幸村が気侭に綴るblog。 及川光博氏のメッセージ性・自己実現への姿勢を見習う日々。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
書いてると止まらなくなった‥、幸村です。
吐露してます。
完全に、自分用の記事になっています。
眼を通してくれる人に楽しんでもらえれば~とか思いながら普段は書いていたりするけれど、今回ばかりは気遣いほぼゼロです(笑)
「おっけー!へーきへーき!
幸村にとって、みっちーがどうして大事かを読んでやろうじゃないの☆」
‥と仰る方、どうぞ(笑)
まあ、全然ヘビーな記事じゃないんですけど。
アタシの中では普段から考えてることだし。
幸村の普段の脳内が垣間見れる記事だと思っていただければ(笑)
+ + +
9日(木)
同僚が泡を吹いて卒倒しました。
すぐに救急で運んでもらったけど、
どうなったのかはまだ分からない。
彼は、来月挙式を予定しています。
大事でないことを切に願うばかりなのですが。
ここ数か月、見るからに調子が良くなさそうだったんだよなあ。
然したる症状でなかったなら、
じっくり休養をとる機会にしてほしい。
小学低学年の頃から、「明日死ぬかもしれない」って恐怖心を抱えて生きている幸村さん。
最近は、ちょっと心づもり‥というか、気持ちの整理は出来てきているから小学生時代に比べれば、若干和らいできているのだけれど。
目の前で非常事態が起こると、やっぱり不安。
健やかでいられる内は、健やかであることを大切にしたいですね。
いつ天に召されても悔いがないように、なんて言いながらも、
やってみたいこととか、挑戦してみたいこととか山ほどあって(笑)
「今、全てをやりきる!」てのが出来ないからなあ。
そこがもどかしい。
「宝くじでマイホーム計画」とか、特にね。←
あと、みっちーのワンマンショーね。
アタシの都合で日にち変えられないからね。
当日まで元気でいられないと叶わない。
人生、一寸先は闇。
うまいこと言ってるなあ、とか感心してる場合じゃないっていう。
これ、前にも綴ったけど‥。
みっちーが、「明日には死ぬかもしれない」って気持ちを抱えて生きてるって知った時、
「やっと見つけた!」って思った。
「同じこと考えて生きてる人がいた!」って。
みっちーに出逢うよりずっと前から、
「明日には死ぬかもしれない。だから、めいっぱい生きたい。人生、悔いのないように生きてやるんだ」って、その時々の精いっぱいで生きてきた。
自己嫌悪の時も、精いっぱい自己嫌悪しながら生きた。
ひきこもる時も、精いっぱいひきこもりながら生きた。
拒食症の時も、「人間、拒食でもそれなりに生きていけるもんだ」とか、シレッと分析しながら精いっぱい生きた。
例えどれだけ自分がクズであっても、命を捨てようなんて思わなかった。
だって生きなきゃ意味ないもの。
自分がクズなのは、今に始まったことじゃない。
そもそも、存在すること自体には、「自分の為の自分の価値」なんて無い。
生まれてきたことに意味はない。
生まれてきただけだから、価値もない。
自分自身にとっては、ね。
親にとって、親類にとって、もしくは友人にとって、パートナーにとって。あと、色々立場があると思うけど‥。
他人にとってのアタシの価値なら、他人の中にいくらでもあるかもしれない。
「生まれてきてくれただけで、充分価値があるんだよ」って、あの当時親は言ってくれてた。
でも、それは親にとってのアタシの価値であって、
アタシにとってのアタシの価値じゃないわけよ。
「相談にのってくれるだけで、幸村が居てくれる価値は十分あるよ」って、友人は言ってくれてた。
でもやっぱり、その価値って「友人が感じてるアタシの価値」であって、
アタシが感じるアタシ自身の価値ではない。
ああ、自分が「自分をよし」と出来るような価値なんて、
自分で生み出すしかないんだなって。
「だったら、自ら命を落とすことは、自分を無価値のまま終わりにすることだな」ってアタシは思ったから、どれだけ自分がダメな人間だと自己嫌悪する時でも、幕を下ろそうとは考えなかった。
むしろ、生きなきゃ負けっていう。
だから、自分自身で自分の価値を見出すまでは、生まれた意味を与えてやるまでは、絶対死ねないなって思った。
それが、中学1年2年の頃。
そうなると、ますます命が終わる瞬間に対して恐怖心が増した。
小学生の頃に感じてた怖さの比じゃなくなって。
小学生のころはね、単純に「幕切れになったら、どうなるの?」って恐怖で。
中学になると、そこに「自分が無価値のまま終わるかもしれない」って焦燥感がトッピングされた(笑)
全っっ然、魅力的じゃない(笑)
自分で自分の首しめてるくせに、
水中に潜って呼吸自体出来なくしてるような感じになった。
小学生の頃から、色んな人にずっと言い続けてきたけど、
同じ感覚を持ってる人には出会えなかった。
分かってくれる人がそもそも少なかったし。
ひょっとするといなかったかもしれない。
大学を出てすぐだったかな、有名な方とお話する機会があって。
その方との対話の中でお話しさせていただいたら、てんで的外れな答えが返ってきて。
‥あれには正直失望した。
他人に対して、あっけにとられることってそうそうないんだけど。
「死ぬなんてマイナス思考はやめて、もっと前向きに、プラス思考に生きていこうよ」って。
その時に、世間では、
「死を見据えること」=「マイナス思考」なんだって知った。知らされた。
なんで?
だって、絶対くるものじゃないか。
終わりを意識するからこそ、「今を、人生を、無駄にしたくない」って思ってるのに。
だからこそ「自分に出来ることや挑戦してみたいことには、精いっぱい取り組みたい」って話をしてるのに。
これがマイナス思考だとあなたは言うのか、と。
伝わらない。
感覚として、まるで理解してもらえなかった。
アタシの伝え方が悪かったのかもしれないね。
言葉が足りなかったのかも。
だとしても、
命の幕切れについて考えることを、絶対的なマイナス思考だ、って断定していることに対して驚かされたっていうか。
自分にとっては、それが全くの予想外だった。
まあね、有名だからと言って、
その人が必ずしも固定観念に縛られていないとは限らないんですけど。
単純に期待していた自分が浅はかだったんだよなぁ。
今だから気づけることでもある(笑)
それが決定打だったかなあ。
「明日には死ぬかもしれない、なんて考えてる人、いないんだな」って。
他人に理解してもらおう、頷いてもらいたい、って気持ちを諦めたのは。
小学生の頃から、兎に角分かってもらいたくて、
ずっとずっと胸の内で叫び続けてきた。
分かってもらえなくたって、受け止めてくれるだけで救われたと思う。
「うんうん」って聴いてくれればよかった。
だって慰めてほしかったわけじゃないもん。
慰めてもらって癒える様な感覚じゃないことくらい分かってたし。
今思えば、小学時代は、
「終わりが来る」どまりだったんだよね~。
「だから自分はどうすればいいのか」ってところに至ってなかった。
中学でやっと「じゃあ、生きよう」って。
高校か大学で「終幕になる瞬間、幸せと後悔を秤にかけた時、ほんのちょっとでも幸せが多い人生にしよう。一つでも後悔の少ない人生にしよう」って。
そのためには、「悔いなく生きなきゃ」って。
そこに行き着いてから、少し楽になったかなあ。
お手々つないでスキップする程同感してくれる人は、当時もいなかったと思うけど。
だから、アタシにとって、みっちーは特別なんだ。
幸村の人生の中で、唯一の共感者だったから。
アタシから話をして「おお、なるほど」って人じゃない。
向こうが同じ話をしてる。
全く同じことを言ってる。
この存在に出逢ったことがなかった。
だから、アタシはみっちーが好きになったのだ。
きっと、彼が表現活動で死生観について触れていなければ、
ただ単に「元気いっぱいのお兄ちゃんだなあ」程度で通り過ぎたと思う。
去年のワンマンショーに参加しても、
愛哲で死生観の話に触れていなければ、今のアタシはなかった。
みっちーのファンにはなってなかった。
毎日毎日飽きもせず、みっちーみっちー言ってるけど、
本質的には精神的支えなんだよね。
「自分の中の死生観と同じことを考えてる人はいないんだな」って完全に諦めてたけど、
ここにいた!って。
「他の誰にも共感してもらえなくたって、少なくともみっちーがいる」って思えるだけで、アタシはずいぶん強くなれた。
アタシから話さなくても、向こうの中に同じ気持ちが存在してるって、大きい。
舐め合う為に求めてたんじゃない。
何なんだろうね、この感覚。
安心感‥?
足りなかったパズルの欠片が埋まる感覚って、こういうことなんだって思った。
ずっと探してたけど見つからなかったものが、やっと見つかった!って。
みっちーに出逢えたことで、やっと幸村の魂が安定したっていうか。
パズルって言ったけど、魂って言う方が正しい気がする。
欠けていた魂の一部分を、漸く見つけた感じ。
幸村の魂って、今まで不完全だったんだ!って(笑)
ものすんごくそんな気がする。
だから、ずっとしっくりこなかったんだよ。
やっと安定した形になれました。
‥みっちーには畏れ多くて言えないけど、
きっとどこかで魂が分裂しちゃってた片割だよ、アタシたち‥!(笑)
廻り逢えたよ‥!!って(笑)
何、この、今年のワンマンショーなテーマ(笑)
なんてリアルタイムな‥。
正に旬 。:*.*:+゜
時空を超えた魂の再会(笑)
‥言えない(笑)
こんなネタと化しそうな話、みっちーには言えない(笑)
でもホント、それくらい大きいかなあ。
ステージ上の彼しか生では観たことないし(それもまだ2回・笑)
直接話をすることなんてかなわないし、
全然近い存在ではないのだけれど。
幸村さんにとって、大事な御方なのであ~る。
そんな感じ。
そういや最近、自論展開多いな、自分!!
なんか、そういう時期なのかなあ。
書いてると止まらなくなった‥、幸村です。
吐露してます。
完全に、自分用の記事になっています。
眼を通してくれる人に楽しんでもらえれば~とか思いながら普段は書いていたりするけれど、今回ばかりは気遣いほぼゼロです(笑)
「おっけー!へーきへーき!
幸村にとって、みっちーがどうして大事かを読んでやろうじゃないの☆」
‥と仰る方、どうぞ(笑)
まあ、全然ヘビーな記事じゃないんですけど。
アタシの中では普段から考えてることだし。
幸村の普段の脳内が垣間見れる記事だと思っていただければ(笑)
+ + +
9日(木)
同僚が泡を吹いて卒倒しました。
すぐに救急で運んでもらったけど、
どうなったのかはまだ分からない。
彼は、来月挙式を予定しています。
大事でないことを切に願うばかりなのですが。
ここ数か月、見るからに調子が良くなさそうだったんだよなあ。
然したる症状でなかったなら、
じっくり休養をとる機会にしてほしい。
小学低学年の頃から、「明日死ぬかもしれない」って恐怖心を抱えて生きている幸村さん。
最近は、ちょっと心づもり‥というか、気持ちの整理は出来てきているから小学生時代に比べれば、若干和らいできているのだけれど。
目の前で非常事態が起こると、やっぱり不安。
健やかでいられる内は、健やかであることを大切にしたいですね。
いつ天に召されても悔いがないように、なんて言いながらも、
やってみたいこととか、挑戦してみたいこととか山ほどあって(笑)
「今、全てをやりきる!」てのが出来ないからなあ。
そこがもどかしい。
「宝くじでマイホーム計画」とか、特にね。←
あと、みっちーのワンマンショーね。
アタシの都合で日にち変えられないからね。
当日まで元気でいられないと叶わない。
人生、一寸先は闇。
うまいこと言ってるなあ、とか感心してる場合じゃないっていう。
これ、前にも綴ったけど‥。
みっちーが、「明日には死ぬかもしれない」って気持ちを抱えて生きてるって知った時、
「やっと見つけた!」って思った。
「同じこと考えて生きてる人がいた!」って。
みっちーに出逢うよりずっと前から、
「明日には死ぬかもしれない。だから、めいっぱい生きたい。人生、悔いのないように生きてやるんだ」って、その時々の精いっぱいで生きてきた。
自己嫌悪の時も、精いっぱい自己嫌悪しながら生きた。
ひきこもる時も、精いっぱいひきこもりながら生きた。
拒食症の時も、「人間、拒食でもそれなりに生きていけるもんだ」とか、シレッと分析しながら精いっぱい生きた。
例えどれだけ自分がクズであっても、命を捨てようなんて思わなかった。
だって生きなきゃ意味ないもの。
自分がクズなのは、今に始まったことじゃない。
そもそも、存在すること自体には、「自分の為の自分の価値」なんて無い。
生まれてきたことに意味はない。
生まれてきただけだから、価値もない。
自分自身にとっては、ね。
親にとって、親類にとって、もしくは友人にとって、パートナーにとって。あと、色々立場があると思うけど‥。
他人にとってのアタシの価値なら、他人の中にいくらでもあるかもしれない。
「生まれてきてくれただけで、充分価値があるんだよ」って、あの当時親は言ってくれてた。
でも、それは親にとってのアタシの価値であって、
アタシにとってのアタシの価値じゃないわけよ。
「相談にのってくれるだけで、幸村が居てくれる価値は十分あるよ」って、友人は言ってくれてた。
でもやっぱり、その価値って「友人が感じてるアタシの価値」であって、
アタシが感じるアタシ自身の価値ではない。
ああ、自分が「自分をよし」と出来るような価値なんて、
自分で生み出すしかないんだなって。
「だったら、自ら命を落とすことは、自分を無価値のまま終わりにすることだな」ってアタシは思ったから、どれだけ自分がダメな人間だと自己嫌悪する時でも、幕を下ろそうとは考えなかった。
むしろ、生きなきゃ負けっていう。
だから、自分自身で自分の価値を見出すまでは、生まれた意味を与えてやるまでは、絶対死ねないなって思った。
それが、中学1年2年の頃。
そうなると、ますます命が終わる瞬間に対して恐怖心が増した。
小学生の頃に感じてた怖さの比じゃなくなって。
小学生のころはね、単純に「幕切れになったら、どうなるの?」って恐怖で。
中学になると、そこに「自分が無価値のまま終わるかもしれない」って焦燥感がトッピングされた(笑)
全っっ然、魅力的じゃない(笑)
自分で自分の首しめてるくせに、
水中に潜って呼吸自体出来なくしてるような感じになった。
小学生の頃から、色んな人にずっと言い続けてきたけど、
同じ感覚を持ってる人には出会えなかった。
分かってくれる人がそもそも少なかったし。
ひょっとするといなかったかもしれない。
大学を出てすぐだったかな、有名な方とお話する機会があって。
その方との対話の中でお話しさせていただいたら、てんで的外れな答えが返ってきて。
‥あれには正直失望した。
他人に対して、あっけにとられることってそうそうないんだけど。
「死ぬなんてマイナス思考はやめて、もっと前向きに、プラス思考に生きていこうよ」って。
その時に、世間では、
「死を見据えること」=「マイナス思考」なんだって知った。知らされた。
なんで?
だって、絶対くるものじゃないか。
終わりを意識するからこそ、「今を、人生を、無駄にしたくない」って思ってるのに。
だからこそ「自分に出来ることや挑戦してみたいことには、精いっぱい取り組みたい」って話をしてるのに。
これがマイナス思考だとあなたは言うのか、と。
伝わらない。
感覚として、まるで理解してもらえなかった。
アタシの伝え方が悪かったのかもしれないね。
言葉が足りなかったのかも。
だとしても、
命の幕切れについて考えることを、絶対的なマイナス思考だ、って断定していることに対して驚かされたっていうか。
自分にとっては、それが全くの予想外だった。
まあね、有名だからと言って、
その人が必ずしも固定観念に縛られていないとは限らないんですけど。
単純に期待していた自分が浅はかだったんだよなぁ。
今だから気づけることでもある(笑)
それが決定打だったかなあ。
「明日には死ぬかもしれない、なんて考えてる人、いないんだな」って。
他人に理解してもらおう、頷いてもらいたい、って気持ちを諦めたのは。
小学生の頃から、兎に角分かってもらいたくて、
ずっとずっと胸の内で叫び続けてきた。
分かってもらえなくたって、受け止めてくれるだけで救われたと思う。
「うんうん」って聴いてくれればよかった。
だって慰めてほしかったわけじゃないもん。
慰めてもらって癒える様な感覚じゃないことくらい分かってたし。
今思えば、小学時代は、
「終わりが来る」どまりだったんだよね~。
「だから自分はどうすればいいのか」ってところに至ってなかった。
中学でやっと「じゃあ、生きよう」って。
高校か大学で「終幕になる瞬間、幸せと後悔を秤にかけた時、ほんのちょっとでも幸せが多い人生にしよう。一つでも後悔の少ない人生にしよう」って。
そのためには、「悔いなく生きなきゃ」って。
そこに行き着いてから、少し楽になったかなあ。
お手々つないでスキップする程同感してくれる人は、当時もいなかったと思うけど。
だから、アタシにとって、みっちーは特別なんだ。
幸村の人生の中で、唯一の共感者だったから。
アタシから話をして「おお、なるほど」って人じゃない。
向こうが同じ話をしてる。
全く同じことを言ってる。
この存在に出逢ったことがなかった。
だから、アタシはみっちーが好きになったのだ。
きっと、彼が表現活動で死生観について触れていなければ、
ただ単に「元気いっぱいのお兄ちゃんだなあ」程度で通り過ぎたと思う。
去年のワンマンショーに参加しても、
愛哲で死生観の話に触れていなければ、今のアタシはなかった。
みっちーのファンにはなってなかった。
毎日毎日飽きもせず、みっちーみっちー言ってるけど、
本質的には精神的支えなんだよね。
「自分の中の死生観と同じことを考えてる人はいないんだな」って完全に諦めてたけど、
ここにいた!って。
「他の誰にも共感してもらえなくたって、少なくともみっちーがいる」って思えるだけで、アタシはずいぶん強くなれた。
アタシから話さなくても、向こうの中に同じ気持ちが存在してるって、大きい。
舐め合う為に求めてたんじゃない。
何なんだろうね、この感覚。
安心感‥?
足りなかったパズルの欠片が埋まる感覚って、こういうことなんだって思った。
ずっと探してたけど見つからなかったものが、やっと見つかった!って。
みっちーに出逢えたことで、やっと幸村の魂が安定したっていうか。
パズルって言ったけど、魂って言う方が正しい気がする。
欠けていた魂の一部分を、漸く見つけた感じ。
幸村の魂って、今まで不完全だったんだ!って(笑)
ものすんごくそんな気がする。
だから、ずっとしっくりこなかったんだよ。
やっと安定した形になれました。
‥みっちーには畏れ多くて言えないけど、
きっとどこかで魂が分裂しちゃってた片割だよ、アタシたち‥!(笑)
廻り逢えたよ‥!!って(笑)
何、この、今年のワンマンショーなテーマ(笑)
なんてリアルタイムな‥。
正に旬 。:*.*:+゜
時空を超えた魂の再会(笑)
‥言えない(笑)
こんなネタと化しそうな話、みっちーには言えない(笑)
でもホント、それくらい大きいかなあ。
ステージ上の彼しか生では観たことないし(それもまだ2回・笑)
直接話をすることなんてかなわないし、
全然近い存在ではないのだけれど。
幸村さんにとって、大事な御方なのであ~る。
そんな感じ。
そういや最近、自論展開多いな、自分!!
なんか、そういう時期なのかなあ。
プロフィール
HN:
幸村玖月
HP:
性別:
非公開
趣味:
ストレッチ。歌。シャドーイング。
自己紹介:
≪座右の銘≫
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
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2012年7月からがベイベー記事。
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