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幸村が気侭に綴るblog。 及川光博氏のメッセージ性・自己実現への姿勢を見習う日々。
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おはようございます。こんにちは。こんばんは。
書きたいことが多くて書くべき順番が分からない幸村です。


縁は大事にしないといけないなあ、なんて最近よく思います。
尊敬する役者さんがよく仰ってることもあって常に念頭に置いてはいますが、ともすると忘れてしまうこともある。それは、自分の認識がまだまだ甘いということに他ならないわけですが。


「自分が居るべきところに、きちんと自分を連れて行くこと」
「とにかく続けることですかね。縁を拾うには拾える場所にいないとね」
運を拾うためには続けること。


「運はいつ巡ってくるか分かりません。だから「力」がないと運に出会ったときには活かせません。その時に備えて力は常に蓄えておかなくてはいけない」
日常の蓄えが運を掴むことになる。


ワタクシが敬愛する二人の役者さんの言葉です。
こういうことって、実際に体験しないとその大切さが分からない。人に言われて「ああ、そうだ」と思っても、思うだけじゃ自分の中でそれを噛み砕いて消化して体に吸収させることは出来ないからね。
分かったつもりで過ごしてるってこと、よくある。
それが一番いけない、危ないってことはもう知ってる。
自分が成長出来ない元凶の一はそこにあったりすることも知ってる。


「知ってる」
この言葉、一見理解に至っていると思いがちですが、ホントに理解出来ているか否かは定かじゃありませんよね。「知ってる」だけで「分かってない」かもしれない。
「その言葉、本当に分かって遣ってる?」って、時々色んな想いに対して自問自答します。毎回答えは出ないんですけど。




今日載せた二人の言葉に対してもいえますが、
「人から言葉を貰うことだけじゃない。人から何か形にもならないあらゆるものを貰えるのって、すごく恵まれてる」と思います。対面出来なくても誰かと関われる状態にあることが、とても大切なんだなあと。少なくとも、一人きりで生きているんじゃないと断言できる状況に置いてもらえている。
孤独を感じているとか、誰にも助けてもらってないとか言っても、絶対に誰かが何処かで自分の生命維持に携わってる。
だって、その人生きてるんだもん。飲まず食わずな訳ないでしょ。「食べてないよ!」って言っても、水くらいは飲んでるだろうし。それに家にいたって服着てるだろうし。家の中には物があるだろうし。そもそも家を持ってるし。(実際は、家や服がない人もこの国にも沢山いるけれど。)それらがあると仮定する。
水を飲んでるってことは、水道関係で働いてる人たち、汚水処理に関係する仕事の人たち、電気関係で働いてる人たち、水道管とかキッチンの蛇口とか造ってる人たち、もっともっともっと他の人たちの仕事の結果、ワタシたちは水を飲めるんだもん。何をあげるより「水」という存在に救われてるじゃん。
服を着てる、家に物がある、となると、ワタシには想像もつかないような細かい作業をしてくれてる人たちが、もうわんさかいるんだもん。気づいてないだけだよね。
一人で生きるって、自分の肉体以外からは何も吸収しないってことを言うんじゃないの?


さっきも言ったじゃん。
「分かったつもりで過ごしてるってこと、よくある。」って。




人間が今の世の中でその生命を維持していられる、維持しているということは、もうその事実自体が誰かの助けを得ているという証明になってる。そこには必ず縁があって、一期一会かもしれないし、自分の性には合わない人かもしれないけど、絶対に次に繋がっていくものなんだもの。大事にしない訳にはいかないよね。それと、感謝も。
「ありがとう」って言わなくてもいい。ただ心の中に思うだけで、それだけで新しいものがいつかは生まれていくんじゃないかな。それがいつになるのかは誰にも分からないけどさ。


縁や力だけじゃなくて、森羅万象全てに言えることなのかなあ、なんて思う。
結局は、何に対しても感謝の念を絶やさないことが一番大切なのかもしれないね。


縁の話で始まったのに、感謝で落ち着いてるこの文章って・・・国語で言うと失敗した作文なんだろうな(笑)
プロフィール
HN:
幸村玖月
性別:
非公開
趣味:
ストレッチ。歌。シャドーイング。
自己紹介:
≪座右の銘≫
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」

≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助

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返信はblog記事の後書にて。

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