幸村が気侭に綴るblog。 及川光博氏のメッセージ性・自己実現への姿勢を見習う日々。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
御無沙汰してます、幸村です。
生きてます。(取敢えず報告)
先日、二週間に一度の御医者様にも行きました。
新たな乗り継ぎ方法を知り、通院も幾分楽になったので嬉しいです。
人の数が劇的に違うので、疲れ方が天と地です。
御医者様いわく、経過は良好・・・なようです。
この前までは何とも言えなさそうだったんだけど(苦笑)。
うーん、しかし・・・一体いつまで続くんだろう・・・。
初診ではっきり言われた分、心構えは出来てるつもりだったけど、こうなってくるとやっぱり不安・・・。
良好とは言え、今のところ目処が無いので;
ここのところ、「ホントに治るのかな・・・」と、昼夜問わず弱気になりがちです。
まっ、悩んでも仕方の無い事なのですがねー。なるようにしかなら無いんだもの。
この世界に「在る」とされているものは、何時どうなるか分からないんだもんね。
明日が来る保障だって何処にも無い。「絶対にくる」なんて、誰にも証明出来ない。
何もかもが定まらない世界である以上、何を用いようと「先の証明」は不可能です。
宇宙の気紛れで、あと数分後にその空間自体が消滅するかもしれない。そんな可能性だって否定は出来ない。
「絶対」は無い。
特に「先をみる」という行為は、人間は勿論、存在し得るものたちの手に負えるものではありません。
だから、自分も含めて未来を気に掛けることは掛けるだけ骨折り損のくたびれ儲けでしょうよ。
・・・こんなこと言ったって、飲み込んじゃいねーからどーせまた悩むのがオチなんだけどさ。
少し話が逸れますが・・・。
「ヒトなら出来る」とか「ヒトは偉い」「ヒトは他の動物とは違う(←排他的なニュアンスで用いられている)」なんて言いたそうなものをよく眼、耳にしますが、それはただの驕りです。
人間は大して他の生き物と相違はないんだもの。
思考能力が抜きん出ていることは確かだけど、それが「偉い」ことは無関係です。直立二足歩行が出来ること、ものが使えることが「偉い」とはいえない。
たまたまヒトの進化の過程でそうなっただけで、四本足で歩いたって二本足で歩いたって、歩いていることに変わりは無く、そこに存在価値・種族の価値等の基準を見ようとすることは根本的に誤っています。
ものを自由に扱えることは、確かにすごいことだと思う。けれども、それが他の動物達を卑下する言いがかりには出来ない。
これだって進化したらそうなっただけなんだもんね。
生物の歴史、宇宙の脈絡が違えられていれば、ヒトではなく、もっと違う生き物にそういう能力が備わっていたかもしれない。
そもそも地位だとか言って動物に優劣をつけること自体、おかしい。この時点でヒトは他の動物を自分の足に敷いていることになります。
何も上下関係なんて無いのに、ヒトだって同一線上にいるのに、どうして他の動物の評価が出来るの?
評価を下すということは、相手の価値をはかるということです。
はかるものと、はかられるものとの間には、位置関係が存在する筈です。
ヒトは、そんなこと出来る存在ではありませんよ?
この話、奥が深い分こんなところにぺラッと書けるものではありませんので今夜は適当なところで留め置きますが・・・。
つくづく悲観的になってしまう自分が憎いですね・・・。
上に関係していることでもありますが、そういった
「思い違いもいいとこだな、おい」というヒトが増えてきていると思います。
「人間様」中心の世界だ という世界の見方が然も当然となっている状況が、眼に余ります。
自分の周りに限らず、メディアから垂れ流されているものにも見られることですし。
「そんな事、考えたこともない。(人間のものだなんて思ったことなんてないよ)」と、顔の前で片手をひらひらさせるヒトほど、危なかったり。
そんなこんな、不安要素たっぷりの世界。
それはそれで割り切って、楽しまないと勿体無い。
泣いても笑っても、人生は人生であり、人の一生には変わりないんですから。
確実に、終結に向っているのは誰しも同じだしね。
笑顔が一度でも多い人生に出来るといいな。
プロフィール
HN:
幸村玖月
HP:
性別:
非公開
趣味:
ストレッチ。歌。シャドーイング。
自己紹介:
≪座右の銘≫
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
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2012年7月からがベイベー記事。
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