが顕著に出ちゃったんだよね・・・。だからこうして今だって煮え切らずに愚図愚図してるんです。自分が自分に愛想を尽かすなんて人生そうそうありますまい・・・。
これも経験なのかな。
やるかやらないかの二択しか無い世界で、ボクのように覚悟を持たず宙ぶらりんの状態で生きていると、結構疲れます。
何とかしたいという中途半端な意思がありますから、「腐敗した水の中で浸かっているだけ」というのは許せない。その癖 Yes, No を決められない。
ううーん。決められないことはないですね。
自分の中じゃ、自分にとって正しい道を既に選んでいるんです。
誰かにそれを正当化して貰えるのを待っているだけなんですよ、きっと。ただ、逃げてるだけなんだ。
自分が一番その暗い部分を知っているから、自身の腐り加減に対して余計に嫌気が差してくる。ほんっとに悪循環なんだもの。
手がつけられん!
ううー・・・何が悪いんだろう。
意気地の無さ?
ははっ。弛んでるだけです。
本気になったことがないから余計に。眼の色を変えて取り組めるもの、無かったからなあ。
でもね、思うの。あったとしても、ボクはきっと必死にはなれなかっただろうなーって。ならなかっただろうなーって。
何時だって、自分と相対するものには一歩の距離を置くボクは、それ以上の進入を許さない。人にもモノにも言えることみたい。
何が怖いのか知らないけど、踏み込まれるのも踏み込むのも拒絶する。相手が足を進めるとみると、直ぐに自分は同じ距離だけ足を退く。自分から踏み出すことは、先ず無い。
結局、中途半端で逃げ出すのがオチだったりする。今まで何度もあったしね。そして同時に「本気になろうとしない自分」が常に中に在る。
客観的に自分を見てる第三者的なボクは、幼い頃からこの上なく冷めていて、全てに於いて無関心。そして、いつも相手に疑心を抱いている。休まる時が無いくらい、人に対して不安を抱いている。
相手を信じられないのは、皆同じなのにね。
自分しか分からないんだもん。誰も真理は分からない。色んな特殊な能力をもつ人達もいるけれど、大半は心を読めない人だと思うし・・・。
だから、ボク一人がそうある訳では無い筈なんだけど・・・でもさ、皆同じだからって、何の慰めにもならないじゃない。
そんな事で「はい。そうですね」って言って話が納まるなら、こんなに苦しんでないよ・・・。
日本人の特徴として挙げられる「皆がそうだから、自分もそうあれば安心」ってやつ、ボクは該当しないから。
こういう悩みって、これからもずっと付き合っていかなきゃいけない気がするよ・・・。堂々巡りなんだもの・・・。
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