幸村が気侭に綴るblog。 及川光博氏のメッセージ性・自己実現への姿勢を見習う日々。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
最早一日一項では足りなくなっている幸村です。どんどん書いてます。同日中に何項出せるか記録に挑戦していこうかしら・・・。
ではでは、本日二項目の御題に。
改めまして、おはこんばんちは。
このネタはもう一週間前ですが・・。何となく聞いていたCMが置鮎さんのナレーションだったと気づき、TVに噛り付いた幸村です。
ドラゴンボールのカード(あれはカードガムなのかな?)のCMです。
「置鮎さん程の声優さんなら、少なくともCMの一つや二つナレーションしてるだろうに、ワタシは全然気づけない・・・」
と思っていた丁度その時!!
「・・・・?この息遣いの癖は・・・も、もしや?!」
TVに噛り付いた幸村。
注意深く聴くと、声といい喋り癖といい置鮎さんじゃぁあ~りませんか!確認してないので本当にそうか否かは分かりませんが、あれは絶対に彼だ。あれは彼だよ~。
「なあんだ!!こんな近く(毎週見ている番組枠それは火曜イージャン)でCMしてたんだぁ。これから毎週聴けるぞ~」
と小躍りして喜んでたのに、今週は聴けなかった・・。違う番組を放送していたので二週間御預けです。うぅ~残念。
アニメで台詞を言うことと、ナレーションには全く別の技術が要求されるという話を聞いたことがあります。ナレーションの方が何倍も難しいと。
役者の個人的な感情を入れては広報の印象が台無しですから。
業者の要求に声の表現で応えなければならないし、かと言って無感情ではいけないし・・・。上手くいかないという結果を出してしまったら、自己責任では済みませんからね。
しかし声優という声のプロとして仕事を戴くなら、それには120%の出来で応えなければならないと思います。
言うは易しするは難し、ですけどね。
それは声優に限ったものでは無く、仕事をするというのはそういうことです。
出来て当たり前。出来ない、やらないは問題外です。
それが自身の求めるものでなかったとしても、それを仕事としている以上、事を成すのは義務です。そしてそこではより高度なものを生み出す責任がある。
「これでいいや」という意識で生活をしている人は、精々そこが限界でしょう。向上心がない人間はどの世界にいても成功しやしません。諦念を抱けばそれで幕引きです。
出来ないなら出来るようになるまで自身の腕を磨かなければならない。
それが嫌だと言う人は、自分の人生を真剣に見ていない・考えていないと思います。勿体無いことしてる。そういう人って、出来ない事を大抵他人の所為にするから手のつけ様がないんだけどね。自身の詰めの甘さによってもたらされた厄災を他人に擦り付けようとする。
何を言っても聞く耳持たずだったり、自分は絶対正しいって思い込んでたり。
でも、
世の中、中途半端で渡って行ける程温いもんじゃあない。
ずっと後で窮するのは自分自身です。自業自得。そうやって大きく頭を打つことも大事ですけどね、きっと。
上を目指すばかりが人生ではないけれど、目指さないままでいると落ちていくだけです。
上を掴みに行かずとも、精進する事と努力を惜しんではいけません。
中学の時、進学塾に通っていました。幸村が居たクラスは相当な勉強量と宿題の日々でしたが、まだ足りないと指摘されます。このクラスにいる以上はもっとやれと。
「これ以上する時間がないですよ・・・」って言ったら、
「でも、毎日寝てるんでしょ?」と言われました。
つまり、「寝る時間があるならそれを遣え」ということです。
その時初めて「時間は遣い方次第だな」と思いました。
努力なんてそう簡単に出来るもんじゃない。まして続けることなど至難です。やろうとしないと出来ないものだし、やりたくても上手くいかない時もあります。
自分は精一杯やっている。どうして認めてくれないんだろうって思うこともある。しかし実際はまだまだ足りないもんです。
傍から見てると穴のある時間の遣い方がよく見える(笑)。客観的な視点は時に、恐ろしいほど的を得ています。自分の指摘されたものは正にそれでした。
「こんなにやってるのに」って口にする時ほど、何処かに怠惰がちらついている。本当に必死なら自分がどれだけ死力を尽くしているのかなんて、はかれない。脇目も振らず一心不乱に取り組む際は、自分の姿が見えないからね。
ワタシはまだまだ必死さが足りません。常々思う。
それでも、同じ場所にはいたくない。
前にも言いました、進化しない自分はいらない。
だから何事に対しても研鑽を積んできたいと思います。
最早一日一項では足りなくなっている幸村です。どんどん書いてます。同日中に何項出せるか記録に挑戦していこうかしら・・・。
ではでは、本日二項目の御題に。
改めまして、おはこんばんちは。
このネタはもう一週間前ですが・・。何となく聞いていたCMが置鮎さんのナレーションだったと気づき、TVに噛り付いた幸村です。
ドラゴンボールのカード(あれはカードガムなのかな?)のCMです。
「置鮎さん程の声優さんなら、少なくともCMの一つや二つナレーションしてるだろうに、ワタシは全然気づけない・・・」
と思っていた丁度その時!!
「・・・・?この息遣いの癖は・・・も、もしや?!」
TVに噛り付いた幸村。
注意深く聴くと、声といい喋り癖といい置鮎さんじゃぁあ~りませんか!確認してないので本当にそうか否かは分かりませんが、あれは絶対に彼だ。あれは彼だよ~。
「なあんだ!!こんな近く(毎週見ている番組枠それは火曜イージャン)でCMしてたんだぁ。これから毎週聴けるぞ~」
と小躍りして喜んでたのに、今週は聴けなかった・・。違う番組を放送していたので二週間御預けです。うぅ~残念。
アニメで台詞を言うことと、ナレーションには全く別の技術が要求されるという話を聞いたことがあります。ナレーションの方が何倍も難しいと。
役者の個人的な感情を入れては広報の印象が台無しですから。
業者の要求に声の表現で応えなければならないし、かと言って無感情ではいけないし・・・。上手くいかないという結果を出してしまったら、自己責任では済みませんからね。
しかし声優という声のプロとして仕事を戴くなら、それには120%の出来で応えなければならないと思います。
言うは易しするは難し、ですけどね。
それは声優に限ったものでは無く、仕事をするというのはそういうことです。
出来て当たり前。出来ない、やらないは問題外です。
それが自身の求めるものでなかったとしても、それを仕事としている以上、事を成すのは義務です。そしてそこではより高度なものを生み出す責任がある。
「これでいいや」という意識で生活をしている人は、精々そこが限界でしょう。向上心がない人間はどの世界にいても成功しやしません。諦念を抱けばそれで幕引きです。
出来ないなら出来るようになるまで自身の腕を磨かなければならない。
それが嫌だと言う人は、自分の人生を真剣に見ていない・考えていないと思います。勿体無いことしてる。そういう人って、出来ない事を大抵他人の所為にするから手のつけ様がないんだけどね。自身の詰めの甘さによってもたらされた厄災を他人に擦り付けようとする。
何を言っても聞く耳持たずだったり、自分は絶対正しいって思い込んでたり。
でも、
世の中、中途半端で渡って行ける程温いもんじゃあない。
ずっと後で窮するのは自分自身です。自業自得。そうやって大きく頭を打つことも大事ですけどね、きっと。
上を目指すばかりが人生ではないけれど、目指さないままでいると落ちていくだけです。
上を掴みに行かずとも、精進する事と努力を惜しんではいけません。
中学の時、進学塾に通っていました。幸村が居たクラスは相当な勉強量と宿題の日々でしたが、まだ足りないと指摘されます。このクラスにいる以上はもっとやれと。
「これ以上する時間がないですよ・・・」って言ったら、
「でも、毎日寝てるんでしょ?」と言われました。
つまり、「寝る時間があるならそれを遣え」ということです。
その時初めて「時間は遣い方次第だな」と思いました。
努力なんてそう簡単に出来るもんじゃない。まして続けることなど至難です。やろうとしないと出来ないものだし、やりたくても上手くいかない時もあります。
自分は精一杯やっている。どうして認めてくれないんだろうって思うこともある。しかし実際はまだまだ足りないもんです。
傍から見てると穴のある時間の遣い方がよく見える(笑)。客観的な視点は時に、恐ろしいほど的を得ています。自分の指摘されたものは正にそれでした。
「こんなにやってるのに」って口にする時ほど、何処かに怠惰がちらついている。本当に必死なら自分がどれだけ死力を尽くしているのかなんて、はかれない。脇目も振らず一心不乱に取り組む際は、自分の姿が見えないからね。
ワタシはまだまだ必死さが足りません。常々思う。
それでも、同じ場所にはいたくない。
前にも言いました、進化しない自分はいらない。
だから何事に対しても研鑽を積んできたいと思います。
プロフィール
HN:
幸村玖月
HP:
性別:
非公開
趣味:
ストレッチ。歌。シャドーイング。
自己紹介:
≪座右の銘≫
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
「憧れる暇があるなら見習え」
「どうせやるなら大胆に」
≪見習いたいひと≫
・及川光博
・野村萬斎
・ペ・ヨンジュン
・四代目猿之助
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2012年7月からがベイベー記事。
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