幸村が気侭に綴るblog。 及川光博氏のメッセージ性・自己実現への姿勢を見習う日々。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
一冊の本に育てられてきた幸村です。
今日の記事は白哉さんじゃあございやせん。
長きに亘り母親から「読め読め」と言われ続けている、とある方の著書についてです。
昨夜突然思い立ち、某古本屋へ人力二輪車を漕いで向いました。そうですね、片道約20分程度です。大した距離じゃあございません。
幸村にとって半径10キロメートルは、自転車での行動範囲。片道20分なら大体7~8キロといったところでしょうか。
しかし流石にこの時節。真夜中のくせに体に触れる風を始めその瞬間の大気自体が兎に角生温かい。温かい・・というより、やたらと湿度と温度の高い風呂に入っている感じです。ともすると息苦しい。家の外にいるのに心持ちがよろしくないなんて久しぶりでした。
まあ、何はともあれ目的地に到着。
脇目も振らず講談社現代新書シリーズが陳列されている棚へ向います。
タイトルは「愛に生きる」
著者はスズキ・メソードの創始者「鈴木鎮一」先生です。
スズキ・メソードとは、鈴木先生が始められたヴァイオリンの才能教育。今や世界中でその活動は行われています。そして、ワタシもスズキ・メソードでヴァイオリンをしておりました。
才能教育といっても、ヴァイオリンで世界のトップに立つ為のプロを育てる英才教育では決してありません。
ヴァイオリンを身につけ習うことで、その人の人間性を高めることを目的とする教育。ヴァイオリンを通して、芸術というものの本質を自然と身につけよう、理解しようという教育。
人としての本当の魅力を身につけるためのヴァイオリン教育。
音楽を通して愛と才能を育てる為の教育。
ワタシなりに言うとこんな感じです。
書店に入り、以前チラと眼にした気がしていたので迷うことなくその場に立ち、特徴的な背表紙――ヴァイオリンの写真が作者名の上に印刷されている――を探します。
そして五秒と経たぬうちに発見。そのときのワタシは恐らく見えぬものをもこの眼に捉えんとする形相であったと思われます(笑)自分があれ程眼に神経を集中させて物を探すのは稀です。
「あった・・・」
顔は満面の笑みですが言葉は出ませんでした。胸が優しさで一杯に満たされた感覚ですかね。本当に嬉しい時って、何も言えないものなんですね。
ワタシがワタシであるのは、この書の御陰です。
自身が読んでいないのにそう言い切れるのは、母親がこの書に記されたことをワタシに実行してくれていたから。その施しを嫌がった時期もありましたが、今は、ワタシは本当に愛されているのだな、と素直にそれを受けとめられるようになりました。
鈴木先生との出逢いは、母親の人生に於いて最大の廻り合わせであったそうです。そしてその出逢いがあったからこそ、ワタシは今生きていると言えます。それは、ワタシを形作る全てが、母の敬する鈴木先生の信念によってつくられているから。
母はこの書を自身のバイブルとして大事にしています。手元には二冊。一冊は読み込み過ぎてもう本の状態を保っていません。背面の接着は外れて一項づつバラバラですし、鉛筆や赤鉛筆で線引きされた中身はワタシが文字を読むのは一苦労です。母は内容や本文の殆どを覚えているようで、その状態でも読めるようですが。
あと一冊は真新しいまま保管しています。ワタシが大きくなったら与えるために買っておいたものだそうです。しかしそれ程大事なものですからワタシが貰うには忍びなく、自分で買うことにしたんです。
ただ、高校生の時近くの書店に行くと廃盤になったのではないかと言われました。まだまだ販売されている筈なんですけどねえ・・・。その書店のPCにはヒットしなくて。
それから今日まで古本屋で探すという案に至らず手に入れるのがこんなにも遅れてしまいました。
小学生の時、母の鈴木先生との出逢い話を初めて聞き、いつかの先生と母との会話のテープを聴き、自分も何となく先生に憧れた記憶があります。
中学になって初めて、「愛に生きる」を読むことを奨められました。しかし先生を敬愛してはいるものの、読まずに過ごします。あまりに読み込まれた母の本を見るに、何だかワタシが触るのはまだいけない気がしたから。
高校生で書店に向かい、儚くも手にすることは叶わず。
そして昨夜です。
「行ってみよう」
何があったのか分かりませんが急に買いに行かねば、と思いました。いやはや、あってよかったよかった☆
ヴァイオリンが自分の半身であると思うようになったのは、高校生の時。
ヴァイオリンがどれだけ自分の中で消すことの出来ない存在なのかを思い知らされてから。ヴァイオリンが自分を自分たらしめていると気づいてから。
冗談抜きで、ヴァイオリンがなかったら、自分は幸せにはなれていなかったとまで思います。
今まで出逢えた人たちにも逢えていなかったし、何より人格も性格も違っていたでしょう。
普段友人といる時にはそんなことおくびにも出しませんけど。
母がどれだけ鈴木鎮一先生を尊敬しているのかは、彼について話す際の眼、その表情から痛いほど伝わってきます。
自分も人生を変えてくれた敬愛すべき人物との出逢いの経験がありますから、その想いが彼女の中でどれ程大切なのか、手に取るようにわかります。
そしてこの頃になって漸く鈴木先生の教育の真髄が感覚として理解出来てきた気がします。
それと、今になって分かったこと。それは
母は確かに、愛に生きている。ということ。
鈴木先生の仰ったことをワタシに余す事なく教えてくれていたのだということ。
ワタシは幸せ者。ということ。
それは全て鈴木先生とヴァイオリンが与えてくれたものなんですよ。
本当に、ありがとうございます。
この感謝は、今は亡き鈴木鎮一先生に奉げます。
本項に挙げた著書の詳細は
「愛に生きる 才能は生まれつきではない」
鈴木鎮一 著
株式会社 講談社 講談社現代新書
1966年8月16日第一刷発行
ISBN4-06-115486-9
です。御興味が御座いましたら、是非一度書店へ。
↓コメント返信↓
光崎 秋良さん。いらっしゃいませ!
ヨーグルトに果物、幸村も入れて食べることあります。桃や苺をいれるのが好きです。甘酸っぱさがなんとも言えませんよね。
光崎 秋良さんも、どうぞきな粉に挑戦してくださいませ~。
感想、お待ちしております(笑)
幸村玖月
一冊の本に育てられてきた幸村です。
今日の記事は白哉さんじゃあございやせん。
長きに亘り母親から「読め読め」と言われ続けている、とある方の著書についてです。
昨夜突然思い立ち、某古本屋へ人力二輪車を漕いで向いました。そうですね、片道約20分程度です。大した距離じゃあございません。
幸村にとって半径10キロメートルは、自転車での行動範囲。片道20分なら大体7~8キロといったところでしょうか。
しかし流石にこの時節。真夜中のくせに体に触れる風を始めその瞬間の大気自体が兎に角生温かい。温かい・・というより、やたらと湿度と温度の高い風呂に入っている感じです。ともすると息苦しい。家の外にいるのに心持ちがよろしくないなんて久しぶりでした。
まあ、何はともあれ目的地に到着。
脇目も振らず講談社現代新書シリーズが陳列されている棚へ向います。
タイトルは「愛に生きる」
著者はスズキ・メソードの創始者「鈴木鎮一」先生です。
スズキ・メソードとは、鈴木先生が始められたヴァイオリンの才能教育。今や世界中でその活動は行われています。そして、ワタシもスズキ・メソードでヴァイオリンをしておりました。
才能教育といっても、ヴァイオリンで世界のトップに立つ為のプロを育てる英才教育では決してありません。
ヴァイオリンを身につけ習うことで、その人の人間性を高めることを目的とする教育。ヴァイオリンを通して、芸術というものの本質を自然と身につけよう、理解しようという教育。
人としての本当の魅力を身につけるためのヴァイオリン教育。
音楽を通して愛と才能を育てる為の教育。
ワタシなりに言うとこんな感じです。
書店に入り、以前チラと眼にした気がしていたので迷うことなくその場に立ち、特徴的な背表紙――ヴァイオリンの写真が作者名の上に印刷されている――を探します。
そして五秒と経たぬうちに発見。そのときのワタシは恐らく見えぬものをもこの眼に捉えんとする形相であったと思われます(笑)自分があれ程眼に神経を集中させて物を探すのは稀です。
「あった・・・」
顔は満面の笑みですが言葉は出ませんでした。胸が優しさで一杯に満たされた感覚ですかね。本当に嬉しい時って、何も言えないものなんですね。
ワタシがワタシであるのは、この書の御陰です。
自身が読んでいないのにそう言い切れるのは、母親がこの書に記されたことをワタシに実行してくれていたから。その施しを嫌がった時期もありましたが、今は、ワタシは本当に愛されているのだな、と素直にそれを受けとめられるようになりました。
鈴木先生との出逢いは、母親の人生に於いて最大の廻り合わせであったそうです。そしてその出逢いがあったからこそ、ワタシは今生きていると言えます。それは、ワタシを形作る全てが、母の敬する鈴木先生の信念によってつくられているから。
母はこの書を自身のバイブルとして大事にしています。手元には二冊。一冊は読み込み過ぎてもう本の状態を保っていません。背面の接着は外れて一項づつバラバラですし、鉛筆や赤鉛筆で線引きされた中身はワタシが文字を読むのは一苦労です。母は内容や本文の殆どを覚えているようで、その状態でも読めるようですが。
あと一冊は真新しいまま保管しています。ワタシが大きくなったら与えるために買っておいたものだそうです。しかしそれ程大事なものですからワタシが貰うには忍びなく、自分で買うことにしたんです。
ただ、高校生の時近くの書店に行くと廃盤になったのではないかと言われました。まだまだ販売されている筈なんですけどねえ・・・。その書店のPCにはヒットしなくて。
それから今日まで古本屋で探すという案に至らず手に入れるのがこんなにも遅れてしまいました。
小学生の時、母の鈴木先生との出逢い話を初めて聞き、いつかの先生と母との会話のテープを聴き、自分も何となく先生に憧れた記憶があります。
中学になって初めて、「愛に生きる」を読むことを奨められました。しかし先生を敬愛してはいるものの、読まずに過ごします。あまりに読み込まれた母の本を見るに、何だかワタシが触るのはまだいけない気がしたから。
高校生で書店に向かい、儚くも手にすることは叶わず。
そして昨夜です。
「行ってみよう」
何があったのか分かりませんが急に買いに行かねば、と思いました。いやはや、あってよかったよかった☆
ヴァイオリンが自分の半身であると思うようになったのは、高校生の時。
ヴァイオリンがどれだけ自分の中で消すことの出来ない存在なのかを思い知らされてから。ヴァイオリンが自分を自分たらしめていると気づいてから。
冗談抜きで、ヴァイオリンがなかったら、自分は幸せにはなれていなかったとまで思います。
今まで出逢えた人たちにも逢えていなかったし、何より人格も性格も違っていたでしょう。
普段友人といる時にはそんなことおくびにも出しませんけど。
母がどれだけ鈴木鎮一先生を尊敬しているのかは、彼について話す際の眼、その表情から痛いほど伝わってきます。
自分も人生を変えてくれた敬愛すべき人物との出逢いの経験がありますから、その想いが彼女の中でどれ程大切なのか、手に取るようにわかります。
そしてこの頃になって漸く鈴木先生の教育の真髄が感覚として理解出来てきた気がします。
それと、今になって分かったこと。それは
母は確かに、愛に生きている。ということ。
鈴木先生の仰ったことをワタシに余す事なく教えてくれていたのだということ。
ワタシは幸せ者。ということ。
それは全て鈴木先生とヴァイオリンが与えてくれたものなんですよ。
本当に、ありがとうございます。
この感謝は、今は亡き鈴木鎮一先生に奉げます。
本項に挙げた著書の詳細は
「愛に生きる 才能は生まれつきではない」
鈴木鎮一 著
株式会社 講談社 講談社現代新書
1966年8月16日第一刷発行
ISBN4-06-115486-9
です。御興味が御座いましたら、是非一度書店へ。
↓コメント返信↓
光崎 秋良さん。いらっしゃいませ!
ヨーグルトに果物、幸村も入れて食べることあります。桃や苺をいれるのが好きです。甘酸っぱさがなんとも言えませんよね。
光崎 秋良さんも、どうぞきな粉に挑戦してくださいませ~。
感想、お待ちしております(笑)
幸村玖月
プロフィール
HN:
幸村玖月
HP:
性別:
非公開
趣味:
ストレッチ。歌。シャドーイング。
自己紹介:
≪座右の銘≫
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
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2012年7月からがベイベー記事。
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