幸村が気侭に綴るblog。 及川光博氏のメッセージ性・自己実現への姿勢を見習う日々。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
本日またまた第二項目、どんだけ書いても書ききれない幸村です。と書いたのに、文章を書いてると時間かかって日付がかわっていた・・・。嗚呼、人生って儘ならない・・・。
プロフィールを「もっと面白くしろよ~」と友人に言われていたなあ・・と思い、本日・・いや昨日更新。大したことじゃあありません。幸村は凡人ですもの。特筆すべきことは然してなく・・。
「面白くって・・どうすりゃいいんだ?」
とやや悩むも、
「まあいっか。書くだけ書いとけ」
と直ぐに開き直りました。
近所の友よ、こんなプロフィールでいいかい?
あ、ダメって言われても書き直しようがないから勘弁しておくれよ?(笑)
性別に関しては、自分が女か男かはっきりしないから未公開です。以前の表記は女でしたが「自分は女だ」と自信を持って言えないからやっぱりやめました。「女です」と言う時、いつも違和感がありますし。
「えぇ~!!!?」
と思う方ばかりだと思いますので少々説明。
一応、ワタシは世間で女とされているようです。ふむ、確かに見た目は何の問題もないしねえ。女として扱われることも嫌ではないしなあ。なので、ワタシのこの感覚は性同一性障害とは全く違うのだと思います。実際、性同一性障害の方の著書も幾つか拝読しましたが、ワタシのそれとはまるで異なりましたし。
生まれてから今まで「女」と言われて生きてきました。それにしても、どうして自分は女なんでしょう?自分が「女」とされる理由が分かりません。見てくれがそれに準ずるものだからでしょうか。当然の如く自分は「女」だと思い込まされていましたが、
「そう言えば自分で自分の性別を決めた訳じゃないんだよな」
と高校生の時に気づきました。
皆、親や周囲の人間に教えられた性別に疑問を抱かないのかしら・・。まあそれをいうと自分の親とか誕生日とか、何もかも本当に教えられた通りなのか否か、その真実は分からないんですけどね。
この世界、人が持つ認識や意識は全て自分の中でしか造られていないんですもの。
ワタシの意識が男寄りという例を少し紹介。
幼い頃から憧れていたものは男の子たちと同じものだった。
中学に上がって声変わりしないことに対して嫌悪を抱いていた。(本当に「どうして声変わりしないのかなあ」と思ってました)
いまだに、低音が出にくいこの声には嫌悪を抱いてます。女性で言えば低いほうですけど、男性とは比べるまでもなく高い。・・どうして声変わりしないのかなあ・・。自分の声は好きなんだけどね。でも好きだからと言ってそれに満足してるとは限りません。何事もそうですけど。
恋愛相談に関して、女の子の考えが理解出来なくて困ることが多く、逆に男の子の意見の方が分かり易い。
女の子といると「何かあったらボクがこの子を護ってあげなくちゃ」とか何とか男っぽい考えが当たり前に浮かぶ。
あと、以前も書きましたけど好きになるものはその殆どが男物です。
極めつけは第一人称を「ボク」とするのが最も自然だということ。
このblogでは「ワタシ」としてますが「『ワタシ』じゃないんだよね・・・」とか思うこともしばしば。昨日か一昨日当たりに「ボク」って載せちゃったし(苦笑)
「ワタシ」「アタシ」を使うことが普通の時もありますよ。でも「ボク」が自然と出る時もある。そうね、これからは自然に任せて人称代名詞も変えちゃいましょう。だってここはボクのblogなんだもの(笑)
男に憧れているだけなのかもしれません。ひょっとすると、本当に男なのかもしれない。今は「単にワタシの脳が男脳に属しているだけで、男ではないのかなあ」とも思える。
何を以って「女」「男」を決定付けるのかは本人次第だよね。自分が自分を「男」と思いたいなら自身は男と認識していればいいし、「女」と思いたいのなら女であればいいと思います。
結局、他人がどう言おうと最後に決めるのは自分以外にいないんだもの。自分に関わる世界は全て、自分の意識の中で造られているから。自分の在り様は自分で決めないとね。
ワタシは「見てくれは女、中身(意識とか願望)は男」として生きてます。
あくまで自分がそう思っているだけです。生物学的に調べれば女と断定されることでしょう。それは火を見るよりも明らか・・な気がします(ハッキリしねえな、ヲィ)。でもね、
科学や知識で白黒決定出来る程、人の心は単純じゃないんだよ。って思う。
ワタシのこの考え方「見た目は女で中身は男」は、自分で性別を判断出来ない位置にあります・・。
中間ですね。「男でもないし女でもないけれど、男でもあり女でもある」
この考えに行き着いた時、とても気分が軽くなりました。
それまでは男か女かどちらか一方を選ばないといけないって思ってました。「どっちでもないんだよなあ・・」って思ってたのにどちらか選ばないといけない。
「・・・ん?待てよ。どっちでもないなら『どっちでもない』でいけばいいんじゃないのか?」
閃いたのは本の一瞬のこと。「人生は『気づけるか気づけないか』で大きく変わる」ということも同時に心得ました。
その考えに落ち着いても、性別表記の際「女」に丸をつけるのを躊躇することは変わらないんだけどね。
「男と女の間に丸つけようかな・・」なんて思うけど、先方に失礼でしょうし(苦笑)
「ま、見てくれは女だから女でいいいか。ていうか女にしないと問題になるし・・・」
そうやって紛らわせてます。
ああ・・何て不都合なんだこの感覚・・。
でも、
ボクはボクらしく。
自分が生きる上で一番の基本はそれしかない。
周りと同じなんて、何の価値も生まれないよきっと。
本日またまた第二項目、どんだけ書いても書ききれない幸村です。と書いたのに、文章を書いてると時間かかって日付がかわっていた・・・。嗚呼、人生って儘ならない・・・。
プロフィールを「もっと面白くしろよ~」と友人に言われていたなあ・・と思い、本日・・いや昨日更新。大したことじゃあありません。幸村は凡人ですもの。特筆すべきことは然してなく・・。
「面白くって・・どうすりゃいいんだ?」
とやや悩むも、
「まあいっか。書くだけ書いとけ」
と直ぐに開き直りました。
近所の友よ、こんなプロフィールでいいかい?
あ、ダメって言われても書き直しようがないから勘弁しておくれよ?(笑)
性別に関しては、自分が女か男かはっきりしないから未公開です。以前の表記は女でしたが「自分は女だ」と自信を持って言えないからやっぱりやめました。「女です」と言う時、いつも違和感がありますし。
「えぇ~!!!?」
と思う方ばかりだと思いますので少々説明。
一応、ワタシは世間で女とされているようです。ふむ、確かに見た目は何の問題もないしねえ。女として扱われることも嫌ではないしなあ。なので、ワタシのこの感覚は性同一性障害とは全く違うのだと思います。実際、性同一性障害の方の著書も幾つか拝読しましたが、ワタシのそれとはまるで異なりましたし。
生まれてから今まで「女」と言われて生きてきました。それにしても、どうして自分は女なんでしょう?自分が「女」とされる理由が分かりません。見てくれがそれに準ずるものだからでしょうか。当然の如く自分は「女」だと思い込まされていましたが、
「そう言えば自分で自分の性別を決めた訳じゃないんだよな」
と高校生の時に気づきました。
皆、親や周囲の人間に教えられた性別に疑問を抱かないのかしら・・。まあそれをいうと自分の親とか誕生日とか、何もかも本当に教えられた通りなのか否か、その真実は分からないんですけどね。
この世界、人が持つ認識や意識は全て自分の中でしか造られていないんですもの。
ワタシの意識が男寄りという例を少し紹介。
幼い頃から憧れていたものは男の子たちと同じものだった。
中学に上がって声変わりしないことに対して嫌悪を抱いていた。(本当に「どうして声変わりしないのかなあ」と思ってました)
いまだに、低音が出にくいこの声には嫌悪を抱いてます。女性で言えば低いほうですけど、男性とは比べるまでもなく高い。・・どうして声変わりしないのかなあ・・。自分の声は好きなんだけどね。でも好きだからと言ってそれに満足してるとは限りません。何事もそうですけど。
恋愛相談に関して、女の子の考えが理解出来なくて困ることが多く、逆に男の子の意見の方が分かり易い。
女の子といると「何かあったらボクがこの子を護ってあげなくちゃ」とか何とか男っぽい考えが当たり前に浮かぶ。
あと、以前も書きましたけど好きになるものはその殆どが男物です。
極めつけは第一人称を「ボク」とするのが最も自然だということ。
このblogでは「ワタシ」としてますが「『ワタシ』じゃないんだよね・・・」とか思うこともしばしば。昨日か一昨日当たりに「ボク」って載せちゃったし(苦笑)
「ワタシ」「アタシ」を使うことが普通の時もありますよ。でも「ボク」が自然と出る時もある。そうね、これからは自然に任せて人称代名詞も変えちゃいましょう。だってここはボクのblogなんだもの(笑)
男に憧れているだけなのかもしれません。ひょっとすると、本当に男なのかもしれない。今は「単にワタシの脳が男脳に属しているだけで、男ではないのかなあ」とも思える。
何を以って「女」「男」を決定付けるのかは本人次第だよね。自分が自分を「男」と思いたいなら自身は男と認識していればいいし、「女」と思いたいのなら女であればいいと思います。
結局、他人がどう言おうと最後に決めるのは自分以外にいないんだもの。自分に関わる世界は全て、自分の意識の中で造られているから。自分の在り様は自分で決めないとね。
ワタシは「見てくれは女、中身(意識とか願望)は男」として生きてます。
あくまで自分がそう思っているだけです。生物学的に調べれば女と断定されることでしょう。それは火を見るよりも明らか・・な気がします(ハッキリしねえな、ヲィ)。でもね、
科学や知識で白黒決定出来る程、人の心は単純じゃないんだよ。って思う。
ワタシのこの考え方「見た目は女で中身は男」は、自分で性別を判断出来ない位置にあります・・。
中間ですね。「男でもないし女でもないけれど、男でもあり女でもある」
この考えに行き着いた時、とても気分が軽くなりました。
それまでは男か女かどちらか一方を選ばないといけないって思ってました。「どっちでもないんだよなあ・・」って思ってたのにどちらか選ばないといけない。
「・・・ん?待てよ。どっちでもないなら『どっちでもない』でいけばいいんじゃないのか?」
閃いたのは本の一瞬のこと。「人生は『気づけるか気づけないか』で大きく変わる」ということも同時に心得ました。
その考えに落ち着いても、性別表記の際「女」に丸をつけるのを躊躇することは変わらないんだけどね。
「男と女の間に丸つけようかな・・」なんて思うけど、先方に失礼でしょうし(苦笑)
「ま、見てくれは女だから女でいいいか。ていうか女にしないと問題になるし・・・」
そうやって紛らわせてます。
ああ・・何て不都合なんだこの感覚・・。
でも、
ボクはボクらしく。
自分が生きる上で一番の基本はそれしかない。
周りと同じなんて、何の価値も生まれないよきっと。
プロフィール
HN:
幸村玖月
HP:
性別:
非公開
趣味:
ストレッチ。歌。シャドーイング。
自己紹介:
≪座右の銘≫
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
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2012年7月からがベイベー記事。
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