幸村が気侭に綴るblog。 及川光博氏のメッセージ性・自己実現への姿勢を見習う日々。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
窓から流れてくる冷気に、冬の近さを覚える幸村です。
まだ秋だよ?!そうですよ。まだまだ秋ですとも。曼殊沙華だってやっと群生して咲き揃ったばかりだし、金木犀だってまだ言う程咲いてないのに・・・。
何だか一気に冬が来そうな予感がしています。
寒さの中にいると、苛々しっ放しなんですワタシ。だからこれからの季節はCaが不足し易いんだきっと・・・。
ここ数日、気が立っているのか非常に愚痴っぽい幸村。
blog内容も何だか低俗です。
八月の一ヶ月を挿んでから、記事内容の質が落ちました。執筆に掛けてる時間自体随分違うから当然と言えば当然なんですが。
生活から改めねばと思っているんですけれど、毎度のこと、思うに止まっていたりします。
自身の中身のなさにほとほと呆れてきました・・・。
どうすればいいのかなあ。
色々と悩んでみたり考えてみたりしても、いつも行き着く所は同じです。だから、分からないんじゃなくて、分かってないんじゃなくて、ただボクに、覚悟と実行力が無いだけなんです。
どう転んだって、自分には「今」という時制しか無いんだもの。
先の事を願うのも、過ぎたことを悔やむのも、必要ではあるけれど、一番大切なのはこの瞬間だと思います。いつもいつも自分でそう言ってる癖に、何も変わらない。
自分に出来る事も自分にしか出来ない事も、「今」を蔑ろにして生きていては、その先で出来る筈だった力を手に出来ず、
非力な、無力な人間になるだけ。
でも実際、頭で幾ら認識していようと理解出来ていなければ行動には移せない。呑み込まないと動けないんです、ボクは。
言い聞かせるという便利な手を持たないようでして。
この二年間でそれが顕著に出ちゃったんだよね・・・。だからこうして今だって煮え切らずに愚図愚図してるんです。自分が自分に愛想を尽かすなんて人生そうそうありますまい・・・。
これも経験なのかな。
やるかやらないかの二択しか無い世界で、ボクのように覚悟を持たず宙ぶらりんの状態で生きていると、結構疲れます。
何とかしたいという中途半端な意思がありますから、「腐敗した水の中で浸かっているだけ」というのは許せない。その癖 Yes, No を決められない。
ううーん。決められないことはないですね。
自分の中じゃ、自分にとって正しい道を既に選んでいるんです。
誰かにそれを正当化して貰えるのを待っているだけなんですよ、きっと。ただ、逃げてるだけなんだ。
自分が一番その暗い部分を知っているから、自身の腐り加減に対して余計に嫌気が差してくる。ほんっとに悪循環なんだもの。
手がつけられん!
ううー・・・何が悪いんだろう。
意気地の無さ?
ははっ。弛んでるだけです。
本気になったことがないから余計に。眼の色を変えて取り組めるもの、無かったからなあ。
でもね、思うの。あったとしても、ボクはきっと必死にはなれなかっただろうなーって。ならなかっただろうなーって。
何時だって、自分と相対するものには一歩の距離を置くボクは、それ以上の進入を許さない。人にもモノにも言えることみたい。
何が怖いのか知らないけど、踏み込まれるのも踏み込むのも拒絶する。相手が足を進めるとみると、直ぐに自分は同じ距離だけ足を退く。自分から踏み出すことは、先ず無い。
結局、中途半端で逃げ出すのがオチだったりする。今まで何度もあったしね。そして同時に「本気になろうとしない自分」が常に中に在る。
客観的に自分を見てる第三者的なボクは、幼い頃からこの上なく冷めていて、全てに於いて無関心。そして、いつも相手に疑心を抱いている。休まる時が無いくらい、人に対して不安を抱いている。
相手を信じられないのは、皆同じなのにね。
自分しか分からないんだもん。誰も真理は分からない。色んな特殊な能力をもつ人達もいるけれど、大半は心を読めない人だと思うし・・・。
だから、ボク一人がそうある訳では無い筈なんだけど・・・でもさ、皆同じだからって、何の慰めにもならないじゃない。
そんな事で「はい。そうですね」って言って話が納まるなら、こんなに苦しんでないよ・・・。
日本人の特徴として挙げられる「皆がそうだから、自分もそうあれば安心」ってやつ、ボクは該当しないから。
こういう悩みって、これからもずっと付き合っていかなきゃいけない気がするよ・・・。堂々巡りなんだもの・・・。
拍手、ポチッとありがとうございます!!
窓から流れてくる冷気に、冬の近さを覚える幸村です。
まだ秋だよ?!そうですよ。まだまだ秋ですとも。曼殊沙華だってやっと群生して咲き揃ったばかりだし、金木犀だってまだ言う程咲いてないのに・・・。
何だか一気に冬が来そうな予感がしています。
寒さの中にいると、苛々しっ放しなんですワタシ。だからこれからの季節はCaが不足し易いんだきっと・・・。
ここ数日、気が立っているのか非常に愚痴っぽい幸村。
blog内容も何だか低俗です。
八月の一ヶ月を挿んでから、記事内容の質が落ちました。執筆に掛けてる時間自体随分違うから当然と言えば当然なんですが。
生活から改めねばと思っているんですけれど、毎度のこと、思うに止まっていたりします。
自身の中身のなさにほとほと呆れてきました・・・。
どうすればいいのかなあ。
色々と悩んでみたり考えてみたりしても、いつも行き着く所は同じです。だから、分からないんじゃなくて、分かってないんじゃなくて、ただボクに、覚悟と実行力が無いだけなんです。
どう転んだって、自分には「今」という時制しか無いんだもの。
先の事を願うのも、過ぎたことを悔やむのも、必要ではあるけれど、一番大切なのはこの瞬間だと思います。いつもいつも自分でそう言ってる癖に、何も変わらない。
自分に出来る事も自分にしか出来ない事も、「今」を蔑ろにして生きていては、その先で出来る筈だった力を手に出来ず、
非力な、無力な人間になるだけ。
でも実際、頭で幾ら認識していようと理解出来ていなければ行動には移せない。呑み込まないと動けないんです、ボクは。
言い聞かせるという便利な手を持たないようでして。
この二年間でそれが顕著に出ちゃったんだよね・・・。だからこうして今だって煮え切らずに愚図愚図してるんです。自分が自分に愛想を尽かすなんて人生そうそうありますまい・・・。
これも経験なのかな。
やるかやらないかの二択しか無い世界で、ボクのように覚悟を持たず宙ぶらりんの状態で生きていると、結構疲れます。
何とかしたいという中途半端な意思がありますから、「腐敗した水の中で浸かっているだけ」というのは許せない。その癖 Yes, No を決められない。
ううーん。決められないことはないですね。
自分の中じゃ、自分にとって正しい道を既に選んでいるんです。
誰かにそれを正当化して貰えるのを待っているだけなんですよ、きっと。ただ、逃げてるだけなんだ。
自分が一番その暗い部分を知っているから、自身の腐り加減に対して余計に嫌気が差してくる。ほんっとに悪循環なんだもの。
手がつけられん!
ううー・・・何が悪いんだろう。
意気地の無さ?
ははっ。弛んでるだけです。
本気になったことがないから余計に。眼の色を変えて取り組めるもの、無かったからなあ。
でもね、思うの。あったとしても、ボクはきっと必死にはなれなかっただろうなーって。ならなかっただろうなーって。
何時だって、自分と相対するものには一歩の距離を置くボクは、それ以上の進入を許さない。人にもモノにも言えることみたい。
何が怖いのか知らないけど、踏み込まれるのも踏み込むのも拒絶する。相手が足を進めるとみると、直ぐに自分は同じ距離だけ足を退く。自分から踏み出すことは、先ず無い。
結局、中途半端で逃げ出すのがオチだったりする。今まで何度もあったしね。そして同時に「本気になろうとしない自分」が常に中に在る。
客観的に自分を見てる第三者的なボクは、幼い頃からこの上なく冷めていて、全てに於いて無関心。そして、いつも相手に疑心を抱いている。休まる時が無いくらい、人に対して不安を抱いている。
相手を信じられないのは、皆同じなのにね。
自分しか分からないんだもん。誰も真理は分からない。色んな特殊な能力をもつ人達もいるけれど、大半は心を読めない人だと思うし・・・。
だから、ボク一人がそうある訳では無い筈なんだけど・・・でもさ、皆同じだからって、何の慰めにもならないじゃない。
そんな事で「はい。そうですね」って言って話が納まるなら、こんなに苦しんでないよ・・・。
日本人の特徴として挙げられる「皆がそうだから、自分もそうあれば安心」ってやつ、ボクは該当しないから。
こういう悩みって、これからもずっと付き合っていかなきゃいけない気がするよ・・・。堂々巡りなんだもの・・・。
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プロフィール
HN:
幸村玖月
HP:
性別:
非公開
趣味:
ストレッチ。歌。シャドーイング。
自己紹介:
≪座右の銘≫
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
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2012年7月からがベイベー記事。
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